写真はここに勉強に来ていた子供たちです、しかし来場者は少なく中は閑散としていました。そしてこの建物には虐殺記念館を表示するような標識はありませんでした。私は記念館を示すものを見つけて撮影しようとキョロキョロしましたがだめでした。何も知らない人がここの前を通ってもそれとはわからないでしょう。 館内の撮影禁止と、私自身がこのようの事柄を直視でない臆病者なので中の様子を紹介しませんが、かつて人類史上に起きた各地の虐殺事件が多く展示されているのが印象的でした。ナチのユダヤ人虐殺、カンボジアの虐殺、ボスニアの内戦など。人間とは何者なんですかね?
ウガンダの次の訪問国はルワンダでした。人口1000万人にも満たない小さな国ですが、不幸な事柄で世界的に有名になりました。1994年に起きた約3ヵ月間での100万人のルワンダ大量虐殺事件です。 遠因は旧宗主国のドイツ、ベルギーの「分割して統治せよ」の植民地政策でした。同じ文化的背景の同じ民族の中で主に牧畜を営む少数者をツチ(族)とし中間支配階級に、主に農業を営む多数派の人たちをフツ(族)として一段と劣った被支配者民族としたことから始まります。お互い間の通婚も行われていたのですが、独立後も少数派のツチは支配階級として残り多数派のフツの恨みをかい大量虐殺事件になりました。 写真は首都キガリにある、このことを悼む記念館の入り口です。厳重な安全確認ののち入場が許されます。