スイスで一番美しいといわれているシオン城です。湖はレマン湖でそこに浮かんでいるように見えますが、岸辺から突き出した楕円形の岩盤の上に立っています。19世紀詩人バイロンの「シオンの囚人」で有名になりました。
スイスといえば時計を思い出す人が多いと思いますが、その象徴的なものがこの時計塔です。1191年のベルン誕生とともに建設されました。1405年に大火で破壊されましたが、1530年修復されゼンマイ式時計が取り付けられました。
スイスはなんといっても山岳景観です。しかし、それについては2006年8月13日~2006年8月13日にかけて紹介しているので今回は省略します。そこで今回は数回にわたって未紹介の「ベルン」「シオン城」「ジュネーブ」を紹介します。ベルンはスイス連邦の首都で人口13万人です。中世ヨーロッパ都市の姿を今に伝える美しい町並みが残っていて、それらの町並みは、1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。写真の中ほどに大聖堂が見えますね。右側に見える橋はアーレ川にかかっています。
ゴルノグラード展望台からの下山はマッターホルンが倒影することで有名なリッフエル湖まではハイキングでした。ところがここも悪天候のため見えませんでした。写真は倒影が見えないリッフエル湖と背後に見える小山はリッフエルホルン(2927m)です。
ちょっと面白いコロナ関係新聞記事
コロナ対策で、イタリア政府への科学技術委員会の報告書。
「科学的証拠は限られており、一般人にとってマスクの有用性は明確ではない。だが、その着用を強く推奨するものである」
(朝日新聞7月4日多事奏論 論説委員郷冨佐子より)
皆さんこの報告書が何を言っているかわかりますか。
自由時間に山岳博物館に行きました。切れたザイルがありますね。この博物館に出かけたのは私だけでした。なぜか、同行者の皆さんはウインパーについてご存じなく興味もあまりないようでした。添乗員からもウインパーについての説明もなかったので私が「ウンチク」を傾けたところ添乗員から「教授、講義は終わりましたか」と皮肉られました。翌日添乗員からツェルマットを去るバスの中で説明がありました。何か本を読んでいる感じでした。座席に置いてあったので見るとそれは江戸川区立図書館所有の「地球の歩き方」でした。
ついでにもうひとつ余談話。
博物館を出てレストランに行きました。そこで料理と赤ワインを注文しました。ところが隣にいた人が(日本人ではない)「NO,No」といいました。どうやらその料理には赤ワインではなく「白ワイン」といっているようでした。そこでわたくしは忠告に従い白ワインにしました。
記憶力の悪いのが自慢のわたくしの24年たった今も忘れることのエピソード?の二つでした。
ツェルマットに到着しました。ツェルマットは名峰マッターホルン観光登山の拠点地です。
少年時代確か中学生の時、ウインパーの「アルプス登攀記」を読み感激しました。当時から病弱であったためマッターホルン(標高4478m)に出会うことなど全くあきらめていました。勿論今回再読しました。悪天候のため展望台のゴルノグラードでは見ることができませんでしたが、途中の山岳鉄道の窓からその雄姿に出会い大感激でした。
しかもチェルマットでの宿泊がウインパーの定宿ホテル・モンテローザということでこれまた大感激でした。
ここでご存じない方のため、簡単にウインパーについて紹介しておきます。彼は1840年ロンドン生まれの英国人です。アルプス登山でさいごの登攀不可能といわれたマッターホルンを1865年にこのウインパー征服したのです。「苦闘6年、七たびにおよぶ敗退にもめげず、とうとう彼は目的を達してマッターホルンの頂上に立った。しかし下山にまもなく悲劇は起こった」(岩波文庫「アルプス登攀記下」のカバーより)
その悲劇とは下山時にザイルが切れ7人のうち4人が転落死したのです。
写真はウインパーの初登攀60年を記念するためイギリス山岳会1925年に送られたウインパーのレリーフでホテルモンテローザの道路沿いにはめ込まれているものです。