100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ブータン」編 仏教18 マニ車3

2011年10月10日 08時21分17秒 | ブータン

 タシガンという町の中心より少し外れたところにマニ車だけの建物がありました。左にマニ車が見えますが、右におじさんがいて食事の支度をしているようです。良く見ると右下にベットがあります。どうやらこのマニ車住みこみ管理人のようです。

 

 正面にちょっと豪華な建物が見えますが、一般の民家です。ブータンの民家はこのように立派です。低開発国によく見られるような粗末なバラック建て家はほとんど見ませんでした。しかも壁はきれいな装飾が施されています。建物は原則3階建てです。3階は外にオープンで穀物などの保管場所になっています。屋根は前述のようにトタンです。


「ブータン」編 仏教15 チョルテン4

2011年10月07日 08時14分03秒 | ブータン

 このドチュ・ラ(峠)からは天気が良ければブータン最高峰7570mのガンカプンズム山が見える予定でしたが、残念ながら写真のような状況でした。この山は未踏です。それは現在「登山永久禁止条例」ができたためです。1980年代初めに、外貨獲得の一大観光資源として登山が解禁されましたが、さまざまな紆余曲折があり結局は「禁止条例」になり現在に至っています。その間のいきさつについて興味のある方は「ブータンに魅せられて」p118120(今枝由郎著)をご覧ください。

 

なおその中でちょっとおもしろい話があるので紹介しておきます。

農民の国王に宛てた直訴の文言。「仕事もない人たちの仕事のために、わたくしたちは自分たちの仕事ができません」

 


「ブータン」編 仏教14 チョルテン3

2011年10月07日 08時10分45秒 | ブータン

 3150mのドチュ・ラ(峠)にある108基のチョルテンです。前国王の后妃が戦勝祈願のために2004年に作らせました。

 この戦争はブータン南東部に接するインドのアッサム地方でインドからの独立を求めるゲリラがブータンにも入り込んだためにその掃討の戦争です。短期間に解決しましたが、その内容は国家機密だそうです。オックスフォードへの留学を1年先送りしたこの后妃の長男(現国王の弟)と共に現地ガイドブタさんはこの戦争に参加したそうですが、彼の話によると王は人を殺す戦争は嫌なので平和裏にここを立ち去ってほしいと交渉し話し合いで解決したとのことです。


「ブータン」編 仏教12 チョルテン1

2011年10月04日 08時05分33秒 | ブータン

 チョルテンの起源は仏舎利塔(ブッダの遺物を入れる塔)ですが、現在のブータンでは偉大な王を称えたり、故人を偲んだり、悪霊や危険を払いのけたり、重要な出来事、勝利を祈願するためのものです。

 前回紹介したような小さいものから今回の写真のような巨大なものまでブータンでは約1万個あるそうです。

 この写真は1972年に亡くなった3代国王が生前発願したものを国家行事として引き継ぎ、1974年に完成したメモリアル・チョルテンです。