100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「マレーシア・ブルネイ」編 華人(中国人)2 鄭和とブッキ・チナ2

2014年03月31日 08時26分57秒 | マレーシア・ブルネイ

 

 この墓地の麓に鄭和を祀る宝山亭サン・ポ・コン寺院あります。ここを通りかかった時「ここですよ」の声に運動神経の鈍い私はカメラを向けるのが一瞬遅れ、この寺院をとらえることはできませんでした。写真の右上にかすかに見えるのがその一部だと思います。

 


「マレーシア・ブルネイ」編 華人(中国人)1 鄭和とブッキ・チナ1

2014年03月31日 08時23分51秒 | マレーシア・ブルネイ

 マレーシアは多民族国家です。大まかな分類では、マレー系65%、中国系(華人)26%、インド系8%、その他1%です。中国人のこの地への移住は古くからのようですが文献に表れるのは15世紀初頭の明朝永楽帝に派遣された鄭和使節団の来訪です。イスラーム教徒で宦官の鄭和(1371?~1435?)はコロンブスやヴァスコダガマに始まるヨーロッパの大航海時代に先立つこと100年前に彼らの船の10倍ほど大きさの船で7回にわたり南シナ海からアフリカ東岸まで航海をしています。最近の研究では鄭和はコロンブスのよりも前にアメリカに到達し説が発表されているそうです。(「旅行ガイドにないアジアを歩く マレーシア」p85)

 その鄭和がマレーシアのマラッカに入りその地のスルタンに永楽帝の皇女リー・ポーを嫁がせました。その後、マラッカ河の近くの岡が彼女たちの居住地、墓地になりました。そこをブッキ・チナ(中国人の丘)と言います。現在1万2千500以上のお墓が遺されています。

 ツアーではこの地を訪れことにはなっていませんでしたが、お願いして墓地の麓を通っていただきました。