意図的に削除されと思われる代表的な場所がソウルにあるパゴダ(タブコル)公園です。ソウルの仁寺洞(インサンドン)商店街の隣り合わせにパゴダ公園があります。この商店街には1時間以上の散策の時間を与えながら、パゴダ公園への案内にはありませんでした。
1910年に日本は韓国を併合しました。
「1919年3月1日(中略)民族代表者33名の名前で独立宣言を発表(中略)ソウルではタプコル(パゴダ)公園に集まった各級学校学生と市民が市街地に出て万歳示威を(中略)」大極旗の波と大韓独立万歳を叫ぶ声全国に***日帝は憲兵警察はもちろん、陸海軍まで緊急出動させた。平和的な示威によって正当な要求を主張したわが民族は、無差別の銃撃によって殺傷**」(国定韓国高等学校歴史教科書日本語版1996年版p405~406)
もちろん日本の歴史教科書にも記述はあります。
「1919年3月1日、ソウルで宗教・文化界の名士数十名による『独立宣言』を発表し、学生・市民を中心に『独立万歳』トンニンマンセをさけぶ示威行動をおこなった。独立運動は軍事弾圧を受けながら全国に広がった」(実教出版高校世界史Bp180)
「三・一運動が集中的に展開された三月、四月の二カ月間、当時の朝鮮の人口の一〇%以上にあたる二百万人が参加し****武力弾圧により7509人が死亡した」(韓国の歴史を知るための66章p264)
そうなんです、パゴダ広場は日本からの独立運動の発祥地なんです。何故、この場所への案内がないのですか。
私は有り余る買い物時間を利用してパゴダ公園に行きました。パゴダ公園には「我々はここにわが朝鮮が独立国ということと、朝鮮人が自由民であることを宣言する」に始まる独立宣言が現在の日本の漢字と仮名表記と同じように漢字とハングル文字で書かれています。 英訳された独立宣言はありますが、なぜか日本語訳がありません。さみしくなりました。よく見れば隣接する商店街には日本人観光客で溢れかえっていましたが、ここには日本人は私をのぞいて一人もいませんでした。悲しくなりました。
現地ガイドとのトラブルで現地手配会社、韓飛旅行社の常務理事の高さんと話をしていた時、彼は「日本人は3・1運動なんか知りませんよ」といいました。日本人として、はずかしく思いながら一方では、何故韓国人は、現地手配会社は、積極的に3・1運動、パゴダ公園を日本人に紹介しようとしないのかと不満と寂しさ悲しさを感じていました。そして日本の旅行会社にも。
日本人の一人として言っておきたいことは日本には前述のように高等学校の歴史教科書にも3・1運動についての記載があります。また韓国からも批判を浴びているかの悪名高い扶桑社の中学校用歴史教科書「新しい歴史教科書」ですら3・1運動との名前こそありませんが「日本は韓国内の反対を、武力で抑えて併合を断行した。(中略)民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた」(市販本 新しい歴史教科書2001年版p240)と書いています。
子供連れの夫婦が子供たちに独立宣言の前で説明をしている光景に出会いました
この公園には各地で日本の官憲に抵抗する民衆の姿を描いた10枚の銅板レリーフがありました。
写真は1919年3月1日午後2時パゴダ公園のチョン・チェヨンの独立宣言書朗読の場面です。
1919年3月23日、はるか遠い済州島でも群衆や学生たちが共にたち、万歳を叫びました。彼らは、丸腰で走り出て日本警察の恐ろしい銃剣と戦い血を流しながら行進を続け、ただ一人も屈することがなかった場面が描かれていました。
韓国のジャンヌダルクといわれている柳寛順ユグアンスンの勇姿もありました。彼女については次回紹介します。
この場所で柳寛順、3・1運動について現地ガイドから熱く語ってもらいたかったですね。そのことによって不快感を覚える日本人はいません。もしいたとしても全くの少数で、むしろ日本人の蒙を開くことの意義の方が大きいと思います。観光業の妨げにもなりません。もし観光業の妨げになると現地手配会社や日本の旅行業者が考えていたとすればそれは大きな間違いです。
私の手元に2003年度版と2009年度版の日本人観光客向けの韓国観光公社の発行したガイドブックがあります。2003年度版にはこの公園の紹介がありますが、なぜか2009年度版では見当たりません。何故ですかね