チョコレートという命名は4月~6月の乾季にその色がグリーンからブラウンに変色することから来ています。
今回で「フィリピン」編を終了します。次回からは中断している「台湾」編を再開します。
付録の余談話。
最近「戦国日本と大航海時代」(平田新著)を読んでいたらフィリピンについて面白い話に出会いました。以下2つ紹介します。
1、「2017年6月、植民地主義者の名前を国名にしていては真のアイデンティティを確立できないとして、フィリピンの下院議員が国名改正法案を提出」(p21)
私はナショナリストではありませんが、他国の王の名前が自国の名前になっているのはおかしい、「フィリピン人」がこれをなぜ問題にしなのかと、かねてから不思議に思っていました。
2、豊臣秀吉のフィリピン総督への恫喝。私もこれについては以前から知ってはいましたが、具体的な文章は知りませんでした。
「1592年11月1日、秀吉はスペイン支配下にあるマニラのフィリピン総督に驚くべき書簡を出していた。***
『その国(フィリピン)は未だ予と親交を有せず。よって予は行ってその地を取らんと欲す。これ旗を倒して予に服従すべき時なり。もし服従すること遅延せば、予は速やかに征伐を加うべし。後悔することなかれ』****
秀吉からのこうした要求に対して、フィリピン総督は慌ててマニラに戒厳令を布き、スペイン国王にメキシコからの援軍派遣を要請***」(p102~103)
なお私見ですが、総督が戒厳令を布くまでに緊張したのは16世紀以前から倭寇として知られている日本の海賊がルソン島北部を拠点として1000人ぐらいが活動していたことが関係しているかも知れません。
以上2項目紹介しました。ちょっと面白いでしょう。
その思い上がりぶりには恥ずかしい気持ちがします。
しかし和寇原因説には同感の思いがあります。
いつも学ばせていただきありがとうございます。
今後が楽しみです。