2013年1月6日に記載した曽野綾子さんの小説の舞台となったアンチラベの町を紹介します。
アンチラベは標高1500mの高地内陸部にある人口18万人マダガスカル第3の町です。町は賑やかで活気に満ちていました。魚の干物が目立ちました。海の魚ではなく多分近くにあるラヌマファナ湖の魚でしょう。
きれいですね。この紙に生花を漉きこむ技術は20世紀に移住してきたフランス人の考案になるもので「新しい伝統」です。
余談噺
9月2日に踏耕について紹介しましたが、中世琉球でも行われていたことを最近知りました。1479年朝鮮済州島の人が琉球に漂流しその時の模様を朝鮮国王に報告した文章にそれが紹介されています。それは与那国島での報告です。(「朝鮮人のみた中世日本」関周一著p218)
マダガスカルでは19世紀にラテン文字表記が採用されるまではマダガスカル語はスラベのようにアラビア文字によって表記されていました。現在はラテン文字表記です。ちょっと余談ですが、たとえば首都はAntananarivoと表記されます。これをほとんどの旅行社(最近ではTBS系TVでも見ました)はアンタナナリボ(ヴォ)と表記しています。これは間違いでアンタナナリブ(ヴ)が正しいのです。「O」の発音は「ウ」なのです。これは19世紀にローマ字表記が採用になった時に定められました。私の参加した旅行社も間違っていたので余計お節介でしたが訂正を提案して現在は正しい表記になっているようです。
写真はこの紙に生花の張り付ける作業です。
和紙に似た手すきの紙を制作するアンタイムル紙工房を訪ねました。ここの技術は古い伝統があります。10世紀ころアラビア半島から来たアンタイムル人が伝えたものとされています。この紙にはマダガスカル語をアラビア文字で表記されたものが現在残されています。それをスラベ(「大いなる文字」という意味)と言い書かれていた内容は彼らの歴史や天文、薬草の造り方まで多岐にわたります。
写真は原料となるアヴハという木の皮です。