ひどい悪路をジープでカラーシャ村に向かっていると、大学生のドライブ遠足の一行に出会いました。そのなかに現地ガイドのサリームさんの従兄弟がいました。話をしているとそのなかにカラーシャ族の女性がいました。カラーシャ族との初対面です。彼女はカラーシャ族最初の大学生だそうです。
写真を撮らせてくれましたが、中谷さんの旅日誌によれば「友達の一人が『すっぴんで写真に撮られるなんていい度胸しているな』とからかったせいで走っていってしまいました」。この写真はその走り去る寸前の時のものです。
ひどい悪路をジープでカラーシャ村に向かっていると、大学生のドライブ遠足の一行に出会いました。そのなかに現地ガイドのサリームさんの従兄弟がいました。話をしているとそのなかにカラーシャ族の女性がいました。カラーシャ族との初対面です。彼女はカラーシャ族最初の大学生だそうです。
写真を撮らせてくれましたが、中谷さんの旅日誌によれば「友達の一人が『すっぴんで写真に撮られるなんていい度胸しているな』とからかったせいで走っていってしまいました」。この写真はその走り去る寸前の時のものです。
前々回、前々前回にカラーシャ族の服装について紹介しましたが、なかなか特徴のある民族なので世界でも初公開と思われる写真とともに以後数回にわたって記載します。
居住地は2008年6月26日の地図にあるブンブレット谷とあるところです。これで分かるとおりアフガニスタンに接した峻険な山岳地帯です。地図にはブンブレット谷とだけありますが、その他ルンブール谷、ビリール谷と3箇所の谷に約3000人が住んでいます。この地では珍しい非イスラーム教徒で独自の多神教を信じています。周辺のイスラーム教徒からはカフィールと呼ばれていました。このカフィールを私の知っている日本語のすべての文献は異教徒としていますが、私はlonely planet(p41) の”nonbelievers”「神を信じない人たち」のほうが正しいのではないかと思っています。
言語はカラーシャ語でインドヨーロッパ語族に属します。起源、歴史は文字を持たないこともあって不明なことが多いようです。(ごく最近カラーシャのアルファベット作られました)かっては20万の人たちが現在のアフガニスタンとパキスタンにまたがって住んでいましたが、現在はアフガニスタンで強制的にイスラーム教徒にさせられた3000人と、ここパキスタンに旧来の宗教を保持している3000人だけになっています。
このカラーシャの村に入るにはこの地の行政府(チトラール)で許可書をもらわなくてはなりません。パスポートの点検と警察署長との面談です。かなり時間がかかりました。写真はこのときの警察署長さんです。
警察署は暇なようで珍しい外人の周りをたくさんの暇人が取り囲みました。私はアイアム アブドゥラと自己紹介をしました。アブドゥラというのはイスラーム圏ではよくある名前で{神の奴隷}という意味です。この冗談が通じたのか飲み物をおごるというのでビールといったら断られました。(イスラーム圏ではアルコール厳禁)添乗員の中谷さんの旅日誌には「さすがにたくましい皆さん、警察訪問を少し楽しんでおられる方も??」と書かれていましたが、どうやら私のことだったようです。
入村料が必要で一人200ルピー(1ルピー=2円)払いました。