タクツアン僧院(後記)に登る山道の傍らで見かけた写真です。これは私の推測ですが、21日目のツァツァの奉納の儀式ではないかと思います。
本林靖久氏はこのことについて以下のように述べています。
「ブータンでは遺体や遺骨に対する執着はなく、遺骨を保存し、長く供養する考えをもたないといえよう。しかしながらツァツァの儀礼が行われて以上、ブータン人も遺骨に何らかの意味を与えているようにも思われる。この点については今後の課題としたい」(「ブータンと幸福論」p145)
最近フィリッピンでの遺骨収集のことが話題になったので遺骨に対する日本人の考えについての本林氏の考えをついでに紹介しておきます。
「(日本人は)葬送儀礼においても骨に対する執着が強すぎ、死者の儀礼の行きつくところが、遺骨の処理や保存に囚われすぎではないかと思う」(同上p135)
ついでにも一つ。
「お墓があるのは、仏教国では日本だけである。日本人は仏教と言えば、お墓を連想するほど、仏教にとっては不可欠なもの、仏教の一部だと思い込んで、お墓のない仏教など夢想だにしない。しかし、現在仏教が信奉されているアジアの各地を訪れれば明らかのようにお墓はどこにもない」(今枝由郎著『ブータンから見た日本仏教』p115)