今季の中盤で一時期なんか盛り上がっていたので、そのまま追いかけてとりあえず最後まで見たけど。
なんかものすごい「ネタもの」だったね。
別にロボットものには何の思い入れもないけど、ここまで「巨大ロボットもの」というジャンルそのものを全部ネタにして一つの話にするのは凄い。
ただ、それで面白いかどうかといえば、微妙・・・としかいいようがなかった。
いちいちその引っかかったところに触れようとすると、まさに「ネタもの」として作った制作者たちの術中にはまることになるので、控えるけどw
とはいえ、最終回の、とにかく「みんなで」「がんばれば」「勢いでなんとかなる」という構成は、さすがに気持ち悪かった。
いまさら、ベタな精神論ですか?
なんか所詮、日本のアニメなんて、こじらせた大人子どもがいつまでも画面に向かって一人で情念を飛ばす愛玩物だろ、って開き直っているようにも見えて。
まぁ、とにかく制作サイドがポリコレコードが大嫌いで憤っていることだけはよくわかった。
そういうところが透けて見えるくらい開き直ってるので一層気持ち悪い。
ロボットものというジャンルが死に体にあるからこそ、もうなりふりかまわず全部盛りしました! という感じで、いろいろと関係者の悲鳴が聞こえてくるくらい。
まぁ、それをいったら、そもそも巨大ロボが初っ端から普通に喋ってドヤ顔しているんだから、こんなの虚構に決まってるんだから、いちいち細かいこと気にすんなよ、ってことなんだろうけど。
ただ、そうやっていきなり開き直ることで何でもありにして、ついでにポリコレコードも全部ぶっ壊していくのっては、さすがにお行儀が悪くないかなぁ。
そういう意味では、第1話の冒頭を思い切り「リアル戦闘」に振り切った描写で始めておきながら、唐突にトランスフォーマーばりの生命体のようなロボットを降臨させる、というのは演出的にはありだけど、後々の展開を考えると、悪意があるなぁ、と最後まで見たら思った。
というわけで、終わってみれば、ただの勢いだけの悲しい作品だったな、と思った。
多分、ロボも物語もトンデモ展開でハイパー・インフレしていくところは、思い切り『グレンラガン』あたりを参考にしているのだろうけど、まったくあのレベルには届いておらず、下手くそなパロディ止まりだった。
きっと『グレンラガン』の場合は、ハイパー・インフレしていくことの必然として、シモンの成長と螺旋力、その結果として、個人の意志が世界を変える力になる、というトンデモ変換を信じられる構図にしていたからなんだろうな。
それをブレイバーンはただの「勢い」だけの精神力と、宇宙から飛来したトンデモテクノロジーに何の説明も与えず便利に使えるブラックボックスとしてそこに置いていただけだったので、何が起こっても苦笑いするしかないものになってしまった気がする。
その結果が、物語的にも視覚的にもとにかく気持ち悪いオカルトもどきの作品で終わってしまった。
なんでこんなもの、作ろうと思ったんだろうと思うし、
こんなものしかつくれないようなら、真面目な話、ロボットものってジャンルはもう終わりなんだろうな、と思ったかな。
いや、もうずいぶん前からそうなのだろうし、そのこと自体にどうこういうつもりもないけど。
ただ、物語として相当気持ち悪くて不快だっだ(特に最終話)。
いや、まじで酷かったよ、これ。
なんかものすごい「ネタもの」だったね。
別にロボットものには何の思い入れもないけど、ここまで「巨大ロボットもの」というジャンルそのものを全部ネタにして一つの話にするのは凄い。
ただ、それで面白いかどうかといえば、微妙・・・としかいいようがなかった。
いちいちその引っかかったところに触れようとすると、まさに「ネタもの」として作った制作者たちの術中にはまることになるので、控えるけどw
とはいえ、最終回の、とにかく「みんなで」「がんばれば」「勢いでなんとかなる」という構成は、さすがに気持ち悪かった。
いまさら、ベタな精神論ですか?
なんか所詮、日本のアニメなんて、こじらせた大人子どもがいつまでも画面に向かって一人で情念を飛ばす愛玩物だろ、って開き直っているようにも見えて。
まぁ、とにかく制作サイドがポリコレコードが大嫌いで憤っていることだけはよくわかった。
そういうところが透けて見えるくらい開き直ってるので一層気持ち悪い。
ロボットものというジャンルが死に体にあるからこそ、もうなりふりかまわず全部盛りしました! という感じで、いろいろと関係者の悲鳴が聞こえてくるくらい。
まぁ、それをいったら、そもそも巨大ロボが初っ端から普通に喋ってドヤ顔しているんだから、こんなの虚構に決まってるんだから、いちいち細かいこと気にすんなよ、ってことなんだろうけど。
ただ、そうやっていきなり開き直ることで何でもありにして、ついでにポリコレコードも全部ぶっ壊していくのっては、さすがにお行儀が悪くないかなぁ。
そういう意味では、第1話の冒頭を思い切り「リアル戦闘」に振り切った描写で始めておきながら、唐突にトランスフォーマーばりの生命体のようなロボットを降臨させる、というのは演出的にはありだけど、後々の展開を考えると、悪意があるなぁ、と最後まで見たら思った。
というわけで、終わってみれば、ただの勢いだけの悲しい作品だったな、と思った。
多分、ロボも物語もトンデモ展開でハイパー・インフレしていくところは、思い切り『グレンラガン』あたりを参考にしているのだろうけど、まったくあのレベルには届いておらず、下手くそなパロディ止まりだった。
きっと『グレンラガン』の場合は、ハイパー・インフレしていくことの必然として、シモンの成長と螺旋力、その結果として、個人の意志が世界を変える力になる、というトンデモ変換を信じられる構図にしていたからなんだろうな。
それをブレイバーンはただの「勢い」だけの精神力と、宇宙から飛来したトンデモテクノロジーに何の説明も与えず便利に使えるブラックボックスとしてそこに置いていただけだったので、何が起こっても苦笑いするしかないものになってしまった気がする。
その結果が、物語的にも視覚的にもとにかく気持ち悪いオカルトもどきの作品で終わってしまった。
なんでこんなもの、作ろうと思ったんだろうと思うし、
こんなものしかつくれないようなら、真面目な話、ロボットものってジャンルはもう終わりなんだろうな、と思ったかな。
いや、もうずいぶん前からそうなのだろうし、そのこと自体にどうこういうつもりもないけど。
ただ、物語として相当気持ち悪くて不快だっだ(特に最終話)。
いや、まじで酷かったよ、これ。