拡大してみた城です。旗が3本(写真では2本)立っていました。侯爵在宅の証です。この城には個人コレクションとしてはイギリス王室につぐ量と質を誇るルーベンスなどの美術コレクションが所蔵されていることでも有名です。非公開です。
リヒテンシュタインの面積は小豆島と同じで世界で6番目に小さい国です。人口は約3万8千人でそのうち約30%が外国人です。
リヒテンシュタイン公(侯)国は公用語のドイツ語でFürstentum Liechtensteinと記します。一般にはリヒテンシュタイン公国と記しますが、公の部分のFürstは独和辞典では「侯」とあります。植田健嗣の「リヒテンシュタイン侯国」でも「侯」と記すべきと書かれています。このFürstというのは神聖ローマ皇帝から与えられた爵名です。この神聖ローマ帝国から独立したのは1806年でFürstという爵名を持ったリヒテンシュタイン家がここの君主になったというわけです。しかしリヒテンシュタイン侯爵はウイーンで貴族であり続け自国を始めて訪れたのは1842年で、首都ファドーツに定住し始めたのは1938年からです。したがって今でもこの君主はウイーンに多くの土地建物を所有し事業も展開しています。その一つが前々回紹介したワイン醸造です。したがって国王は経済的に自立しており植田健嗣の著書(1999年 p92)によれば国から「一銭も受け取っていない」ということです。
写真はアルプス山中の谷間にある首都ファドーツを見下ろす丘にある君主リヒテンシュタイン侯爵の居城です。
ライン川が国境です。いよいよここよりリヒテンシュタイン公(侯)国です。今回の旅でおとずれた国は10カ国です。その間いくつもの国境を越えましたが全て何のチェックもありませんでした。それどころか何処が国境なのかよく判らないところがたくさんありました。”EU”がなければ今回のようなツアーは成立しなかったでしょう。イギリスの”EU”脱退の最大の問題点の一つにアイルランドとの国境問題があるという報道がありますがよくわかります。2003年にアイルランドのツアーに参加したときイギリス領北アイルランドからバスでアイルランドに入ったとき何の標識もなくチェックもなくいつの間にかアイルランドに入国したのにちょっとびっくりしたことを思い出します。当時北アイルランド問題でかなりの緊張感があったので厳しいチェックがあると思っていました。”EU”のおかげでした。
日本から21時間30分かけてようやくスイスのチューリッヒに到着しました。そこから2時間半かけてバスでアルプス山中を通りリヒテンシュタイン公(侯)国の首都ファドゥーツに到着しました。写真は途中の風景でスイスのバレン湖です。
自分用の土産ワインです。
右はリヒテンシュタイン侯(公)国で購入したワインです。写真では見難いので転記すれば”HOFKEELLEREI DES FURSTEN VON LIECHTENSTEIN SEIT 1712”と書かれています。ドイツ語(リヒテンシュタインの公用語はドイツ語)ですが、翻訳すれば「1712年創業のリヒテンシュタイン侯(公)爵の侯家醸造所」です。つまり日本的に言えばリヒテンシュタイン王家の醸造所のワインというわけです。後日紹介予定ですがリヒテンシュタインの王様(侯爵)は日本と違って多くの不動産などを所有して商業活動をしているのです。上の模様は国章です。種類はいろいろあるようで値段もピンキリですが、記憶が不鮮明ですが25ユーロ(約3000円)ぐらいだったかと思います。まだ飲んでいません。
左はサンマリノのスーパーで買ったものです。25clで0,99ユーロ(約120円)でした。帰宅して早速飲んでみましたが、さすがの私もまずいと感じました。しかし一般的に言ってリヒテンシュタインの物価は高くサンマリノは安いと感じました。
今回の旅行の夕食は全てワインでした。当然ですね。写真は最初のリヒテンシュタインでのワインです。試験管のような容器から注がれた100ccが6ユーロ(約800円)でした。私には高価すぎてこの一杯だけにしました。一般にリヒテンシュタインの物価は高いようでした。味痴の私には味の評価は不能です。