カタコンベ(カタコーム)についてのこの時点(1996年5月16日)でのわたくしの理解は広辞苑(第五版)「古代の地下墓所。特に、ローマの初期キリスト教徒のものが有名で、迫害を避けてここに集まり祈ったという」、高等学校世界史教科書の「キリスト教徒は、ローマ皇帝の迫害に対し、カタコンベ(地下墳墓)にかくれて信仰を守った」(三省堂世界史{B}2003年版p40)、「このような地下墓所は、禁圧されたキリスト教徒の集会場」(山川出版社 詳説世界史p39 2003年版)でした。いずれも「迫害」と「カタコンベ」との関連性が述べられています。この時点での私の理解もこの程度でした。
言語別のグループに分かれての見学でした。日本語のグループがなかったので英語のグループに入りました。写真はカタコンベの内部での皆さん。
しかし、このとき何かおかしいな、と思いました。というのは、アッピア街道という日本では東海道に相当する交通量の多いいところ、気づかれ易いところにわざわざ隠れ場所を作るはずがないということです。目立たない人里はなれたところに作るはずだと。中に入って説明を受けたのですが英語だったので殆ど分かりませんでしたが、迫害の話はなかったような気がしました。
というわけで、日本に帰り色々調べたところこのカタコンベとキリスト教徒迫害とは関係がないことを知りました。なぜ日本の高等学校の世界史の教科書に誤った記載があるのしょう。カタコンベが単なるキリスト教徒の地下墳墓だとすればわざわざ教科書に取り上げる価値はないと思います。
私が調べたかぎりでは一冊だけカタコンベに触れていない教科書を見つけました。「実教出版 高校世界史B 平成14年版」でした。そこでは迫害についても「ローマ帝政は宗教にがいして寛容でキリスト教は下層民や奴隷のあいだで信者を獲得し、上層民の信徒もしだいにふえていった」(P24)どうもこれが真実に一番近いようです。
以上の文章は2005年12月24日に記載したもの(一部修正)です。これに対して以下のような対照的な二方からのコメントをいただきました。
そのほうが納得できます (colo)(元高校世界史教諭)
「 ウーン、そう言われればその通り、なぜ今まで教科書を鵜呑みにしていたのかと我ながら可笑しくなります。人間はだまされやすい・・・」
納得できません (bosch)
納得できません (bosch)
「キリスト教徒はローマのネロ帝による、ローマの大火の責任転嫁やディオクレティアヌス帝によって大迫害を受けました。事実、ペテロ、パウロは殉死しています。カタコンベは本来墓地ではなく、迫害されたキリスト教徒が地下に作った信仰の場所です。303年以降キリスト教の大迫害はなく、その後何度もの会議が重ねられて少しずつ認められていきましたが、キリスト教成立初期の頃はローマの全ての皇帝が寛容だったわけではありません」
そこで (bosch)さんへの説明を兼ねてもう少し詳しくキリスト教徒迫害、迫害とカタコームは無関係ということについて調べたことを紹介することにしました。それは次回に。
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