「スリランカ」編を再開します。
ヌワラ・エリアは標高2000mの高地で1815年キャンディ王国が崩壊しイギリスの植民地化が完成しこの地で涼しい気候を求めてヨーロッパ人が当初、コーヒー栽培を始めました。19世紀中ごろにはブラジルに次ぐ世界第2位の生産地になりました。しかしその後、コーヒーの樹を襲う伝染病が発生しコーヒーの生産は激減し、その後紅茶の栽培が始まり今ではスリランカの旧名セイロンの名前を残したセイロン茶が世界的です。
というわけで、写真はこの地の紅茶畑です。
元山の港から帰航しました。
通訳や添乗して下さった現地の方々が見送りをして下さいました。見送るとき、なぜか向こうの方々が日本の歌を知っていると長淵剛の「乾杯」を歌って下さいました。
テレビの報道などの影響で何をしてくるかわからない怖い国のイメージですが当たり前のことかもしれませんが北朝鮮の一般市民の方々はまじめで優しい方々ばかりでした。
この旅行で北朝鮮とは国交がないイコール終戦していない休戦中であると知りました。
現状はいつどうなるかわからない状態ですが一般市民はきっと平和で普通の暮らしを望んでいると思います。
私は、一刻も早く終戦し国交を結び自由に行き来できる関係になることを祈念して北朝鮮旅行記の寄稿を終わらせていただきます。
管理人より
「H」さん、貴重な北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)旅行記を寄稿いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
次回から「スリランカ」編を再開します。
大同江の中州の羊角島(ヤンガクト)にある羊角島国際ホテルです。
外国人が勝手に外出しないように中州に建てられたという話を聞きました。
当時は、水、電気事情がよろしくないということでしたがホテル内はまったく大丈夫でした。
ちなみに、地下にはカジノもあって楽しまれた方もいたようでした。なぜか使える通貨はドルだったような気がします。
ここで嘔吐、下痢になり1日棒に振ってしまいました。ホテルで出たヨーグルトのようなものに当たったようで私のほかにも数人ダウンした方がいたとのことでした。
この時は、言葉が通じないし、ツアーに行くスタッフに体調が悪いから行けないことを伝えたけどホテル側には何も伝えてくれなかったようで飲まず食わずでひたすらベッドに寝て、トイレと往復しての繰り返しで、とてもつらかったことを思い出します。
最終日にバスの中で現地の日本語通訳さんと写真を撮りました。清楚で優しい方でした。
各バスに数人の現地の方が乗り込みます。
確か、日本語がしゃべることができる方3人しゃべれない方2人ほど(添乗員という感じでもなく監視されている感じですがそれほど厳しい感じではなく、好印象を持てる感じでした。通訳の方がおっしゃるには、大学の外国語学科があってそちらで学ばれるとのことでした。
余談ですが、在日朝鮮人の方も旅行者としていたのですがレストランに行ったとき姿が見えなくなっていたのですがバスに戻ってみると泣きはらした顔で座席に座っていらっしゃいました。
聞くと、生き別れた妹さんに会ってきたとのことでした。
「内緒だよ」と言われましたけど、時効ということで!
場所はどこか覚えていませんが学生さん(中学生から高校生年代)との運動交流会がありました。
綱引きとか走ったりとか小運動会みたいな感じだったと思います。
一人だけ、英語と日本語ができる子がいて相手をしてあげて欲しいということで少し話をしましたが、どちらも流暢じゃないということで英語と日本語を織り交ぜてのコミュニケーションでした。
日本語を勉強しているくらいだから日本に興味があるのだろうと思って「日本に行きたいですか?」と尋ねると「行きたくないです」と「だよね~」と思いつつ「どうしてですか」と尋ねるととても困った表情をして口をつぐんでしまいました。
そこで、会がお開きになったのでそれ以上は聞けませんでした。