風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会中央会9月

2013年09月24日 | 詩吟
今日のトピックは、13年もの間教室の指導に当たっていらしゃったI先生が、引退され、後任にMさんが推薦され、先生および幹事会で承認されました。

もうMさんではなく、M先生とお呼びするのに、慣れなくては。

長年勤められた先生の後を引き継ぐには、悩まれたそうですが、Mさんの独創性を生かした教室運営をなさると良いのではと思います。
13年にわたって続けてこられたそのままを引き継ごうとするなら、初めて指導者となられるわけですから、無理な話と思った方がよいのでは。

長年先生をサメ[トなさって来た会員さんがいらっしゃるので、その方を頼りにして、ゆっくりと歩き始めればよいのだと思います。


もう一つは、10人の男性合吟で、コンクールに出場なさる方たちの練習風景。

なかなかフルメンバーでの練習が難しい中で、良く、ここまでそろえられるなぁと感心する出来でした。

転句(三行目)は、力任せではなく、アクセル踏みっぱなしでもなく、ちょっぴり惰性運転をなさいませ。
そうすると最高音に伸びやかさが出て、最後の止めの2音がはっきりとして、完璧な形として表出され、聞いている者に感動を与え、吟じる者が爽快感を味わえるのです。
これこそ、情緒につながる道筋と思えます。
初めに、正しい吟法の表出ありきです。

練習の最後では、いい感じで、声が伸びていました。

この高音での声の伸びは、なかなか難しく、男性はパワーがあるだけに、ただただ力で押しすぎの感有り。
力任せにのべつ幕なし、力で声を出すのは、かわいげの無い情緒不安定な吟詠となります。

きっと、このアクセルを離した惰性での音が出る時は、声の揺らぎもできて、情緒たっぷりの吟詠となるのです。

そして、合吟は、この揺らぎも、10人で合わせようとすると、至難の業。どこまでもリーダーのもとに完璧に合わせる、好むと好まざるとにかかわらず、合わせることが、必死なのです。

合吟も、一つの件p。



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江戸川詩吟道場

2013年09月21日 | 詩吟
姿勢を保つことに、ャCントを置いているので、お隣に座った会員さんに、一言。

小柄な人なので、椅子に深く腰を鰍ッると、両足が浮いてしまいます。
椅子に浅く腰を鰍ッて、両足が床について、きちんと体を支えられるように座ってみたらと、お勧めする。
それだけで、体が安定して、声が良く出るとおっしゃいました。

歳を重ねると、筋力が落ち、それでなくてもおなかに力を入れることが男性と比べて弱いので、ちょっとした気の使い方が必要となります。

足の裏全体で、支えるとそうでないのとでは、安定感はまるで違うのでした。

支えられた呼吸と声の、ささやかな、第一歩。


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夢青葉9月

2013年09月20日 | 詩吟
夢青葉9月のお稽古。

今日は、「舟由良港に至る」のおさらいをして、新しい吟題に移りました。

母音が混ざらないように、気を付けること
他流には無いらしい二半の微妙な音程と響きを大切にしよう。

テキストの順でいくと、次は、別の漢詩ですが、「舟中子規を聞く」
私も間違いやすい、「暮れんと」 と「月に」の音程をきっちりと収めたいと思い、宿題としたのですが、出すのが早すぎて、いじわる問題になってしまったと、帰りの電車で気がついて、メールをしました。

「この宿題は、保留です。」と。

吟詠を完成してから出すべきところを、早まりました。生徒さんたちには、戸惑わせてしまったかもしれません。

今日から、今までは、しっかり抱きしめてきたけれど、そろそろ、外の冷たい風にも当たり、いろいろな経験もしていかねばならないと宣言しました。

そして、気が付いたら、癖になっているところを修正するには、今までのように、簡単には治らないかもしれませんから、気を引き締めてと申しました。

その自分の言葉に、刺激された形で、初めての宿題を出したのですが、勇み足だった。

先生修行も、幼児を脱却中。

先生も、先生と呼ばれることで、自覚が固まっていくもの。
生徒さんたちを育てながら、育っていく私でありました。

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論語基礎講座

2013年09月19日 | 詩吟
カテゴリーは詩吟ですが、今日は、基礎論語の日。

今日の論語の最後に、足利の論語の会のお誘いと漢詩の解説。
今日の題は、「可意」良寛作

まだ歌いこんでない吟なので、心を込めて、シンプルに(もともと私の吟はしんぷるですけれどね)吟じました。

声も張り上げないで、穏やかに。

にもかかわらず、先生は、とても情感あふれる吟詠と聞いてくださいました。
きっと、シンプルに詠じたので、先生のあふれる思いが、投影されたのでしょう。

こんな風に、信頼を得ることはめったにないことで、うれしい体験をさせていただいています。

ありがとうございます。

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夢松風9月1回目

2013年09月18日 | 詩吟
 夢松風のれんしゅうのあと、秋桜○○で詩吟とハーモニカの会。
6月の初回から今日が二度目、皆さん、変わらず明るく歌いたいひとたちばかり。

前回の吟詠指導の「川中島」を二人で合吟。
私の独吟「九月十日」
新しいぎんえい指導「大田道灌」

太田道灌の逸話をよく御存じの方がいらっしゃって、「みのひとつだに」を自発的に説明してくださる。

そして、ハーモニカの演奏と、合唱。

和気藹々、1時間10分があっという間に過ぎる。

ハーモニカ担当のOさんが、作ってくださっていた暖かいコミュニケーションをそのままに乗っかって、松風がラクラクに参加させていただいている。

最初の雰囲気つくりが、Oさんらしくて、とてもありがたいと思う。
きっとこの次もリクエストが来ることでしょう。
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台風一過

2013年09月16日 | 徒然に日々のことを


氏神様のお祭り、中止になったはずなのに、カネの音が。
どうやら、それは、昨日だけの話だったようだ。

通り過ぎた台風通過をにらんで、雨上がりをすかさずとらえて、神輿を繰り出したみたい。

お稲荷さまの祈りが、被災された方々へと届きますように。




そのあとの夕焼けの見事だったこと。




  しばし、こたろうと見とれました。




その後、伊勢原方面から、すごい写真が届きました。
基本的には、私自身が映した写真だけを載せるのですが、しばし見とれた同じ空が、ビル越しと山並み越しとではおもむきが違うものですねぇ!



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江戸川詩吟道場参加

2013年09月14日 | 詩吟
江戸川詩吟道場で、10月12日13日の足利合宿について、公式発表がありました。

ホテルが20人定員で、そのうち3人プラスアルファ(場合によってはゼロ)は講師の先生側の宿泊があるので、15人くらいの募集人員のようです。

講座とは、須藤明実先生の論語と漢詩の鑑賞の講座を前日のスタートを切って行われます。

芦孝会にはすでに、漢詩や論語など、造詣の深い方もたくさんいらっしゃるはずですが、女性の視点から、論語を読み説き、漢詩の鑑賞をしてくださる須藤先生を講師として迎えるのは、初心者にとってさらに私も含めて女性陣には、より漢詩と親密になれる機会を頂いたということで楽しさが増してきます。


10月の足利は、もうさむいことでしょう。朝6時の河原での論語の素読は、厳しいものがあると思います。
朝、早くて寒いのは、ごめん!という方もいらっしゃるでしょうか。

公表されたら、早く来い!という思いでいっぱい。



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声の道場

2013年09月14日 | 徒然に日々のことを
女性でありながら、能楽師になった山村 庸子著 「声の道場」「声の道場II」読んでいます。
先日、教えてもらった「本」のことです。

あまりにすんなり、入ってくる情報は、わかったつもりや同じ考えだと思うあまりに、立ち止まることをせずに読み進んでしまって、質問が起きない。

これは、ちょっと、困る。
たぶん、この道場にとりあえず1回目の縁が出来そうだけど、質問をせねば、「同じです・・・」とだけ言って、時間が過ぎてしまいそうで、もったいない。

日本の券\の精進のむずかしさや激しさは漏れ聞いていて、その精進を重ねて、男性の物だったのを自分のものにした人なのだから、忙しい時間を割いてくださったのだから、「同じ空気を吸うだけで良い」などという少女趣味的なことを言ってはいられない。

私の強みは、同じ女性だからということ。
山村庸子さんもその中でおっしゃっているように、男性と女性では呼吸の成り立ちが違っていて、山村さんが男性から盗むのは並大抵ではなかっただろうし、今、教える立場になって、男性に教えるのは、たやすくはないというようにおっしゃっている。

すでにお話を聞きに行った方の中に、女性はいらっしゃったのだろうか。

きっと、得るものが違っていると想像できるのですが。でもそれって、私が想像するだけで、本当だろうか?

今、その道で精進なさった方の、同じ方向性の技を教えていただけるかもしれない門の入り口にいることを、本当に喜んでいます。



果たして、自信を持って進めるようになれるのか、ぺちゃんこになるのか、山村さんが何を語ってくださり、何を得てこられるか。

ウキウキ ワクワク。
その日よ、早く来い。


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2013年09月11日 | 徒然に日々のことを
呼吸について書いている本を、今、知人の紹介でよんでいます。

いちいち納得する内容で、日ごろ私自身も実践したり、言葉に出していることと同じことがそこに書いてあって、驚いた。

私の筋道は、間違っていなかったことが、証明されたようで、うれしかった。

ただ、文字に表わされたことだけにとらわれないで、実践できるかどうか、そして、それがやはり私の思うところと同じというのを確信しなければ、「同じ」とは、言えないと思う。

はてさて、その方の、道場にいってみるか、それとも、もう少し自分なりにやり続けてそれからの方が良いのか、、、考える。

本を書いているときは、すでにもうそれは、遅れた知識であろう。
この本は、平成22年に出版されている。すでに3年が経過していて、さらに研鑽をつまれて、多くの人と接して、もっと、深く広くなっているはずのスキルが、今はどうなっているのだろう。

3年前に文字になったことを、今頃、えっちらおっちら、試行錯誤しているのでは、遅すぎるではないか。

どうして、同い年のこの人「山村庸子」にたどり着いたのが、今なんだろう?
「行け!」か「まて!」か、早いところ決めて、行動に移さねば。




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秋桜論語

2013年09月09日 | 徒然に日々のことを
野田市愛宕駅からほど近い「秋桜」という喫茶店兼画廊で、須藤先生は、論語の教室を開いていらっしゃいます。

今日、参加したのは、須藤先生の油絵の展覧会を毎年この時期に開いていらっしゃるというので、無農薬の美味しいランチを食べて、先生の絵を鑑賞して、そして、論語の勉強という盛りだくさんのイベントがあるというので、参加しました。

今日のテーマは、通常の論語の学習と「四書入門講座」
 教科書は、先生手作りの「『論語』の理解を深くするために、四書を素読し、四書に親しむための副読本」

いつもながらのパワフルな講義が、1時間半。

惜しげもなくシャワーのように浴びせられる大事な言葉を、その、一粒でも心にとどめられたら、良しとしよう、その多くは、まだ、受け取る準備がなされてなく、流れて行ってしまうのは、しょうがない。
一粒が、芽をだし葉を茂らせることができれば、良い。
知識として、蓄積するよりも、生きて使わねば。

最後には、論語を物した日本人の話に及ぶのですが、今日は松陰。そして、10月12日のまちなか遊学館のお誘いにおよび、当日取り上げられる「寒梅」を私に所望され吟詠させていただきました。

このところ、吟詠だけでなく、ただお喋りをしているときでも、私の声をとても不思議ないい声とおっしゃって下さる方が、います。

最近になって、そのように言われることが増えて、私のしゃべる声ってどんな声なんだろうと、思う。


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