全行程のガイド(スルーガイド)はファティマ(仮名)さんでした。オデッサから来たという彼女に「ウクライナ人?ロシア人?」と尋ねるとアフガニスタン人と答えたのにはビックリしました。添乗員の堤さんも以前から仕事を一緒にしていたにもかかわらず知らなかったようです。彼女の父親は1979年にソビエト連邦に助けを求めた当時のアフガニスタン政府の軍人だったようです。その後事実上敗北したソ連軍は1989年にアフガニスタンから撤退します。その時ソ連邦に亡命したのが父親で彼女が2歳の時でした。多分現在はウクライナ国籍を持ち、もちろんウクライナ語もロシア語もペラペラです。そこで万一を考慮して仮名にし、写真にはモザイクを掛けました。もちろんブログに紹介すると言って了解してもらったつもりですが。
隣の人はウクライナの首都キエフの現地ガイドのナターリアさんです。彼女はロシア人でした。家庭ではロシア語ですが、もちろんウクライナ語も解するバイリンガルです。そのキエフでの最初の観光がウクライナ民族主義運動の英雄であるシェフチェンコ(1814~61)に因んだ場所でした。この写真の背後はシェフチェンコの銅像がある広場で、正面はシェフチェンコの名前のついたシェフチェンコ記念キエフ国立大学です。この時私には何となく、違和感とガッカリ感がありました。ウクライナ民族主義の英雄を二人の外国人?に紹介してもらうことに。もちろんドナルド・キーンさんから日本文学の講義を聞くことには違和感はありませんが、しかし、この場合は偏狭ではないウクライナ人のナショナリズムによるシェフチェンコの熱い話を聞きたかったのですが。
なお、シェフチェンコについては次回に紹介します。