「薩摩三名刹」の一つと言われた「一乗院」跡を訪れました。1977年に出版された「鹿児島県の歴史散歩」(鹿児島県高等学校歴史部会著 山川出版)には「西海仏教文化の先進地、一乗院は、583年に百済僧日羅が坊津の丘に***建立して竜磐寺と号したのに始まり、坊津の地名もこれに由来するという」(p118~119)と記せられています。というわけで鮫島さんは現存すれば日本最古のお寺になりますと説明されました。ところが写真の南薩摩市教育委員会の説明掲示板には583年も日羅の名前も記載がありません。「創建年代は不明であるが中世の途中からその実在が明らかになってくる」と書かれていますね。どうもこちらが正しいようです。
なお、日羅(?~583)は実在の人物で朝鮮の百済国に仕えた倭系百済官僚で583年に帰国しています。鹿児島市下福元町にあった一乗院と同じく薩摩三名刹の一つ慈眼寺も日羅の創建とされています。
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