風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

アパート探し

2006年03月17日 | モンゴルについて
「いやだー」と思ったまますごすのは止めて、アパート探しを始めました。

今住んでいるチンゲル亭は、庭があり、ボクト山の眺めが良し、あかるい、朝日、夕日が見える、門番がいる、今まで何の事故もなかった。
それらの好条件は、これからどう探しても見つからない条件かもしれません。
少し、発想の転換をして、このまま我慢するか、新しい住まいで今までと違う生活をあと1年するかどうか、考えています。

引越しを考えているといったら、「何が不満なの?」と一様に尋ねられます。

それらの好条件に比べたら、つまらない不満ばかりが積もり積もっていることは確かです。
このまま、我慢してすごすには1年は長い。

いろんな部屋を見せてもらいつつ、今住んでいるアパートより好条件のところが見つかったら、引越しましょう。
若し見つからなかったら、大家さんともう少し強気で交渉して、少しでも環境を良くして貰うことにエネルギーを出そう。

それにしても、ツェギーの精力的なこと。
昨日は、車もあったことで、あっという間に4件を見せてもらいました。
モンゴルにもボツボツ出始めた、不動産屋の女性が取り仕切っている物件が3件。
彼女は不動産を紹介するだけなのか、それとも、これから何かのかたちで係わって便宜をはかってくれるのかは、まだ、わかりません。

私たちの探すのは、安全が一番、家賃700ドルまで、2ベッドルーム、バスタブありが最低条件です。
もちろんそのほかにも、あれこれ、チェックをしていますが。
今のところ、帯に短したすきに長しです。
一軒気になるところは、今夜、暗くなってから夫も伴って、見に行くつもりです。

疲れるけど、心が動く物件がないわけではないことが分かってきて、少し楽しくなってきたところです。
ツェギーさん、ありがとう、頑張ろうね。








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大相撲

2006年03月13日 | モンゴルについて



モンゴル相撲協会のャXターです。
旭鷲山の54場所連続出場の記録を祝っています。

真ん中は、朝青龍。

右端はスメ[ツドリンクの広告です。

このほか、白鵬などの力士の写真を大通りにずらりと並べています。

UBでは、大相撲はャsュラーなスメ[ツになりました。


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引っ越したいよー

2006年03月13日 | モンゴルについて
はぁー。
雨も降らない快晴なのに、雨漏りがする。
雪解け水が、屋根の亀裂を通って落ちてくるのです。
ャcリ、ャcリ・・・・・
おかげで、寝室の天井が、モンゴルでは考えられないカビが発生。

トイレは、直しても直しても水が止まらない。
鉄さびの色で赤く染まった便器。イヤダー。

便器の構造の問題で、紙が流れない。
何度か、お客様に恥ずかしい思いをさせてしまった。

風が吹くとNHKだけが写りが悪い。

それだけのことだけど。
引っ越したい。
去年の入居の時からの約束で、先渡しをした3か月分の家賃でもろもろ直すという約束だったのに、もう、1年が経つ。

誰に聞いても、そんなもんですよ。
そう、そんなもんなんです。分かっているけど、スイッチが別のほうに入ってしまった。


庭があって、門番がいて、明るくて、広くて、下手だけど、修理を頼めば門番さんが来てやってくれるし。
今まで、何事も事件はなかったし。日本語は通じるし。
住めば都だったはずが、どういう歯車の噛み合わせ違いか、「引っ越したい」と思い始めてしまった。

その思いは、日本への帰国前から思っていたのですが、日本で楽しんでくればなんて事はないと思えるかもと、期待していたのですが。

雨漏りの音を聞くと、キーっとなってしまった。
外に出るに限る。

幸い今日は、マンチョクさんと買い物の実習で外に出ることになっている。

何かの、アクションを起こして、気持ちの決着をつけよう。
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UB 市内

2006年03月09日 | モンゴルについて
朝からちらちらしていた雪が、土肌を見せていたUBの町を白く染めました。
暖かいところで育った私の感覚では、雪が降ると寒いのですが、こちらでは、雪が降ると暖かいと言います。

あまりに、雪が降らなくて、茶色い世界のUBですから、そろそろ表紙の写真を変えなければならないかと思っていたところです。
今日は、写真の通りの白いチンゲル亭になっています。

まだ、冬なのでした。
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婦人の日

2006年03月08日 | モンゴルについて
今日は、婦人の日の休日です。
多分、町は、バラの花束とデコレーションケーキの大きな箱を持った人が行き来していることでしょう。

一昨年のこの日は、ゲレル教授のお母さまがご存命でいらしたので、バラとチョコレートを持って先生のお宅に伺いました。
90歳になられるというお母さまは、そのとき体調を崩されていたので、家には上がらず、お目にかかりませんでした。
お元気になられたら、参りますと申し上げたのですが、そのまま、会うことのないまま、逝ってしまわれました。

優しい気さくな方でした。

あの時、ゲレル教授の薦めるままにお宅に上がらせてもらっていたら、と思うこともありますが。
やはり、お元気なお顔の記憶のままで今に到ったほうが良かったのかなぁとも思います。

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赤ちゃんのパスメ[ト

2006年03月03日 | モンゴルについて
 去年、いろいろとお世話になったトヤさんは、今年2月3日にお母さんになりました。
今は、トヤのお母さんのところでウランバートルの空気がきれいになる6月まで暮らしています。
夫のバットムンフさんは、UBに仕事がありますから、一人でがんばっています。

トヤと赤ちゃんが帰ってくるまで、首を長くして待っていましたが、日本から持って来た赤ちゃん用品のお祝いと、知り合いからトヤにと託されている品物とをどうしても早くトヤさんに届けて欲しくて、ご主人に連絡を取って会うことになりました。

「ちょうど、今日、娘のパスメ[トをとってきました」と、うれしげに見せてくれました。
写真を撮らせて欲しいと頼んだら、快諾してくれました。
モンゴル人のパスメ[トを手にしてまじまじと眺めたのは、これが初めてです。




1 赤ちゃんのパスメ[ト番号(下2桁が偶数のとき女、奇数は男)
  この番号は、エルデンちゃんは、おばあちゃんの住む地域でこの日女の子で一番に生まれたということが分かります。
2 バトムンフの娘〇〇〇〇チャツラルト2006年生まれ
3 お父さんについての記載
4 お母さんについての記載
5 生年月日 誕生地 お父さんの現住所





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絵はがき

2006年02月17日 | モンゴルについて
中央郵便局に、絵葉書を売っています。
賀状のお礼を書きましたが、その絵葉書は、夏の景色ばかりです。
どんなに探しても、冬の風景の絵葉書はありませんでした。
マイナス20度、30度とお知らせをしながら、まるで常夏の国から届いたような絵葉書は、嬉しくもなんともないのではなかったかしら?
ごめんなさい。
やはり、日本の年賀状で書くべきだったか。。。
いまさら、遅いけど。

ぼちぼち、届いた方もあるようです。2週間くらいかかっているようです。
夫に言わせると、「届くだけまし」というのですが。。。

聞くところによると、日本への郵便事情は決して悪くないようです。
ちゃんと届いているようです。
ただし、今回日本から航空便で小包を送りました。
特急便(EMS)ではありませんでしたから、1週間はかかるかなと思っていました。ツァガンサルが間に入ったせいでしょうか、10日間かかっていました。
箱に、へこみはないし、検閲された形跡もなく、また、受け取るときに空けろとも言われませんでした。


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ツァガンサル情報

2005年12月06日 | モンゴルについて
来年のツァガンサル(旧正月)は1月30日からです。

伝統的には、極寒の冬、死と背中合わせの冬が過ぎて、間もなく春を迎える喜びを家族みんなで、祝う日でした。
牧民さんたちが、ゲルの中に持っている、羊と乳製品とで誰もがどこでも喜びを分かち合う日でした。

日本でもそうですが、年毎に豪華に派手に人の目を惹くものに成り代わっているのを嘆く人がいました。

毎年ツァガンサルの前には、大統領がボーズを作り過ぎないように。
贈り物は慎むようにと呼びかけるそうです。

去年、知人に教えてもらった、銀行で新しい札に取り替えてもらって、アルヒと一緒に手土産にするというのも、近年になって始まった習慣だそうです。
貴方たちは外国人だから、ハダク(青、白、金色の細長い絹の布)は必要ないよといわれましたが、それこそが意味があると教えられました。

青は永遠、白は美しさ、金は知恵を表すものだそうです。

ハダクは、贈り物をささげ持つための三宝のようなものと思っていたのですが、その布自体に意味があったと言うこと初めて知りました。

本当の意味を知る人に出会って、モンゴルのこと少しずつ知ってきたこのごろです。

私も、日本人でありながら、日本のことを正しく伝えられるかと言うと、思った以上に難しく当たり前に分かっていることを、優しい言葉で外国の人に伝えるのはほんとうに難しいのです。

去年の10ヶ月は、教えられることをそうかそうかと聞いているだけでしたが、二度目ともなるとほんの少し増えた情報から、質問が出来るようになり、去年知ったこととは違う内容も入ってくるようになりました。

「それだけが日本じゃないよ」と言っていたことが、モンゴルにもたくさんあるものなのです。






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(無題)

2005年11月28日 | モンゴルについて
11月26日は、モンゴルの建国記念日だったそうです。
あいにく土曜日だったために、祭日であることが分からなくて、モンゴル通の友人にあっておしゃべりをしていて分かりました。

来年はモンゴル800年のお祝いの年ですから、盛大な催しがあるようです。
モンゴル馬を千頭走らせるという構想は、少し縮小されて数百頭になるようですが、それでも勇壮なモンゴルならではの計画です。

ナーダムの前後に何度か行なわれるようなので、私も一度くらいは見に行けるのかなと期待しています。

少しずつUBの街も近代化して行っています。
UBの中心のスフバートル広場に大きなホテルが建設されることになりました。
街での、車のマナーも少しずつよくなってきています。
やたらとクラクションを鳴らさなくなりました。
タクシーの運転手もシートベルトをしています。
横断しようとしていると、行きなさいと手招きするのは外国人でしたが、今日はモンゴル人でした。
そうして車が止まると必ず直ぐ後ろの車が早く行けとクラクションを鳴らしたものですが、それも今日はありませんでした。

街中のャC捨てのごみの量が減ったように思います。
両替に並んでいて、前の人の間隔をあけていても横から入られなくなりました。

ちっとも変わらないという人も居ますが、わたしの周りでは確実に変わっていっています。

少しずつマナーが身について、国際社会へ一歩でも近づくとほんとに良いですね。

学生たちが、学生の権利を獲得して、ほんとに学びたい人が学び、その知識を生かして十分な収入の得られる仕事に就けるとよいなぁとおもいます。

彼らの知識と、モンゴル本来のマナーとがうまく融合すると、モンゴルの未来派明るいのに。


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白人への誤解

2005年10月07日 | モンゴルについて
スーパーの荷物を持って、道路でタクシーを止めようと手をあげていました。
日本とちがって、手は上ではなくて、水平より下に出してひらひらさせるのが合図です。

私が、待っているのを知りつつ、白人の若い男性が私より前に立って、先にタクシーを奪い去って生きました。
タクシーが走り出してから、顔を上げたのであまりに腹が立つので、親指を下に向けて不快感を示してしまいました。
中指を使わないのは私のたしなみです。

白人=フェミニストという図式が私にはあるので、裏切られた気分でした。
やっと帰宅して、先に家に帰っていた夫に靴を脱ぐのももどかしくその事件に関して、まくし立てました。
「それは、ロシア人だよ。ロシア人はモンゴル人よりえげつないよ」と、夫は答えました。

モンゴル人の口からも昔は、礼儀正しい民族だったということを、いろんな場面で聞きます。
どうして、モンゴル人はモンゴル人自身の口からそう言われるようになってしまったのでしょう?
(モンゴル人というのは失礼かもしれません、ウランバートルに住むある一部の人というのが正しい)



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