前回紹介したシェルシェルより東へ25㎞にあるローマ遺跡の町ティパサはアラビア語で「荒廃した都市」という意味です。始まりはフェニキア→カルタゴ→ローマですが残っているのはほとんどが古代ローマ遺跡です。世界遺産に登録されています。このようにたくさんの小学生たちが見学に来ていました。5月24日に紹介した「コンニチハ」と挨拶してくれたのはこのグループの一人です。
このフォーラムに奇妙な木がありました帰国後、調べてみるとアルゼンチン原産のオンブーと呼ばれている「木」ではなく「草」だそうです。したがって年輪はないそうです。ただし「木」という説もあるようです。とにかく奇妙な「草」「木」です。
前回紹介したマウレタニア王国の首都がシェルシェルですがのちに古代ローマの属州となったのちも中心都市でローマ遺跡が残されています。その博物館を訪れました。
さてそのマウレタニア王家の墓とすれば時代はということになりますが、ローマ属国時代のユバ2世(BC25~AD23)夫妻の墓ということです。その妻というのが、かの有名なクレオパトラの娘セレーネ(BC39~6)ということです。
以上のことは確定説でないせいか、lonely planetには記載がなく「アルジェリアを知るための62章」とウィキペディアがネタ本です。
周りにもこのように石が散乱しています。「マウレタニア王家の墓」説は定説ではないようですが他の説もあまりはっきりしたものがないようなので、以下この説に従ってこの墓の紹介をします。「マウレタニア国」はこの地に栄えたベルベル人の国家です。BC3世紀ごろから始まり有名なカルタゴがポエニ戦争に敗れてこの王国はローマの属国にAD44年に属州になり消滅します。
タリートの観光がサハラ砂漠の観光の最後でその後、首都アルジェに戻り郊外の観光になりました。その最初の観光が「マウレタニア王家の墓」でした。直径60・9m、高さ32.4m、周囲185.5mの墳丘です。ところが「『マウレタニア王家の墓』と呼ばれる墳丘墓」(「アルジェリアを知るための62章」p46)と記載されているようにそうであるかどうかは確定していないようです。
岩絵を見に行く途中の景観です。このラクダは食用ではありませんね。わたくは幾度かラクダに乗ったことがありますが、怖いですね。ラクダが前足を折っているときに乗りますが、ラクダは急激に前足を立ち上げるため後ろにひっくり返りそうになります。降りるときは急激に前足を折るため今度は前に転落しそうになります。