わたくしが利用した海外旅行はほとんど自由時間がありませんでした。したがってコースにない所の観光はほとんどできません。しかし、関心があるところに行きたいところがあったときには、添乗員または現地ガイドにお願い、少ない自由時間の利用、一同から外れて単独行動という方法があります。それらの方法で「ツアーコースにない所」を観光したところをいくつか紹介します。
イスラエルに黒人のユダヤ教徒がいるのをご存じですか。その起源はエチオピアです。
エチオピアには以前10万人を越す黒人のユダヤ教徒がいました。彼らはファラシャと呼ばれていましたがその意味が「よそ者」「流浪人」であることから当人たちはその言葉を忌避していてベター・イスラエルと呼ぶ場合があります。その起源には種々な説があり不明ですが1975年イスラエル政府がユダヤ教徒(人)と認定してイスラエルへのアリヤー(帰還)が始まりました。最終的には1991年のソロモン作戦(興味のある方は当時のイスラエル大使の筆になる「エチオピアのユダヤ人」(明石書店)をご覧ください。この本の訳者の解説にエチオピアの黒人ユダヤ教徒の起源の記載あります)でほぼ全員のイスラエルへのアリアーが終わりました。
したがって今ではエチオピアにはユダヤ教徒はいないのですが、エチオピア旅行の時その痕跡跡が残っていればと思い、あらかじめ添乗員の安原さんに頼んでおきました。(もちろん観光予定地には入っていません)彼女は現地ガイドにその件をたのんで見ますとの返事でした。(彼女もその存在を知らなかったようです)
その私の希望がかないゴンダール近くで旧ファラシャの村に行くことができました。
写真はこの村の全く廃墟になったシナゴーグ(教会、祈禱所)跡です。ユダヤ人の象徴であるダヴィデの星の印が見えますね。
アリアー後のイスラエルでのこの人たちの境遇は必ずしも幸せではないようです。文化の違いなどによる差別があり日本のマスコミでも差別に対する反対運動などが報ぜられたこともありました。エチオピアに帰りたい人たちもいるとの話も聞きます。また現在もエチオピアにはキリスト教に改宗したユダヤ人もいます。ファシュムラと呼ばれています。彼らは純粋のキリスト教徒でもなくまた当然ユダヤ教徒でもないという中途半端な立場であるようです。現地ガイドのダニエルさん尋ねたところ正確な数字は分からないが5000人程度いるのではないかとのことでした。
マニアックな経験ですね♪
聖書の使徒記の中に、エチオピア人のユダヤ教徒が出て来るので、一世紀当時に黒人系のユダヤ教徒は割と存在した筈です。
マラソンのアベベの時代は存続していた、
エチオピアの皇帝は、ソロモンとシェバの女王の間の末裔〜 という建前ですから
エチオピア・ キリスト教のコプト教の守護者
エチオピアでもユダヤ教徒の生活 は大変だったかと〜
しかし、ユダヤ教徒は選民思想が強く,差別意識が強いので、難しいでしょうね~