この建物は事件が起きたときの東側にあったイギリス連邦の役所(1713~1776)で1776年の独立宣言はこのバルコニーで読み上げられました。
在米40年の「ハブグレジュンタのマミーさん」から「****3億丁以上のガンがアメリカ中に出回っています。恐ろしい」というコメントを頂きました。アメリカの人口は確か3億1千万でしたよね。
この建物は事件が起きたときの東側にあったイギリス連邦の役所(1713~1776)で1776年の独立宣言はこのバルコニーで読み上げられました。
在米40年の「ハブグレジュンタのマミーさん」から「****3億丁以上のガンがアメリカ中に出回っています。恐ろしい」というコメントを頂きました。アメリカの人口は確か3億1千万でしたよね。
今回の旅の始まりはボストンでした。ボストンはアメリカの歴史上重要な都市です。1620年、ボストン郊外のプリマスにピューリタンが上陸した「ピグリム=ファーザーズ」、1770年「ボストン虐殺事件」、1773年「ボストン茶会事件」などがあります。ところが今回のツアーではいずれもコースに入っていませんでした。そこで特にお願いして「ボストン虐殺事件」の現場にだけには行ってもらいました。日本の高校の世界史の教科書にはこの「ボストン虐殺事件」についてだけは記載がありません。そこで簡単に事件の内容を紹介しておきます。「1770年、ボストンで市民とイギリス駐屯軍と衝突して市民5名が射殺、8名が負傷した事件で独立への機運を加速度的に高めた」
私の手元にアメリカの9歳児以上程度の家庭学習用のアメリカ史の本があります。それによれば「アメリカ革命への道のり」と題した年表風の記載があり、それには6項目が年代順に記載されています。勿論「ボストン虐殺事件」(The Boston Massacre)「ボストン茶会事件」は4項目、5項目にあります。アメリカ人とってこの2つは同程度の重要の事件と認識されているようです。ただ「ボストン虐殺事件」については別ペイジにすこし詳しく記載がありました。もしかすると「ボストン虐殺事件」の方が重要視しされているのかも。そこでその原文を次ペイジに。
写真は「ボストン虐殺事件」現場とその記録プレイトです。