2003年にスロヴェニア、クロアチア、モンテネグロを訪れその時の話を当時まだこのブログを開いていなかったので友人のホームページの掲示板(現在閉鎖)に書き込みをしました。その時にチトーについて書いた所をここに再録します。
「ユーゴ紛争」1993年(千田善 著)p182 によれば「セルビア民族主義者は、チトーが『クロアチア人』で『戦後のセルビアの発展を妨害した張本人』と毛嫌いしている」。
「故郷のクロアチアでも、チトーは『共産主義者』『クロアチアを弾圧した独裁者』として嫌われている」となっています。と言うわけでチトーは旧ユーゴスラヴィア各国ではもはや嫌われ者になっていると千田氏は述べています。
そこで今回の旅行では現地ガイド全員(6人?)に「チトーを尊敬していますか」という質問をしました。その答えをまとめる前にチトーについて少し復習をしておきます。
ユーゴスラヴィア(以下ユーゴと略記)は1918年多くの民族(問題)を抱えながら一応統一国家としての王国が建国されたが、41年にナチスドイツなどの枢軸国によって消滅しました。45年社会主義にもとづく連邦国家として再建されましたが、91年以降解体が始まり現在、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア・モンテネグロ、マケドニアに分解されました。
さてスロヴェニア人を母、クロアチア人を父とするチトーはユーゴ人民解放軍を結成し「諸民族の友愛と団結」をスローガンにドイツからの解放を呼びかけパルチザン闘争を組織しドイツを追放し、1946年連邦共和国を誕生させ国民の英雄となりました。その英雄が今嫌われ者になっているということなので今回の旅行で前述の質問をしたというわけです。
その質問の対象は全員がクロアチア人、スロヴェニア人でした。全員の答えは”yes”すなわち尊敬しているということでした。なかには”Of course “ 「勿論」、” Good ruler “「よき統治者」という答えまで返ってきました。ただサグレブでの現地ガイドだけはイエスと答えながら微妙なニュアンスがありましたが、それについては次回の枢機卿Stepinac のところで述べたいと思います。その他ボストナイト鍾乳洞のトロッコで隣り合わせになったクロアチア人はいろいろ話してくれ、その殆ど理解できませんでしたが、全面否定ではないようでしたが”He was cruel”「冷酷だった」という言葉だけは耳に入りました。
というわけで、千田氏の「嫌われ者になっている」は正鵠を射ているとは言いがたいと思いました。現地で確認した意義はあったと思っています。もっともセルビアでは多分千田氏の評価とおりになっていると思います。セルビアに行って調べてみたいですね。
というわけで今回セルヴィアを含も旧ユーゴの構成していた国々の人たちに同じ質問をしてみました。今回はかなり多くの人に質問しましたが、前回よりももっと肯定的な回答でした。ただ一人だけチトーのお墓に来ていたスロヴェニア人だけが嫌いという答えでした。
「千田氏の『嫌われ者になっている』は正鵠を得ていない」がよりはっきりしたように思いました。
写真は一人だけ否定的な回答をしたそのスロヴェニア人です。