100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

特別寄稿「北朝鮮旅行記」1

2016年03月14日 08時28分27秒 | 北朝鮮

 

 管理人より

  近時老化の度合いが進んできて介護施設にお世話になるようになりました。その施設で理学療法士をされている方が北朝鮮に旅行されたという話をお伺いしてそのときの様子をこのブログに寄稿していただけないかとお願いしたところ快諾していただきました。

 

 

  ピースボート『第29回 アジア新未来航海』( 2000年8月22日~2000年8月29日)に参加して北朝鮮を旅行しました。動機はピースボート第27回 地球一周の船旅に参加しているときにこのことを知り、なかなか行くことができない未知の国に行けるルートがあり、なかなかこういう機会はないので行くことができるのであれば行きたいと思い参加しました。

 当時はまだ北朝鮮が日本人拉致を認めていなかったので企画されていましたが、

認めてからはこのクルーズは実施されていません。(おそらくこのクルーズが最後だったと思います。)この当時、ピースボートが所有していた客船が故障のため急きょ、北朝鮮船籍の万景峰号をチャーターして行われました。当時は、新潟と北朝鮮の元山をつなぐ便でしたが現在は日本への航行は行われていません

 写真は万景峰号です。

 

 


「付録」 「想い出のつぶやき 旅のトレビア」4 恥ずかしい話

2016年03月08日 08時30分32秒 | 想い出

 

 今から21年前の最初の海外旅行での恥ずかしい失敗談を恥ずかしながら話してみます。最初の旅行はトルコ・ギリシャ・エジプト10日間でした。最初の観光はトルコのイスタンブールでの「ベリーダンス」でした。そこでかなりのアルコール(種類は記憶喪失)を飲みホテルへ入りました。そこでちょっと外に出たところ「マイフレンド・マイフレンド」と叫んで近寄ってきたポン引き(イタリア人)と酔っ払った勢いで片言の英語のやり取りをしました。そのうちに自分のホテルへの帰り道もホテルの名前も忘れていました。そこで彼に近所のホテルの名前を挙げてもらいました。さすがにいくつかの名前の中から思い出しました。そこで義理を感じた私は「テンダラーズオッケー」という所に行くことになりました。そこにではウクライナ出身のミニスカートの美女二人に挟まれてお酒を飲みました。

 オスマントルコ時代の宮廷ではウクライナ美女がたくさんいたことを思い出し歴史は繰り返すなどと暢気に思っていましたが、少し正気に成りヤバイと思い帰ろうとしました。やはり巨額な請求書が付きつつけられました。テンダラーズだったはずと抗弁しましたが、当然のことですが了解されるはずもありません。屈強な男4,5人に取り囲まれ小さな部屋に入れられました。そこでいくつかのやり取りがあって正気になった私はあきらめかけていました。とするとボスみたいな人が現れ首を部屋の入り口のほうに向け「帰れ」のサインをしたようでした。そこテンダラーをおいてすばやく?脱出しました。なぜ助かったのかはいまだに謎です。考えられるのはトルコが親日国であるということしか考えられません。

 危機を脱してもその後もいけません。さすがホテルの名前は覚えていましたが帰り道がわかりません。通りがかり人に尋ねると親切に教えてくれるのですが、まったく方向違いばかりです。ホテルに帰ったのは空が明るくなってからのことでした。

 写真はベリダンサーと一緒にやに下がっている21年前の私です・


「スリランカ」編 キャンディ7 仏歯寺3

2016年03月02日 08時34分41秒 | スリランカ

 

 この建物の中には日本、韓国、中国などから寄付された仏像がたくさんあります。この写真の仏像はどこから?

maria”さんいつもコメントありがとうございます。私はスリランカに行くまではアーユルヴェダーを知りませんでした。帰国して調べてみると私の住む鹿児島にもアーユルヴェダーサロンがありました。

 

 

 


「スリランカ」編 キャンディ7 仏歯寺1

2016年03月02日 08時29分12秒 | スリランカ

 

 2月19日に「キャンディこそ『純粋で真正な伝統文化』が残存している、そう考えられたのである」(「スリランカを知るための58章」と紹介しましたが、その中核になるのが仏歯寺です。

 4世紀にインドから仏陀の右の犬歯(細かいですね)がスリランカにもたらされ代々の王朝が保存し王朝支配の正当化のシンボルとされてきました。ヨーロッパ諸国の進出によりその争奪戦もありましたが、現在スリランカ最後の王朝があったこのキャンディの仏歯寺に安置されています。

 写真の八角形の堂はスリランカ王朝の最後の王が建てイギリス統治時代留置場になっていましたが現在ヤシの葉の本の図書館です。