なんだか、タイトルがもの凄く長いなー、
素直に『猫物語(白)』でイイじゃニャイかw
いやー、いいね、ブラック羽川w
まぁ、本作では、むしろ、ホワイト羽川、って方があってるんだけどね。
でも、ブラックの方の命名者の忍野メメがいないからしょうがないよね。
原作読んだ時も、笑ってしまったけど、
忍云うところの、
「ターミネーターとターミネーター2との違いじゃなw」
というのは、マジメに言い得て妙なところでw
結局、原作でも、この学習塾跡炎上事件の顛末はまだわからずじまいなわけだが、しかし、忍とホワイト羽川の組み合わせは、なんかこう、以前の仇敵どうしが手を組む・・・というような展開で、何気に胸熱だったりするw
にしても。
原作は全部、読んでるほどの、多分、普通にいえばかなりの西尾フリークではあるのだけど、しかし、この〈物語〉シリーズ セカンドシーズン(←やっぱ、なげ―よ!)を見ていると、このシリーズは、ホント、西尾維新が、ファーストシーズンの成功、もっといえば、シャフトによるファーストシーズンの映像化を受けて、というか、それに触発されて、続きを書いた、ということがよーくわかる。
だって、セカンドシーズンの原作が、ファーストと比べて、シナリオのような、会話とト書きの連続のような構成だったのは、もう、この映像化を端から前提にしていたからでしょ?というようにしか思えないから。
(で、その反動が、『悲鳴伝』から始まる空々くんの、延々内面描写が続く作風だよね)。
つまり、セカンドシーズンは、シャフト解釈の『化物語』に基づいた、西尾維新自身による二次創作なんだよ。
だから、羽川がガハラさんの髪型や容姿が、全く変わってしまいもするわけで。
そして、どう考えても、映像で見ると、セカンドの方の羽川の方が百倍いいよね。
行動的にみえて。
(まぁ、神原のおさげ・・・はどうかと思うがw)
あと、微妙にガハラさんとの間で、阿良々木くんを巡るナンバーワン、ナンバーツーのポジションを取り合っているところも。
というかさ、ホワイト羽川が実際に動くのを見て思ったけど、ガハラさんと違って、依然として怪異を身に宿している羽川の場合、実は、怪異の側になることによって、直接的に阿良々木くんの増援として、前線に立てるんだよね。
これは、おもし蟹を既に祓ってしまったガハラさんが怪異自体をもう直接見たり触れたりすることはできないのと大違い。そのため、ガハラさんは、セカンドシーズンでは、むしろ後方の司令塔役のような配置になる。
まさに、羽川と好対照をなすわけで。
たとえば、羽川ならば八九寺と遭遇することも可能になるわけで。
この怪異との距離感の違いが、それぞれのキャラクターのできること、なすべきことに、制約条件として働くところが面白い。
もちろん、怪異を身に宿して・・・、という意味では神原と被るところもあるのだけど、そこは、神原の存在を臥煙の血筋、という、セカンドシーズン(というかファイナルシーズン)のラスボス的存在と繋げてしまうことで、位置づけを変えてしまった。
まぁ、だから、羽川のポジションは、阿良々木くんを「勇者」だとすれば、さしずめ、「女騎士」のポジションというわけで。実は、一番のバディ、ってことだよね。
で、ガハラさんが、後方で勇者の帰りを待つ「姫」の位置づけ。
そして、姫は、戦闘力ではなく政治力で勇者を支援する。
それは、後で、貝木泥舟との関わりで遺憾なく発揮される。
で、そうした、羽川やガハラさん、あるいは神原、忍、八九寺、のような阿良々木くんとの距離をそれぞれ確立したキャラたちに憧れ羨んだ結果が、千石のラスボス化(というか、中ボス化)に繋がるわけで。
・・・という具合に、やっぱり、セカンドシーズンはよくできた二次創作。
というか、シリーズ全体が、『ターミネーター2』のような変化を遂げているといえる。
そして、それは、西尾維新がシャフトの映像に当てられたから、だと思う。
だって、ここまでのガハラさんと羽川の会話劇なんて、そのまま、ファーストシーズンのオーディオコメンタリーでしょw
あのオーディオコメンタリー自体、西尾維新が書いたということなので、きっと、もうその、オーディオコメンタリーを書くノリのままで記してしまったのが、セカンドシーズンってことだと思うのだよね。
なので、現在進行形のファイナルシーズンにしても、絶対、シャフトで映像化されることが前提なのだろう。
突如刊行された『暦物語』なんて、きっとブルーレイ化された時の特典映像として各話15分ぐらいで映像化されるのだよ!、きっとw
それにしても、セカンドシーズンの羽川はいいなー。
猫もいい。
このノリでずっと行ってくれるといいな、ホントに。
ということで、セカンドシーズン、最高だぜ!
素直に『猫物語(白)』でイイじゃニャイかw
いやー、いいね、ブラック羽川w
まぁ、本作では、むしろ、ホワイト羽川、って方があってるんだけどね。
でも、ブラックの方の命名者の忍野メメがいないからしょうがないよね。
原作読んだ時も、笑ってしまったけど、
忍云うところの、
「ターミネーターとターミネーター2との違いじゃなw」
というのは、マジメに言い得て妙なところでw
結局、原作でも、この学習塾跡炎上事件の顛末はまだわからずじまいなわけだが、しかし、忍とホワイト羽川の組み合わせは、なんかこう、以前の仇敵どうしが手を組む・・・というような展開で、何気に胸熱だったりするw
にしても。
原作は全部、読んでるほどの、多分、普通にいえばかなりの西尾フリークではあるのだけど、しかし、この〈物語〉シリーズ セカンドシーズン(←やっぱ、なげ―よ!)を見ていると、このシリーズは、ホント、西尾維新が、ファーストシーズンの成功、もっといえば、シャフトによるファーストシーズンの映像化を受けて、というか、それに触発されて、続きを書いた、ということがよーくわかる。
だって、セカンドシーズンの原作が、ファーストと比べて、シナリオのような、会話とト書きの連続のような構成だったのは、もう、この映像化を端から前提にしていたからでしょ?というようにしか思えないから。
(で、その反動が、『悲鳴伝』から始まる空々くんの、延々内面描写が続く作風だよね)。
つまり、セカンドシーズンは、シャフト解釈の『化物語』に基づいた、西尾維新自身による二次創作なんだよ。
だから、羽川がガハラさんの髪型や容姿が、全く変わってしまいもするわけで。
そして、どう考えても、映像で見ると、セカンドの方の羽川の方が百倍いいよね。
行動的にみえて。
(まぁ、神原のおさげ・・・はどうかと思うがw)
あと、微妙にガハラさんとの間で、阿良々木くんを巡るナンバーワン、ナンバーツーのポジションを取り合っているところも。
というかさ、ホワイト羽川が実際に動くのを見て思ったけど、ガハラさんと違って、依然として怪異を身に宿している羽川の場合、実は、怪異の側になることによって、直接的に阿良々木くんの増援として、前線に立てるんだよね。
これは、おもし蟹を既に祓ってしまったガハラさんが怪異自体をもう直接見たり触れたりすることはできないのと大違い。そのため、ガハラさんは、セカンドシーズンでは、むしろ後方の司令塔役のような配置になる。
まさに、羽川と好対照をなすわけで。
たとえば、羽川ならば八九寺と遭遇することも可能になるわけで。
この怪異との距離感の違いが、それぞれのキャラクターのできること、なすべきことに、制約条件として働くところが面白い。
もちろん、怪異を身に宿して・・・、という意味では神原と被るところもあるのだけど、そこは、神原の存在を臥煙の血筋、という、セカンドシーズン(というかファイナルシーズン)のラスボス的存在と繋げてしまうことで、位置づけを変えてしまった。
まぁ、だから、羽川のポジションは、阿良々木くんを「勇者」だとすれば、さしずめ、「女騎士」のポジションというわけで。実は、一番のバディ、ってことだよね。
で、ガハラさんが、後方で勇者の帰りを待つ「姫」の位置づけ。
そして、姫は、戦闘力ではなく政治力で勇者を支援する。
それは、後で、貝木泥舟との関わりで遺憾なく発揮される。
で、そうした、羽川やガハラさん、あるいは神原、忍、八九寺、のような阿良々木くんとの距離をそれぞれ確立したキャラたちに憧れ羨んだ結果が、千石のラスボス化(というか、中ボス化)に繋がるわけで。
・・・という具合に、やっぱり、セカンドシーズンはよくできた二次創作。
というか、シリーズ全体が、『ターミネーター2』のような変化を遂げているといえる。
そして、それは、西尾維新がシャフトの映像に当てられたから、だと思う。
だって、ここまでのガハラさんと羽川の会話劇なんて、そのまま、ファーストシーズンのオーディオコメンタリーでしょw
あのオーディオコメンタリー自体、西尾維新が書いたということなので、きっと、もうその、オーディオコメンタリーを書くノリのままで記してしまったのが、セカンドシーズンってことだと思うのだよね。
なので、現在進行形のファイナルシーズンにしても、絶対、シャフトで映像化されることが前提なのだろう。
突如刊行された『暦物語』なんて、きっとブルーレイ化された時の特典映像として各話15分ぐらいで映像化されるのだよ!、きっとw
それにしても、セカンドシーズンの羽川はいいなー。
猫もいい。
このノリでずっと行ってくれるといいな、ホントに。
ということで、セカンドシーズン、最高だぜ!