景福宮は朝鮮王朝をおこした李成桂(太宗)(在位1392年~1408年)が1394年に建てた王宮です。1592年の文禄の役(韓国では壬辰倭乱)で破壊、1865年再建されました。1895年国王の妃、明成皇后(閔妃)がこの宮殿で日本によって暗殺されました。当時日本とロシアは朝鮮への影響をめぐって互いに対立していました。(結果は日露戦争)その時日本は明成皇后を親ロシアとみなし日本の駐韓公使三浦梧楼の指示を受けた人たちがこの宮殿の坤寧閣に乱入し虐殺しました。
「日韓交流の歴史」は「より深くするために」で以下のように記述しています。
「明成皇后殺害事件の重要性を学んでほしい。日本の朝鮮侵略は、日露戦争から本格化するが、その前に高宗国王の后を王宮内で殺害するという重大事件を起こしている。この事件は、日本の公使が関与していた点が重要で、さらに実行した人物が全員無罪となったという異常な事実も見逃せない」(p386)
三浦梧楼はその後枢密顧問官、宮中顧問官などの要職に就きます。
その殺害現場に碑があるというのでこの宮殿の敷地内を探しました。ところがこの敷地は広大で方向音痴の私は迷子の状態になりました。キョロキョロしているとある建物の前で家族を案内していたお父さん(またはガイド?)のミョンソン(明成)という言葉が聞こえました。どうやらここがそのようです。坤寧閣という字が見えました。間違いありません。こ
の写真では見にくいですが左上にあります。
ところが、ガイドブックにも記載されている明成皇后殺害現場追悼碑を示すようなものは何も見当たりません。最近この辺りが改装されたそうでその際どうやらここにあった碑が撤去されたようです。何故ですかね。
そこで小さい写真ですが岩波ジュニア新書「ソウルで学ぼう」に掲載されているのを思い出し岩波書店に連絡したところ幸い転載を快諾していただきました。それがこの写真です。私のコピー機では拡大ができなく(操作がわからない?)このような小さい画面になりました。
もう一度繰り返します。何故この碑が撤去されたのですかね。日帝による明成皇后殺害という歴史的事実を韓国は消したいのですかね。