100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「イエメンとサダム・フセインについての伊藤さんからの寄稿」

2007年04月25日 09時15分14秒 | 伊藤氏寄稿文

 も一つは、以前紹介した「ユーラシア旅行社」の添乗員で私が中米でお世話になった伊藤三智夫さんからの寄稿と写真です。新聞社の特派員も書かない(書けない)貴重なイエメンの話です。

 なお、文中の人名については私の判断でAさんと変更しました。今後とも堪能な語学力、豊富な知識、あくなき好奇心でこのような話を寄稿していただけることになっているのでご期待ください。

 なお、2005年11月11日のアイルランド原爆追悼碑について当局への照会していただき、その返事を2007年2月26日に記載しています。またエルサルバドルでのデモ隊のビラの翻訳、アメリカ合州国のヒスパニック化についてもコメントをいただいています。(2007年2月4日、2007年2月10日) 伊藤さんありがとうございました。今後ともよろしく。

 「昨年末、イラクで起こったサダムフセイン前イラク大統領に対して執行された突然の死刑には驚かされたけど、イエメンでのサダムフセインの人気にはもっと驚かされた。

 中近東ではどこの国でも自国の大統領であったり、首相であったり、国王であったりの写真を町で見かけることがあるけどイエメンではサダムの写真をいたるところで目にした。 イエメンはアメリカとは友好関係にあるので政府はサダムに対して冷淡だけど一般庶民のサダムに対する同情はとても大きかった。

 乗用車のウィンドウ、お店の壁などにサダムのニコニコした顔のポスターが貼ってありサダムのポスターやプロマイドみたいなものを売る店まである。  

 今回同行してもらったAさん(50歳、7人の子持ちで一番上の娘さんは今年結婚孫が最近生まれた。リベラルなミドルクラス。)に質問してみた。 イエメンの庶民はAさんもふくめサダムには深く同情している。サダムはアラブ人で最も偉大な英雄の一人だそう。なぜならアメリカに異をとなえて、しかも戦ったから。他のアラブの政治家がアメリカに文句ひとついえないなかサダムだけがアメリカにノーを突きつけた。またパレスチナの難民を支援している。

 イエメン人に言わせると、サダムが評判悪いのは欧米のプロパガンダ(悪宣伝)のせい。 イエメン人の多くは、2001年9月11日のNYのテロもアメリカとイスラエルの自作自演と信じている人が多い。新聞でそんな記事を目にしたことがあったけどまさか自分の耳で聞くとは思っていなかった。

  こんなこと書くとイエメンは理解しがたく怖いようだけど、イエメン人はとても親切でフレンドリーな人ばかりだった。イエメンから帰ってきても彼の国に対する印象はものすごくいい。Aさんとチャイを飲みながら話したことが非常に印象に残っているのでここで思い出してみました。 」


平生三郎公園についての東洋紡からの寄稿

2007年04月25日 08時59分40秒 | エルサルバドル

 23日に帰宅しましたが、その間にかねてから依頼をしていた2通の寄稿をいただきました。そこで本日はそれを掲載させていただきます。 

 最初は、2007年4月14日に紹介したエルサルバドルの平生三郎公園について東洋紡広報室の三谷直子さんからいただいた写真と文章です。そのまま転載します。三谷さんありがとうございました。  

 「昭和30年呉羽紡(後に東洋紡と合併)は、エルサルバドルへ進出し、ユサ社を設立しました。まだ、エルサルバドルには日本大使館もない時代です。  呉羽紡でエルサルバドル進出に心血を注ぎ、身命を賭したのが平生三郎(後の東洋紡副社長)です。平生は、昭和48年、東洋紡ブラジルへの出張の帰路エルサルバドルに向かう途中に急逝しました。  平生の功績を讃えるため東洋紡は、『ヒラオ・サブロー公園』の建設費用を寄付しました。  庭園の銅版には、『この日本庭園は、生前エルサルバドル国の文化と経済の発展のために大きな貢献をされた平生三郎氏の偉業を記念して、エルサルバドル国民が感謝の気持ちをこめて造園したものであり、同氏の崇高な精神と努力の象徴である』とあります。