「米欧回覧実記」(p358)は鐘楼からの景観を以下のように記述しています。「此ノ楼上ニ登リテ臨眺セシニ、『アトリャチック』海『アルプス』ノ山ニ環セラレ、当府ノ衆島ヲ水波ノ中ニ浮ミ出ス、景色甚タ佳ナリ」。この「衆島」の一つがこの写真のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島でしょう。建物は780年に建設が始まり1223年地震で崩壊、1610年再建のカトリックベネディクト派の教会です。モネの絵画にも描かれているそうです。
余談話から。先日20代の若者と話をしていた時、この若者は「ヴェネツィア」と「ヴェニス」とは別の地名だと思っていたと話してくれました。古くからこの表記にはいろいろあるようです。このブログで時々お世話になっている150年前の「岩倉使節団『米欧回覧実記』」(注)にも「『ヴェニェシヤ』府ハ我日本ニテ『ベネチャ』トイヒシハ、即チ此府ノコトニテ、英ニテハ『ヴェニシ』ト云**」(岩波文庫(㈣)p345)と紹介されています。なお「ヴェニェシヤ」は現地の発音に一番近い表記のようです。
(注)1871年から1年10か月にかけて岩倉具視を団長とする明治政府の欧米視察団の久米邦武の報告書。日本人の海外旅行者必読の本だとわたくしは思っています。ジャレド・ダイアモンドの近著「危機と人類」でも絶賛。
この岩倉使節団はヴェネツィアでもっとも有名なサンマルコ広場にある鐘楼に登っています。「寺ノ前ニ建タル鐘楼ハ、高サ百メートルニテ****」(p348)と紹介しています。そこで?わたくしたちも登ってみました。写真はそこの鐘です。ただし岩倉使節団が登った鐘楼は1514年建設で1902年崩壊し、現在のは1921年再建なので我々が登ったのは岩倉使節団の時のそのままとは違います。