オミクロン株の怪
2021年11月30日の読売新聞(西部版・14版)。一面の二番手の見出しと記事。
外国人の新規入国停止/全世界対象 オミクロン株拡大
政府は29日、新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」の感染拡大を受け、留学生などを対象に条件付きで外国人を受け入れていた水際緩和策をとりやめると発表した。これにより、全世界からの外国人の新規入国を原則停止する。30日午前0時から実施し、当面年末まで継続する方針だ。(略)
日本人帰国者に自宅などでの待機期間を条件付きで最短3日間まで短縮していた措置も停止する。今月26日からは日本人帰国者を含めた入国者数の上限を1日あたり3500人程度から5000人程度に拡大していたが、3500人に戻す。
水際対策の強化は1か月間続け、流行状況などを踏まえ、その後も継続するかどうかを判断する考えだ。
突然、なぜ?
たしかにWHOは警告を発しているが、感染拡大の「実数」がよくわからない。2面には、こんな記事。
南アフリカでは、流行していたベータ株が6月にほぼデルタ株に置き換わった。11月以降にはオミクロン株が急増してデルタ株から置き換わり、同月15日時点で75%以上に達した。ヨハネスブルクのある同国ハウテン州では、同12~20日に調べた77検体が、すべてオミクロン株だった。欧州疾病対策センターは「著しい感染性の高さが懸念される」と、強い警戒感を示す。
香港では、検疫用ホテルに滞在していた2人の感染が確認された。南アに渡航歴のある無症状の1人が、マスクを着用せずにドアを開け、向かいの部屋にいたもう1人に感染させた可能性があるという。
この記事を読むとたしかに危険な感じがする。ただし香港の事例は「可能性があるという」というだけなので、「事実」かどうかわからない。危機感をあおっている感じもする。「もう1人」は、単に、入国時のPCR検査のときに検出されなかっただけかもしれない。ドアを開けて、マスクなしで向こうの部屋のひとと会話するときの、ふたりの距離はどれだけなのか。ほんとうにそれで感染したのか。「事実」が確認できない段階で、「作文描写」を挿入するのは危険すぎる。「可能性があるという」ときの「いう」の主語はだれなのか。「もう1人」を診察した医師が言ったのか。ホテル従業員が言ったのか。情報源しだいで「信憑性」も違ってくる。
読売新聞の記事は、非常に危険なことをやっている。「という」と書けば、責任逃れができると思っているみたいだ。
岸田がすばやく対応したのは、2面の記事を読むと、安倍、菅の対応が「後手後手」だんたのを反省し、「先手対応」をとるというとらしいのだが、どうにもよくわからない。
1面には「感染防止G7連携/保健相緊急会合で生命」という見出しの記事がある。そのなかに、こんな部分。
緊急会合はG7議長を務める英国が招集した。日本から参加した後藤厚生労働相は会合後、記者団に、「新しい変異株は感染力などが不明だ。科学的な知見を集め、どう対応していくのか考えていく」と述べた。
後藤の発言どおりだとすれば、何もわかっていない。「科学的な知見」というか、科学的にわかっていることがあまりにも少ない。少しの情報しか公開されていない。突起の変異が、いままでの株より多い。だから感染力が強いと推定されている。いままでのワクチンが効かないかも、と昨日の新聞に書いてあったと記憶するが……。
突起の変異が多くなったら、どうして感染力が強いのか。デルタ株と比較すると、そのスピードはどう違うのか。突起の変異が多いために、逆に自滅していくということも考えられるのではないか。もちろん、こういうことは素人考えなのだが。
こんなときこそ、科学者が出てきて説明しないといけない。科学者は科学的根拠がないことはいいにくいだろうが、知っている事実を提示し、「こう考える」と言わない限り、私には疑問しか残らない。「こう考える」という部分がいいにくいとしたら、「事実」だけ語る。その「事実(データ)」をもとに、岸田が「私はこのデータをこう解釈する」と言わないと、何も語ったことにならない。
すでにデータが科学者と岸田との間で共有されているのだとしたら、その「事実」を公開しないのは「情報」の隠蔽である。
「情報」を隠蔽したまま、つまり「情報操作」をして、その結果を政策に反映させるとどうなるのか。独裁につながっていくだろう。
加藤は「科学的な知見を集め、どう対応していくのか考えていく」と語っているが、いままでに集めた「科学的知見」をまず公開することが必要だろう。政府が入手した「科学的情報」は即座に公開すべきだろう。「科学的情報」を素人が分析するのは危険だが、「科学的情報」もないままの「政府の方針(政策)」を鵜呑みにすることは、もっと危険だ。
いま、日本のコロナ感染状況は非常に落ち着いているが、なぜ、突然、日本だけ急速にコロナが終息に向かっているのか、その「科学的検証」もおわっていない。菅の政策は正しかったとは、まだ、言えない。そういう評価は、とても危険だ。
同様に。
岸田の「先手対策」が成功し、コロナの拡大が防げたとしたら、それはそれで、やはり危険を伴う。岸田の言うことは正しい、国民は岸田の言うことを黙って聞けばいい、という風潮を生み出すだろう。「岸田を批判するのは反日だ」というような発言が急増するだろう。その発言に、意味のない根拠を与えることになってしまうだろう。
政権のやっていることが正しいかどうかは、「結果」だけではなく、「経過」を含めて判断しないといけない。「結果」には「偶然」がともなうときがある。「経過」の判断には、そのときそのときの「情報」が必要だ。
こんな突然の方針転換をするかぎりは、きっと重大な情報があるはずである。
それを追及しないジャーナリズムというのはなんなのだろう。安倍、菅の対策が「後手後手」だったから、岸田は「先手対策」を打ち出したという「よいしょ作文」を書いているひまがあったら、もっと科学者から意見を聞いて、それを記事にする方が先だろう。
「情報」を見つけ出すのは、ジャーナリズムの重要な仕事であるはずだ。