ビム・ベンダース監督「PERFECT DAYS」 (★★★★)(2023年12月23日、キノシネマ福岡、スクリーン1)
監督 ビム・ベンダース 出演 役所広司
前半、役所広司がたんたんとトイレ掃除をするシーンがいい。毎日、同じことの繰り返し。そしてそれは彼だけのことではない。彼のアパートの近くに住む老人は、毎朝同じ時間に道路を掃いている。そのホウキの音を「目覚まし」のかわりにして役所広司は目を覚ます。布団をたたむときも手順が決まっている。掛け布団を左側から右側へ二つにおる。それをさらに縦におる。その上に枕を置く。敷布団を三つに追って左側に置く。その上に、さっき畳んだ掛け布団と待ちらを置く。それから歯を磨き、仕事の途中で見つけてきた植物(植木にしている)に水をやる。車で出かけるとき、かならず自販機から缶コーヒーを買う……。何も変わらないところが、とてもおもしろい。繰り返して見せるところが、とてもいい。
好きなシーンが二つある。ひとつは、掃除の途中でみつけた○×を三つ並べたら勝ちというゲームをやるところ。相手は誰かわからない。最後に「Thank you」という文字が残される。ふいに、私は泣いてしまう。みんな誰かと出会いたがっている。
もう一つは、姪との会話。姪が、神社の境内で「この木は、おじさんの友達?」と訪ねる。それが、とても自然でいい。何いわない木と友達。それが姪にわかる。だから、確認のために聞いたのだ。この瞬間、役所広司と姪は、しっかりと出会っている。出会っていることを、わかりあっている。ここでも、私は泣いてしまった。
半分ことばになって(行動になって)、半分ことばにならない。そういうところにも「交流」がある。
ほかにも、銭湯や、古本屋、それから写真店(現像店)、駅の近くの居酒屋というよりも一杯飲み屋(立ち飲み屋)の交流もとてもいい。ことばではなく、「気心」で交流している。触れ合うけれど、他人には立ち入らない。そこには、なんというか「倫理」のような美しさがある。
それに比べるとがっかりしてしまうのは、三浦友和との「影踏み」のシーン。たぶん、これは役所広司がアドリブで「影踏み」を追加しようといって実現したシーンだと思うのだが、このアドリブに三浦友和がついていけない。何のために影踏み遊びをするのか、その意味がわかっていない。無意味の意味(重要性)をわかっていない。三浦友和は「結論」がないと演技できないタイプの役者なのだろう。「結末」と自分との関係が明確でないと、何をしていいか、わからない。途中で現れ、途中で消えていくというのは「人生」のなかで何回も起きる出会いだが、その「結論」とは無関係な「役」というものを理解できないのだろう。
あのシーンは、それがなかったら、その直前の役所広司のセリフが重くなりすぎる。「何かが変わらないものってあるものか」という悲痛な叫びが重たくてやりきれなくなってしまう。それを開放するとても重要なシーンなのに、なんともみっともない芝居をしている。
だから、なんというか。
最後の最後、役所広司がひとりで車を運転しながら「演技」する。それはそれでいいのかもしれないが、長すぎる。もっと短く、車が走るのにつれて太陽の光がカメラに入ってきたり陰ったりという「空気」の流れにこそ演技をさせないといけないのに、と思ってしまう。東京の、あるいは日本の「空気」をとてもよく伝えるとてもいい映画だが、三浦友和の下手くそな演技が映画を壊してしまった。
三浦友和の出るシーンを撮り直してもらいたい、と私は切実に願わずにはいられない。