何故有吉佐和子の文学記念碑が作られたかの説明版です。これを読めば昭和30年(1955)に出された岩波写真文庫の「忘れられた島」との対比での題名ではないかと憶測ができます。この掲示板だけを見ても当時の島のインフラ、生活がどのようであったか、本土との格差、差別は想像できます。
具体的な説明は煩雑になるので省略しますが、電気につてだけ少しデーターを紹介しておきます。黒島に電気がつくのは昭和32年(1957)で終日電気が利用できるようになったのは昭和53年(1978)です。今年54歳になるガイドの山田さんは24時間電気が利用できるようになった当時の感激を熱っぽく語ってくれました。なお、竹島、硫黄島についてもだいたい同じころです。
とすれば前回紹介した「日露戦役(1904~1905)記念碑」当時の黒島の状況は想像に難くありません。このことからだけでもこの碑のメッセージが理解できるのではないでしょうか。
なお、現在は道路、港湾、学校、公共施設などのインフラについては本土とほとんど変わりないように私は感じました。
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