最近現天皇の生前退位の話題がマスコミを賑やかしています。ブータンでは65歳定年制があるぐらいでたいした話題でもないように思うのですが。私は天皇制廃止論者(その意味で憲法改正論者)ですが、憲法の冒頭に天皇についての記載があるように私の意識下には強い存在感あるようです。その想い出話を二つ。
中学生の頃約70年近く昔、わたくしは寝言で「天皇の墓を掘ればわかる」といったそうです。勿論私には記憶がありませんが周囲の人の話です。そうですね、今でも天皇の墓とされている古墳は発掘が認められていませんね。多くの考古学者がそれを希望しているにもかかわらず。
もう一つは天皇が私の夢に出現したことです。20年ぐらい前のことだったと記憶しています。その夢の中で天皇は私に対して「戦争責任を問われ退位を迫られて困っている、退位すれば飯が食えなくなるので困っている。私が答えて曰く「大丈夫ですよ、今の皇居を博物館にしてその館長にしてあげますよ」で天皇は夢から消えました。なぜかこの夢をいまだに鮮明に記憶しています。
ついでに現天皇についての私の評価。現天皇は歴代の自民党総裁と比べて平和主義者だと思います。それは彼の少年期の家庭教師ヴァイニング夫人の影響だと私は思っています。彼女は絶対的平和主義のクエーカー教徒で帰国後1969年ヴェトナム反戦デモで逮捕されています。
写真はウィキペディアからの借用で少年期の現天皇とヴァイニング夫人です。
近づいてみるとはっきりしますね。真ん中のビラは男性からのものでわかりそうなところだけ拾い上げれば見れば「男性 当方 身長178センチ 体重67kg 仕事万能工(?)独立住居在り 父母健在 求む女性は ハルビン居住 父母健在 性格良 連絡先電話」ということのようです。右隣は女性から男性へ、のようですね。どちらも父母健在と明記されているところが面白いですね。
今回の旅行の最後の2日はハルビンでした。ハルビンは19世紀末までは小さな村でした
が満鉄の前身の東清鉄道がロシアによって敷設されてからこの鉄道の拠点として発展します。そのためロシアを通じてヨーロッパが入り込み現在でも「東方のモスクワ」「東方の小パリ」と呼ばれているそうです。一介の旅行者それも短期間である私にもなんとなく他の都市とは違ったものを感じました。そのことと関係するかどうかはわかりませんがこの地で少し変わったことに出会いました。(この地独特なものか、中国で一般的のものかは私には勿論わかりません)
この地にはロシアの影響でキリスト教会(シナゴーグを含む)が現在も残っています。(宗教活動が現在もなされているかどうかは私には不明)その一つハルビン天主教堂を訪れたときです。後方の周りの広場がかなり賑わっているので、屋台でも出ているのかなと思って近づいてみるとこの写真です。どうやら婚活ビラのようです。
「旅」は空間を旅するものですが同時に普段より多く時間をも旅します。旅は時間と空間を同時的に楽しむ最高の道楽です。今回の「中国東北部5都市紀行」の紹介は最初から時間の旅すなわち昔話ばかりでした。そこで今回から空間の旅、すなわち現代の中国東北部の紹介をします。
旅は大連・旅順→瀋陽→長春→ハルビンと中国東北部を高速鉄道で北上しました。この鉄道は大連とハルビン(哈尓浜)を結ぶ全長904kmの高速鉄道は哈大高速鉄道(哈大高速铁路 )で日本で言えば新幹線にあたります。現地ガイドは我々日本人向けに新幹線と呼んでいました。2007年8月に着工され2012年12月に開業された、まさに現代の中国東北部を代表するものです。
写真の列車で大連から瀋陽まで1時間45分の快適な旅。
この記念館にありました。山田五十鈴(1917~2012)は誰でも知っている戦前から戦後にかけての銀幕の大スターです。ここにあるのは戦時中に軍隊に慰問に来ていたからでしょう。
川島芳子(1907~1948)は7月6日に紹介した李香蘭(山口淑子)とは眞逆の人物です。本名が愛新覺羅顯㺭でわかるように清朝の皇族です。日本名を名乗り李香蘭(山口淑子)とおなじような活躍をし、日本軍のスパイ(正確な詳細は不明)ということで日本の敗戦後漢奸(売国奴)して処刑されます。
水師営会見に隣接して記念館的な建物がありました。そこで見た書面です。停戦条約のようです。拡大してみてください。
「露軍の勇敢なる防御を名誉とするにより露国陸海軍の将校及び官吏は、帯剣及び直接生活に必要なる私有物携帯を許さるべく」
と、このような一節があります。私はいかなる戦争にも反対の絶対的戦争反対論者ですが、この文章を読むと私の軍国少年時代の「鬼畜米英」とはずいぶん違うと思いました。