100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「世界の景観、風景」編 モンテネグロ3 メルヘン2

2006年07月16日 08時51分52秒 | モンテネグロ

 同じコルト湾の一部です。北欧などに見られる氷河で作られたフィヨルドのように見えるのですが。

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「世界の景観、風景」編 モンテネグロ2 メルヘン1

2006年07月16日 08時44分53秒 | モンテネグロ

 モンテネグロのコルト湾です。左の島が聖ジョージ教会で右が修道院です。おとぎの世界ですね。 

 前回モンテネグロは日本になじみがないと書きましたが、意外なことで関係がありました。「日本とモンテネグロは(現在)交戦中の敵国」という話です。(以下「ユーゴ紛争」千田善著p158~159) 

 「日本とモンテネグロが交戦状態に突入したのは1904年。ロシア帝国と軍事同盟を結んでいたモンテネグロ王国は、日露戦争が勃発すると、条約にしたがって日本に宣戦を布告した。日本は、ロシアとは講和条約を結んだが、モンテネグロとは『まだ』だ。タネ明かしすると、国際法的には50年代、モンテネグロの後継国家(旧ユーゴ)と国交を樹立する際『交戦状態』は解消している。現地では、『なに、敵国の日本人か』と冗談をまじえ、大いに歓迎された」

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「世界の景観、風景」編 モンテネグロ1ダイアナ妃密会の島

2006年07月14日 08時31分48秒 | モンテネグロ

 最近セルビア・モンテネグロ国から分離独立して192番目の国連加盟国になった人口65万人のモンテネグロ海岸線を独立前の2003年10月に行ってきました。クロアチアのドブロヴニクから1日の日帰りバス旅行でした。モンテネグロへの出入国の手続きはなく国境線の確認も忘れていました。地理は4月2日のこのブログをご覧ください。ドブロヴニクから南東に行ったところです。

 当時から通貨はユーロが公式通貨でセルビアとは一線を画しているようでした。旧ユーゴーでも最貧国とされ、クロアチアでは見かけなかった物乞いの人も見ました。しかし、すばらしい風光明媚な地で今後観光立国として立派にやっていけるように思いました。

 日本になじみが少なく、日本語のガイドブックもないこの国の景勝地を数回にわたって紹介します。世界的に著名なガイドブックLONELY PLANET にもないようです。 

 写真はアドリア海に浮かぶダイアナ妃の密会の島と言われている聖ステファン島です。 島全体が1つのホテルで世界のセレブの保養地です。

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「世界の景観、風景」編 クロアチア アドリア海2

2006年07月12日 09時04分17秒 | バルカン半島

 クロアチアのアドリア海に接した地方をダルマチアといいます。写真はその典型的な風景です。手前が海です。  

 なお「ダルマチア→ダルメシアン」については1月14日のところを参照してください。

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「世界の景観、風景」編 クロアチア アドリア海1

2006年07月12日 08時56分23秒 | バルカン半島

 アドリア海はリアス海岸で風光明媚なところです。この写真は川ではありません、アドリア海です。

 一般的にヨーロッパの魚料理は日本人の口には合いませんが、クロアチアのアドリア海魚料理は大変おいしくいただきました。内陸部の川魚料理もおいしかったです。

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「世界の景観、風景」編 クロアチア ドブロヴニク4

2006年07月10日 08時49分13秒 | バルカン半島

 夕日のドブロヴニクです。

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「世界の景観、風景」編 クロアチア ドブロヴニク3

2006年07月10日 08時46分18秒 | バルカン半島

 ドブロヴニクのメインストリートです。

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「世界の景観、風景」クロアチア ドブロヴニク2

2006年07月08日 08時46分46秒 | バルカン半島

 前のは望遠でこれは通常の写真です。

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「世界の景観、風景」編 クロアチア ドブロヴニク1

2006年07月08日 08時41分30秒 | バルカン半島

 「世界の景観、風景」を再開します。今回のサッカーワールドカップで、すこし身近になったクロアチアのプリトヴィッツエ国立公園が前回の最後でした。(4月4,6日をご覧ください。左の欄のカレンダーの当該月日をクリックしてみてください)

 今回からは同じクロアチアの海岸部の景勝地を紹介します。(地図は4月2日をご覧ください) 最初は“アドリア海の真珠”と呼ばれている景勝地ドブロヴニクです。写真で分かるように今は陸地とつながっていますが、以前は島でした。7世紀ごろ民族移動のさなかこの島に逃げ込んだ人たちからこの町の歴史が始まります。その成り立ちからヴェネチアと似ていますが同じく中世から近世にかけて地中海貿易の覇者でした。(ただし1205年~1358年ヴェネチアの支配下)

 1991年からの内戦で「危機にさらされている世界遺産リスト」にあげられていましたが1994年再び「世界遺産」に登録されました。今では殆ど外部からは戦火の跡は見られません。 人口4万500人の観光だけの町です。

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「ちょっと珍しい」編 インド 孤独な青年?

2006年07月06日 08時47分26秒 | インド

  忘れ得ない写真の1つです。その理由を述べるのは日本語力の乏しい私には難しいことです。状況を述べておきます。ジャイサルメール近くのタール砂漠隣接のステップ地帯です。写真の向こうは茫漠たるタール砂漠です。近くに人家は見当たりません。1人の青年がたった4匹の羊を放牧して写真のようなスタイルで見守っていました。たったこれだけのことです。いろんなことを妄想しました。

 インドはものを考えさす国です。決して忘れることの出来ないシーンでした。

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「ちょっと珍しい」編 インド ラクダ2

2006年07月04日 09時02分09秒 | インド

 タール砂漠ではラクダに乗って1時間ほど散歩しました。ラクダは決してラクデはなく、乗るときは前足から急激に起き上がり、そのため後ろに放り出されるようになり、降りる時は前足を急激に折るので前に突き落とされそうになります。

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「ちょっと珍しい」編 インド ラクダ1

2006年07月04日 08時50分25秒 | インド

 ビカネルというところでラクダの種付けを見ました。メスが前足、後足を縛られての強制種付けでした。メスの悲鳴を(?)聞いて同行の女性が「分かりますわよね。(メスの気持ち)」で同行の一同大爆笑。

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「ちょっと珍しい」インド タージマハル2

2006年07月02日 08時35分39秒 | インド

 タージマハルの前にいたとき父、母、娘の3人連れから写真撮影を頼まれました。その後、母娘と一緒の写真を父親に撮ってもらいました。どちらが母親か、娘か。

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「ちょっと珍しい」編 インド タージマハル1

2006年07月02日 08時27分37秒 | インド

  世界で最も美麗な建築物と言われるアーグラーにあるタージ・マハル廟です。同行の人に撮ってもらった写真です。顔が上手く写らないといわれましたがそのままシャッターを切ってもらいました。巧まずして白と黒のコントラストが鮮やか(?)な名画(?)になりました。

 インド、ムガール朝の5代シャー・ジャーハンが亡き后妃のために1632年から1648年にかけて建設した霊廟です。この霊廟をめぐっての晩年の王の悲話は省略しますがご希望の方はガイドブックなどをご覧ください。

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