夜のヴェッキオ橋です。1944年のナチスの爆撃を免れた唯一の橋です。ここだけは破壊してはならぬとヒトラーが命令したという説と、ドイツ軍将校が爆破命令に従わなかった説があるそうです。(ロンリープラネット日本語訳本p484)
アッシジの次は世界的観光地のルネサンス都市、フィレンツェでした。
以下は2006年1月20日の再録です。
1996年5月フィレンツェのシニョーリア広場で私はサヴォナローラが火刑された場所を探していました。なかなか見つかりません。団体旅行ですから時間があります。慌てて現地ガイドをつかまえてその場所を聞きました。その円形の石版は雑踏の観光客の足元にありました。(写真)
ドメニコ派の修道士であったサヴォナローラは15世紀後半フィレンツェの享楽と堕落を非難し、その中心であったロレンツォ・ディ・メディチや時の法王(教皇)を罵倒しました。
そのため1498年この広場で彼は火刑に処せられました。この有様をボッティチェリ、マキャベリー、ミケランジェロが見ていました。
フィレンツェへ旅行の機会があればイタリア・ルネサンスの別の一面に想いをめぐらし、観光客の足元で今では殆ど振り返られることもないこの石版をご覧になることをお勧めします。
フランシスコ会は「清貧」が売り物?で私たちにもそれが一般的なイメージです。しかしわたくしは別のイメージを持ちます。
2010年11月9日に以下のようなことを書いています。(一部修正追加)
「**** 日本の神社仏閣は鬱蒼とした木々に包まれているし、ちょっとした林をよく見ると祠があり神仏が祭られている風景は今はだいぶ少なくなりましたが、かってはよく見られました。東南アジア、日本では自然と共に神仏があります。自然が神仏でもあります。
しかし、キリスト教の教会やイスラーム教のモスクでは全く自然は排除されています。皆さん、木々に囲まれた教会、モスクを見られた方がいらっしゃいますか。無いですね。
キリスト教、イスラーム教では「神」「人」「自然」は全く互いに隔絶した存在です。以前私はヨーロッパを旅行していて林に祠などが無いかとキョロキョロしてみました無駄でした。
自然と神とのかかわりを描いた宗教画は私の記憶ではイタリア、アッシジにあるジョットの作品「小鳥への説教」(自然より人間が偉い、そして人間が自然を支配する)だけですが、それでも自然とのかかわりを描いた数少ない宗教画だと思うのですが****」
というわけでフランシスコ会は自然とのかかわりを比較的大切にするキリスト教の中でも珍しい宗派だと思います。写真は撮影禁止だったのか手元にないのでウィキペディアからの借用です。
ローマからアッシジに向かいました。アッシジは「フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。フランチェスコの名を冠した聖堂やフランシスコ会関連施設は」として世界遺産に登録されている」(ウィキペディア)
わたくしも古代ローマの愚民になって「サーカス(娯楽)」を楽しんだ気分に浸りました。
その後ジプシー(ロマ人)に用心などの注意があってヴァチカンに行きましたが、紹介済みなので省略。(カテゴリー「ヴァチカン」)
古代ローマ社会を揶揄した言葉に「パンとサーカス(娯楽)」があります。支配者は愚民には「パンとサーカス」を与えておけば支配できるということです。その市民懐柔政策としてAD80年に建設されたのが5万人を収容できたこの「コロセウム」でした。剣闘士が有名ですが、意外に知られていないのがこの競技場に水を張って海戦をおこなっていたことです。
奴隷(奴隷ではない剣闘士もいたようです)剣闘士スパルタクスの反乱はBC73~71ですからこのコロセウム建設以前から剣闘士はいたようですね。ついでに余談話をもう一つ。剣闘士の戦いで相手を殺すまで戦うことは20%ぐらいで途中に奴隷所有者が負けを認めて試合を終わらせることが多かったそうです。