西安には温泉と風光明美で有名な華清池があります。唐の玄宗皇帝と楊貴妃(719~756)のロマンスで有名です。楊貴妃がここの温泉で美しい肌に磨きをかけたという話は白居易の長恨歌にあります。(写真1998年フィルム以下同じ)
フートンというのは北京の市街地に残った古の北京の風情を残す町並みです。中国政府は2008年の北京オリンピックまでにこの地域をすべて再開発する方針でしたが、内外からの保存の要望が出てきて該当地域の15%は保存すると決定したとの話をこの時(2006年)聞きました。この地の観光は写真のように自転車タクシーで行います。
Fengdanさんコメント有難うございます。残念ですが「中国シルクロード」もあと残り少なくなりました。
王精衛(1883~1944)にはもっとびっくりしました。彼は孫文の一番の側近でしたが、1940年に日本の傀儡政権南京政府の主席になり典型的な「漢奸」(売国奴)とされている人です。よく見ると林彪(1908~1971、1969年毛沢東の後継者とされたが1971年毛沢東殺害を企て飛行機でソ連逃亡中墜落死した。真相は今なお霧に包まれています)もいますね。
なお、孔子の復活については2008年7月15日に少しふれています。
2006年の中国は西安空港から始まりました。その空港の売店で蒋介石(1887~1975)と題された本を見つけました。ちょっとびっくりしました。彼は中国共産党によって中国本土から追い出され台湾に逃げ込んだ中国共産党にとっては不倶戴天に敵であったからです。もっとも最近では名高い西安事件からの第2次国共合作が評価されつつあるという話は聞いていましたが、彼の息子の蒋経国(1909~1988)の本まであるとは思いませんでした。
「放浪の旅人」さんコメント有難うございました。本当にアルバニアは不思議な国ですね。「放浪の旅人」さんの旅の思い出話を写真と共にこのブログに投稿していただけませんでしょうか。メールアドレスをいただければ(私が確認次第すぐに削除)折り返し連絡します。
3点目
最後にベオグラードの空港で出会ったセルビア人の話。時間待ちで暇なので近くにいたセルビア人にアメリカについてどう思うかと尋ねてみました。答えは彼らは帝国主義者だ、日本も広島、長崎に原爆を落とされたではないか、でした。写真撮影は断られました。
以上でコソボで始まった(2010年10月22日)「バルカン半島」編を完結します。次回からは未完になっている「中国シルクロード」を再開します。
前記の彼女の案内でいくつかのCDショップを歩きましたが目的のCDを見つけることはできませんでした。最後の店が本屋さんを兼ねていたのでのぞいてみたところこれでした。説明の用はありませんね。拡大してみてください。以下3点を紹介します。
セルビアでは盲目の吟遊詩人グスラルが語る英雄叙事詩があると聞いていたのでそのCDを探して自由時間にベオグラードのCDショップを探していました。その時偶然に出会ったのが写真の女性です(右)。その人と左の同行の人の英語を通じて話をしていると「オヅ」という言葉が出てきました。ビックリして「オヅ! 小津安二郎?」思わず叫びました。「イエス」というわけで蛇足的質問「黒沢」には「もちろん」の答えでした。日本の映画、文化にかなりの関心があるようでした。彼女はここセルビア生まれで現在はスイスに住んでいるそうです。
バルカンは日本人にはなじみが薄いようです。私がバルカンに行ってきたと話すとたいていの人が「バルカン?何処?」と反応しました。しかし意外な所で接点があります。サッカーの元全日本監督オシムはボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエヴォ出身ですし、同じくサッカーの名古屋グランパス元監督ストイコヴィチはセルビア出身です。
たびたび登場をしていただいた前半のスルーガイドのGezimさんは私に「あなたの宗教はシントウ(神道)か?」と尋ねました。シントウについては意外に世界ではよく知られているようでそのことについては、20010年9月27日にインドネシアでの経験を紹介しています。
写真はベグラードのカレメダン公園で見かけたものですが、具体的には何を意味しているのかはわかりませんでしたが、日本政府はこの地にかなりの経済的支援をしています。2005年発行の「バルカンを知るための65章」によればこの地への援助額は総額1400億円を超えていると記しています。