さてそのマウレタニア王家の墓とすれば時代はということになりますが、ローマ属国時代のユバ2世(BC25~AD23)夫妻の墓ということです。その妻というのが、かの有名なクレオパトラの娘セレーネ(BC39~6)ということです。
以上のことは確定説でないせいか、lonely planetには記載がなく「アルジェリアを知るための62章」とウィキペディアがネタ本です。
さてそのマウレタニア王家の墓とすれば時代はということになりますが、ローマ属国時代のユバ2世(BC25~AD23)夫妻の墓ということです。その妻というのが、かの有名なクレオパトラの娘セレーネ(BC39~6)ということです。
以上のことは確定説でないせいか、lonely planetには記載がなく「アルジェリアを知るための62章」とウィキペディアがネタ本です。
周りにもこのように石が散乱しています。「マウレタニア王家の墓」説は定説ではないようですが他の説もあまりはっきりしたものがないようなので、以下この説に従ってこの墓の紹介をします。「マウレタニア国」はこの地に栄えたベルベル人の国家です。BC3世紀ごろから始まり有名なカルタゴがポエニ戦争に敗れてこの王国はローマの属国にAD44年に属州になり消滅します。
タリートの観光がサハラ砂漠の観光の最後でその後、首都アルジェに戻り郊外の観光になりました。その最初の観光が「マウレタニア王家の墓」でした。直径60・9m、高さ32.4m、周囲185.5mの墳丘です。ところが「『マウレタニア王家の墓』と呼ばれる墳丘墓」(「アルジェリアを知るための62章」p46)と記載されているようにそうであるかどうかは確定していないようです。