アニメが終わるまでは手を付けていなかったフリーレンの原作だけど、ようやく放送が終わったので、読み始めてみた。
そしたら、あっという間に読み終わった。
恐ろしいくらい、ストレスのない作品で、サクサク読み進めることができた。
で、確かに、これは面白い。
なんか、ちょっと前にフリーレンが過去に戻ってヒンメルたちとまた冒険をしている、とかいう話を耳にしてしまっていたので、なんだそりゃ、と思っていたのだけど。
実際に読んでみれば、それは、フリーレンが過去に戻った、ということよりも、むしろ、女神の力はそれくらい不可思議で超越している、ってことを表すためのエピソードだったので、なるほどなー、と思った。
これ、まるまるちゃんとしたファンタジーで、構成としては、『進撃の巨人』に近い。
だって、これ、多分、フリーレンがフェルンたちと旅を始めた「ヒンメルたちとの冒険の旅路をもう一度たどりながらヒンメルたちの死に対してきちんと喪に服す」という動機はあくまでも物語を進めるうえでの表の理由であって、物語の本当の目的はきっと、フリーレンたちが住む魔法世界が成立した理由を探求する話のように思うから。
『進撃』であれば、巨人の駆逐が当初の目的だったのが、いつの間にか、巨人の来歴からユミルの民を巡る世界の話に変わってしまったのに近い気がする。
フリーレンの場合は、巨人の秘密に相当するのが、魔法が存在する理由、ってことかな。
だから、系統の異なる魔法を操る魔族の話が出てきたり、根源としての女神の存在が結構語られたり、ということになる。
『進撃』との並行性は、最新話において、同じ人間同士のあいだで、帝国と魔法協会のあいだで争いが生じる、という流れで、これ、まるまる『進撃』のマーレ編、つまり、マーレとエルディアの対立の話をなぞってるように見える。
そして、その「人対人」のいやらしい戦いを描くためにキャラとして必要だったのが、ゼーリエ麾下の一級魔法使いだった、という流れかな、と。
なので、当初あった、フリーレンののんびりした旅路からずいぶん遠くまで来ちゃったなぁ、というのが最新話あたりを読んでの率直な感想。
だって結局、魔法を巡る政争まみれの物語になってしまったからw
で、その過程で、帝国側と魔法教会側で語られるのがきっと「魔法とはなにか」に連なる評価や意見、情報になるのだろうな。
で、その政争のあいだで、一種の中立サイドとしての位置を占めるのが、名前の指し示す通り「自由人」であるフリーレンとその一行、という流れ。
うまいといえばうまい。
さらにうまいのは、フリーレン一行のフェルンが一級魔法使いになってしまったから、放っておいてもフリーレンの耳には、魔法協会の動きが伝わってしまうこと。
で、弟子であるフェルン想いのフリーレンは、なんだかんだいって巻き込まれるし、関わろうとする。
師匠フランメの師匠だったゼーリエが総帥という因縁もあるし。
ゼーリエとフリーレンが、同じエルフでも違う哲学を持っている、というのもある。
なので、物語的にはいろいろな「物語起動因子」が随所に埋め込まれていて面白い。
だって、人間vs人間が幹の物語になったら、絶対魔族がどちらかにつこうとするに決まってるし、もしかしたら、魔族ではない第3勢力も現れるかもしれない。
そういうときにこそ、どこにも所属しない風来坊のフリーレンの一行が意味を持つ。
ゼーリエも、そうした動きを見越してわざとフリーレンを魔法教会出禁にしたのだと思う。
好敵手だからこそ相手の動きを信じられる、ってやつだね、きっとw
・・・ということで、これは面白い、とても面白い。
しかし、聞いていたことではあるけれど、原作のマンガには、およそアクションシーンというものがない。
全ての絵が、静止画のイラストなので、戦闘場面があっても、全く動きがないし、なんだったら、次のコマであっさり戦闘が終わっていたりすることもしばしばw
だから、気分的には、紙芝居とか絵本とか。
物語はしっかり練られているから、むしろ、全ページイラストがついたラノベ、って言ったほうがいいかもしれないw
なので、アニメスタッフは本当に優秀で、その貧弱なアクションシーンを思い切り動かしたことで、フリーレンという作品の中にあったけど隠れていた魅力を引き出した、という感じw
まさに、メディアの違いを意識せよ!だね!
これもまた『進撃』に似ていて、立体機動装置の凄さはアニメになって初めてわかった、ってのに近い。
エレンやリヴァイがグリグリ飛び回るさまの凄さは、原作の漫画では全然伝わってこないけど、それがアニメだと、文字通り目を見張る物になった。
同様に、『フリーレン』の場合も、魔法戦闘の凄さは、動きのあるアニメだからこそかっこよく描くことが出来た。
二次試験の迷宮攻略で、最後にフリーレンの複製体にフリーレンとフェルンが挑んだ魔法戦争の場面など、映像だとやっぱり引き込まれたからね。
そもそも外連味が違うw
なので、原作を読みながらつくづく良かったなぁ、と感じたのは、アニメを経由してキャラの動きや言葉遣いがすでに脳内にインストールされているので、マンガの貧相なアクションでも勝手に脳内補完してくれるようになったこと。
むしろこのシーンはアニメだったらどう表現するのか?というのが密かな楽しみになってしまうくらいw
最後に、さっき、フリーレン一行は中立サイド、という言い方をしたけど、その自由人のフリーレンの行動原理にいまだに大きな影響を与えているのが、なくなった勇者ヒンメル、というのがなんともニクらしいw
ヒンメルは完全に、この物語における善の象徴。
まさに、勇者の誉。
感情の起伏が少ないエルフのフリーレンが、それでも義侠心にかられて動いているように見えるのも、常にフリーレンがヒンメルのかつての言動を振り返っているからなんだよね。
その意味では、フリーレンは、ヒンメル教の使徒、といってもよい。
それくらい、ヒンメルの教えが、今世界の善心を支えている。
ヒンメルこそがこの世界の道徳。
「なろう」の世界では、いつの間にか「勇者」といえばすっかり嘲笑の対象になって大抵の場合は「勇者(笑」になってしまったけど、そうし悪習を大いに覆すくらい、この物語における「勇者ヒンメル」は勇者してる。
そのあたりも安心して読み進められる理由の一つ。
ホント、久しぶりに出会えた良質のファンタジーだよ、この『葬送のフリーレン』という作品は。
ということで、続きが楽しみだよ、原作連載も、アニメ続編もw
そしたら、あっという間に読み終わった。
恐ろしいくらい、ストレスのない作品で、サクサク読み進めることができた。
で、確かに、これは面白い。
なんか、ちょっと前にフリーレンが過去に戻ってヒンメルたちとまた冒険をしている、とかいう話を耳にしてしまっていたので、なんだそりゃ、と思っていたのだけど。
実際に読んでみれば、それは、フリーレンが過去に戻った、ということよりも、むしろ、女神の力はそれくらい不可思議で超越している、ってことを表すためのエピソードだったので、なるほどなー、と思った。
これ、まるまるちゃんとしたファンタジーで、構成としては、『進撃の巨人』に近い。
だって、これ、多分、フリーレンがフェルンたちと旅を始めた「ヒンメルたちとの冒険の旅路をもう一度たどりながらヒンメルたちの死に対してきちんと喪に服す」という動機はあくまでも物語を進めるうえでの表の理由であって、物語の本当の目的はきっと、フリーレンたちが住む魔法世界が成立した理由を探求する話のように思うから。
『進撃』であれば、巨人の駆逐が当初の目的だったのが、いつの間にか、巨人の来歴からユミルの民を巡る世界の話に変わってしまったのに近い気がする。
フリーレンの場合は、巨人の秘密に相当するのが、魔法が存在する理由、ってことかな。
だから、系統の異なる魔法を操る魔族の話が出てきたり、根源としての女神の存在が結構語られたり、ということになる。
『進撃』との並行性は、最新話において、同じ人間同士のあいだで、帝国と魔法協会のあいだで争いが生じる、という流れで、これ、まるまる『進撃』のマーレ編、つまり、マーレとエルディアの対立の話をなぞってるように見える。
そして、その「人対人」のいやらしい戦いを描くためにキャラとして必要だったのが、ゼーリエ麾下の一級魔法使いだった、という流れかな、と。
なので、当初あった、フリーレンののんびりした旅路からずいぶん遠くまで来ちゃったなぁ、というのが最新話あたりを読んでの率直な感想。
だって結局、魔法を巡る政争まみれの物語になってしまったからw
で、その過程で、帝国側と魔法教会側で語られるのがきっと「魔法とはなにか」に連なる評価や意見、情報になるのだろうな。
で、その政争のあいだで、一種の中立サイドとしての位置を占めるのが、名前の指し示す通り「自由人」であるフリーレンとその一行、という流れ。
うまいといえばうまい。
さらにうまいのは、フリーレン一行のフェルンが一級魔法使いになってしまったから、放っておいてもフリーレンの耳には、魔法協会の動きが伝わってしまうこと。
で、弟子であるフェルン想いのフリーレンは、なんだかんだいって巻き込まれるし、関わろうとする。
師匠フランメの師匠だったゼーリエが総帥という因縁もあるし。
ゼーリエとフリーレンが、同じエルフでも違う哲学を持っている、というのもある。
なので、物語的にはいろいろな「物語起動因子」が随所に埋め込まれていて面白い。
だって、人間vs人間が幹の物語になったら、絶対魔族がどちらかにつこうとするに決まってるし、もしかしたら、魔族ではない第3勢力も現れるかもしれない。
そういうときにこそ、どこにも所属しない風来坊のフリーレンの一行が意味を持つ。
ゼーリエも、そうした動きを見越してわざとフリーレンを魔法教会出禁にしたのだと思う。
好敵手だからこそ相手の動きを信じられる、ってやつだね、きっとw
・・・ということで、これは面白い、とても面白い。
しかし、聞いていたことではあるけれど、原作のマンガには、およそアクションシーンというものがない。
全ての絵が、静止画のイラストなので、戦闘場面があっても、全く動きがないし、なんだったら、次のコマであっさり戦闘が終わっていたりすることもしばしばw
だから、気分的には、紙芝居とか絵本とか。
物語はしっかり練られているから、むしろ、全ページイラストがついたラノベ、って言ったほうがいいかもしれないw
なので、アニメスタッフは本当に優秀で、その貧弱なアクションシーンを思い切り動かしたことで、フリーレンという作品の中にあったけど隠れていた魅力を引き出した、という感じw
まさに、メディアの違いを意識せよ!だね!
これもまた『進撃』に似ていて、立体機動装置の凄さはアニメになって初めてわかった、ってのに近い。
エレンやリヴァイがグリグリ飛び回るさまの凄さは、原作の漫画では全然伝わってこないけど、それがアニメだと、文字通り目を見張る物になった。
同様に、『フリーレン』の場合も、魔法戦闘の凄さは、動きのあるアニメだからこそかっこよく描くことが出来た。
二次試験の迷宮攻略で、最後にフリーレンの複製体にフリーレンとフェルンが挑んだ魔法戦争の場面など、映像だとやっぱり引き込まれたからね。
そもそも外連味が違うw
なので、原作を読みながらつくづく良かったなぁ、と感じたのは、アニメを経由してキャラの動きや言葉遣いがすでに脳内にインストールされているので、マンガの貧相なアクションでも勝手に脳内補完してくれるようになったこと。
むしろこのシーンはアニメだったらどう表現するのか?というのが密かな楽しみになってしまうくらいw
最後に、さっき、フリーレン一行は中立サイド、という言い方をしたけど、その自由人のフリーレンの行動原理にいまだに大きな影響を与えているのが、なくなった勇者ヒンメル、というのがなんともニクらしいw
ヒンメルは完全に、この物語における善の象徴。
まさに、勇者の誉。
感情の起伏が少ないエルフのフリーレンが、それでも義侠心にかられて動いているように見えるのも、常にフリーレンがヒンメルのかつての言動を振り返っているからなんだよね。
その意味では、フリーレンは、ヒンメル教の使徒、といってもよい。
それくらい、ヒンメルの教えが、今世界の善心を支えている。
ヒンメルこそがこの世界の道徳。
「なろう」の世界では、いつの間にか「勇者」といえばすっかり嘲笑の対象になって大抵の場合は「勇者(笑」になってしまったけど、そうし悪習を大いに覆すくらい、この物語における「勇者ヒンメル」は勇者してる。
そのあたりも安心して読み進められる理由の一つ。
ホント、久しぶりに出会えた良質のファンタジーだよ、この『葬送のフリーレン』という作品は。
ということで、続きが楽しみだよ、原作連載も、アニメ続編もw