樹木希林、全身がんと死への覚悟語る 最期は「孫の声が聞こえるところで」(ORICON STYLE) - goo ニュース
このニュースを読みながら、病院に入院せずに家で6ヶ月程床に就いていた母の最期を思い出す。
突然ガンの宣告を受けた母には、何か強い覚悟のようながあったわけではなかったはずだ。
「(全身にガンが転移している状況ですが)積極的な治療は出来ないので、家でゆっくり過ごしてください。」という医師の言葉に従って家に帰ってくるしかなかった。診断される前までは日中どんなに辛くても横になることはなかったが、ガンと分かってからはそれまで横にならなかったのが嘘のように、元気がなくなっていった。
本人は辛かったと思う。「ごはんを食べたいのに食べられない。前のように元気にごはんを食べたい。」とごはんを前に涙ぐんだりしていた。。。。
毎日毎日少しずつ元気がなくなっていく母を見ながら、少しずつ少しずつ遠くへ行く準備をしているんだなと思うようにした。そう思いながら私自身も母と別れる日が来るという事実を受け止めるようにしていたんだろう。
******
母自身がどう思っていたか分からないが、私は母との別れが突然でなくてよかったと思う。仕事をしながらの日々だったので、最後の時間を十分に過ごせたとは言えないが、それでも最期の時は来るんだ・・・という覚悟らしいものは出来たと思うので。。。。「お疲れ様でした。。。じゃあね。。。」という別れ方しか出来なかったが、精一杯の別れ方だったとも思っている。「じゃあね・・・なんて、最期なんだからキチンと挨拶しなさい」と言う母の声が聞こえてきそうだが。。。
****
樹木希林女史は、「自分が生きたってことが、他人の迷惑にならないよう、自分が生きていることによって、出すゴミがないよう思ってます」と言っているとのこと。
見習いたい言葉だ。
このニュースを読みながら、病院に入院せずに家で6ヶ月程床に就いていた母の最期を思い出す。
突然ガンの宣告を受けた母には、何か強い覚悟のようながあったわけではなかったはずだ。
「(全身にガンが転移している状況ですが)積極的な治療は出来ないので、家でゆっくり過ごしてください。」という医師の言葉に従って家に帰ってくるしかなかった。診断される前までは日中どんなに辛くても横になることはなかったが、ガンと分かってからはそれまで横にならなかったのが嘘のように、元気がなくなっていった。
本人は辛かったと思う。「ごはんを食べたいのに食べられない。前のように元気にごはんを食べたい。」とごはんを前に涙ぐんだりしていた。。。。
毎日毎日少しずつ元気がなくなっていく母を見ながら、少しずつ少しずつ遠くへ行く準備をしているんだなと思うようにした。そう思いながら私自身も母と別れる日が来るという事実を受け止めるようにしていたんだろう。
******
母自身がどう思っていたか分からないが、私は母との別れが突然でなくてよかったと思う。仕事をしながらの日々だったので、最後の時間を十分に過ごせたとは言えないが、それでも最期の時は来るんだ・・・という覚悟らしいものは出来たと思うので。。。。「お疲れ様でした。。。じゃあね。。。」という別れ方しか出来なかったが、精一杯の別れ方だったとも思っている。「じゃあね・・・なんて、最期なんだからキチンと挨拶しなさい」と言う母の声が聞こえてきそうだが。。。
****
樹木希林女史は、「自分が生きたってことが、他人の迷惑にならないよう、自分が生きていることによって、出すゴミがないよう思ってます」と言っているとのこと。
見習いたい言葉だ。