風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟東京中央会

2011年06月26日 | 詩吟
野田 芦孝先生は、関吟総本部の指導者資格昇格試験(毎年6月地方開催)
の審査員に当たっておられて、名古屋の会場へいらっしゃいました。

岸菜先生が、指導に当たられ、本日の練習は、詩吟に次ぐ詩吟で、一日中声を出しておりました。

その練習も、二本の高さから始まって、八本までを一つの吟に付いて吟じるという方法でした。

七本の高さの私にとっては、二本から順に高さが上がっていくので、発声練習の代わりとなって、喉にゆとりが生まれて、日ごろは出しにくい八本の高さまで、出すことが出来ました。

男性は、五本以上の方が居ないので、お休みをせざるを得ず、女性にとっては、声の出しっぱなしで、お得感がありました。

十吟を六つの高さで吟じるのですから、こんな練習の仕方は、中央会では支部になる10数年以上も前にならやったことがあったかもしれないというような、練習です。

十分な発声練習をした上で、お稽古に臨むのが理想ですが、なかなかむずかしいことです。
是だけ、喉を柔軟にして、詩吟をする体験をするのは初めての方もいらっしゃったかもしれません。

伸びやかな声を出し、日ごろの高さよりも高い声を出せるかもしれないという高揚感こそ、詩吟の醍醐味とみたり。

新しい吟を練習しない変わりに、このような練習も体育会系の詩吟を思い出して、すっきり爽快、良い汗をかきました。

聞いて居て、気持ちの良い銀でしたとの感想を頂いて、最高の気分。
しかし、八の高さを保っていたつもりでしたが、終わりごろになると、七に下がっていた吟もあったとの音感の鋭い方の指摘には、唸ってしまった。



練習後のお楽しみは、いつもの顔ぶれとは何人か欠けたメンバーで、いつものお店へ繰り出しました。

モンゴルから帰国してすぐの東京支部の秋の練成会だったと思うのですが、大阪の柴谷先生が、はるばる来てくださいました。
そのときの吟が、「みるひとの」と山中月でした。

幸い録音することが出来て、何度も聞き返したのですが、どうしても和歌の世界に入りきることが出来ず、悶々としたものでした。

漢詩しか吟じなかったのが、10年のお休みのあいだに、和歌や俳句も取り入れられて、多彩な詩吟のレパートリーになっていたのには、浦島太郎の感ありでした。

それから、今年で、4年経ちましたが、私の中に少しずつ和歌が、定着しつつあるのは、オルティンドーの発声をならい、そして、井本整体の呼吸法を学び、膝の痛みが無くなっていくのと反比例に声が出てきたのでした。

思い込んでいた力の入れる場所とはちがっていたこと、力を入れてないようで、はるかに力の入った声もあること、胸から喉にかけて、力を抜くことなど、少しずつ体感することによって、それぞれの声の違っていることがわかりかけてきました。

そうすると、やっと、和歌の音が体になだれ込んでくるようになり、聴いても聴いても、耳の外を素通りしていたものが、少しずつ耳から入ってくるようになりました。

この体験は、なんと表現してよいのやら、よかったなぁとしか表現できないことに、もどかしさを覚えます。

確かに最初は、和歌に対する拒絶感もありました。
しかし、20年以上も前の佐藤鷺照愛吟集には、和歌もちゃんと入っているのです。
それは、ちょっと違うのだけれど、和歌にはちがいない。
その頃、和歌をあのように吟じられた鷺照先生を、あらためて、偉大だと思い、伊豆丸鷺州先生の愛弟子であるということに、大きな大きな意味があると思います。

そんな思いが膨らんできている矢先に、その飲み会で、和歌をやりましょうよと宿題を頂きました。
秋には、和歌に挑戦しようとひそかな心積もりを、見事に言い当てられたのに、驚き、まだ七分くらいの気持ちが、ぐっとアップしたのでした。

まだ、漢詩に取り組んで間もない夢青葉のメンバーには、漢詩を聞いて欲しいし、私の課題としては和歌に取り組みたいし、ゆらりゆらゆらなのでした。

とりあえず、和歌に気持ちが向いていることが、明らかになったという飲み会でした。

こわいこわい、もう少し、水面下においておきたかったなぁ。
宿題とは、そんなもの。

おそらく、今日の練習で、のびやかに心地よく吟じられたことが、アルコールも有って、提案という形で、投げかけられたのでしょうね。

今日の、思い切った練習に感謝。
もっと声を出さねば。


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連合吟

2011年06月14日 | 詩吟
学生の頃、合吟や連合吟をよくしたものでした。

その頃は、調子笛を使う習慣はなく、ましてコンダクターなど機械的なものはあるはずもなく。
詩吟の出だしの高さは、自分の感覚を信じるほかは無かったのです。

ですから、連合吟は、音感がよくて出だしを間違わない人がスタートを切ってくれるのは、何かと安心なのでした。

そんな頼りになる人でも、何かの都合で、高さを間違ってしまうと、続いて発声する仲間は、甘んじてその高さを受け入れ、声が出ようが出まいが最後まで吟じきる必要があります。

それが、どんなに高くても、最高音を出すときは、声がでなくても息だけでも出すのです。

指導をしてくださっていた、岡大吟詩部OBの方たちは、正しい高さで出たときよりも、高すぎる音程で始まってしまった時、最高音でにっちもさっちもいかなくなるけれど、音程を下げることなく、その高すぎる高さを守って、みっともなくても吟じきったときの方が、褒めてくれたものでした。

そんな、体育会系の活動をしていたけれど、今は、コンダクター無しでは、出だしの音を出す勇気が無くなり、マイクに頼った詩吟をするようになっていました。
それを、アレット思い出させてくれたのが、日曜日に聞きに行った日本詩道家協会の吟詠鑑賞会の「実験劇場」です。

大会の後、暗くなった公園で、輪になりがらがらの声をはりあげて、何度も何度も吟じたものでした。
あんな、奇異とも思える声を上げて、吟詠とは言いがたい騒音を長時間続けても、誰もとがめる人も無く、するがままにさせてくれていた周りの人たちに、今頃感謝。
まさにばんから。

五似ん会のメンバーに、一人、吟のうまい人が居て、完璧に吟じることが多かったのですが、そんな吟は、誰も褒めてくれないのです。

間違って、狂って、外れて、それをどう挽回したか、その心意気をのみ褒めてくださいました。

ただ、最後の卒部の時、いつも完璧に吟じた吟友に対して、『お前の吟は、また、聞きたいと思う。』との講評。彼女は、珍しく泣きました。

私には、「お前は、やめるかと思うたけど、よう最後までつづいたなぁ」だった。
その言葉さえなかったら、部活は部活、学生を終わったら部活は無いものになるのだからと、詩吟を続けている私は、無かったことでしょう。

その頃流行のフォークソングとギターに走っていたに違いないのに。
あ、でも違うかもしれない。ギターを買うお金が無かったからかも。。。

なにしろ、体さえあれば出来る詩吟だった。詩は、頭の中に納まっていたから、いつでも、基本となる吟は何の不安も無く吟じることが出来た。

今は、伴奏が無いと、教則本を握りしめないと、一声も出せない。
あーぁ。

関西吟詩文化協会のあり方も変わって、吟法が細かく指示されて、その頃は、詩文が頭に入れば、自然に吟じられるようになったものだけれど、、、

言い訳をするなら、教室で指導をするようになったので、間違った吟を一度足りともしてはいけないとばかりに、教則本を手元から離せない。

せめて、お手本を吟じるときは、教則本を離さねばなぁ。
そのときは、生徒さんの音の高さではなく、自分の高さでね。


あれやこれや、頭がごちゃごちゃになるくらい体育会系の詩吟のことを思い出し、こんな活動をした記憶が、薄れていても、体の中に残っている芯のようなものが、何かことが起こると不協和音を奏で、なんだかわからないもやもやをかもし出すのですねぇ。

今は、学生でもなく、スメ[ツでもなく、伝統券\としての詩吟に取り組んでいる関西吟詩文化協会の構成員なのです。

この気持ちの整理は、なかなか付きそうも無く、思い出して動き出したものは、なだめて、今は静かにしてもらっていて、上手に熟成させて、次のステップへの肥しになってくれたらいいなぁ。

心揺り動かされることは、なかなか快感でもありました。
宿題をもらってどう片付けるかを、楽しんでいられるって、うれしいなぁ。

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コンクール

2011年06月12日 | 詩吟
なかのZEROホールにて、『平成23年度 名流吟詠剣詩舞鑑賞会』(東日本大震災チャリティー)が開催され応援に行ってきました。

関西吟詩文化協会東京支部から、4つのグループで参加しました。

3つのグループは、それぞれ3人組で、律詩合連吟コンクールに、あと一つは各流各会大合吟に出場しました。

お揃いの赤い蝶ネクタイは、東京支部のしるしです。

コンクールにはそれぞれ、「大楠公」「水戸八景」で、腕を競いました。

大楠公の出だし「あかさかのしろ~」は、どのグループも苦心しているようでした。
我が東京支部は、なかなかのものでした。
出だしを制するものは・・・と言われますが、大体出だしが注目されるものは、最後まで魅力的な吟をなさいます。

衣装は、男性は、式服あるいはダークスーツにネクタイで、改まった服装になりますが、女性は多彩でした。

着物はもちろん、コーラスの人たちがよく着るブラウスに黒のスカートが、そして胸にコサージュ。
あるいは、アンサンブルあり、スーツあり、ワンピースあり。

お揃いのものを着用した人は別として、それぞれ個性発揮の組み合わせで、楽しんでいらっしゃったようです。

コンクールの結果はどうなったのでしょう。
詩吟だけを聞かせてもらって早めに退出したので、結果はわかりません。



写真は今日出場の面々、(野田 芦孝先生は大会役員のためお忙しくはいっていません)
それから、お澄ましの顔をする前の写真です。それぞれが、それぞれらしく写っているのが、面白いと思いませんか。
なので、小さい写真にしました。。。

そして、今日の私にとっての目玉は、「実験劇場(ノーマイク・無伴奏)」の部です。
10人の方が、舞台で、マイクも伴奏も無しで詩吟をなさいました。

いまどき勇気ある方たちです。

学生の頃は、一般の発表会でも、ノーマイク 無伴奏は当たり前。前の人の高さにつられて、惨憺たる結果に終わる事が珍しくなく起こりました。

今は、伴奏がつくことで、自分のベストの高さでうたい始めることが出来、マイクのおかげで声を張り上げることもなく、ゆとりで小細工が出来るようになりました。

最近、応援に行くことがなかったのですが、この実験劇場にとても魅力を感じて、牛にひかれて善光寺気分でした。
今日の皆さんは、落ち着いて前の人につられることなく、吟じられました。
すごいことです。

東京支部は、詩吟のいろんなグループに参加していますが、この日本詩道家協会は、去年入会したばかりで、今回がはじめての参加なのです。

さて、結果やいかに、そして、日本詩道家協会の皆さんには、関西吟詩文化協会東京支部は、どんな印象を与えたのでしょう。

次の詩吟の会に、その後日談を聞くことにしましょう。

そのほか、詩吟の会につき物の、剣舞詩舞の部では、杜甫作 「春望」がありました。
中国風の衣装に、半月型の剣を持って、舞をなさいました。
携帯カメラなので、動きのあるものはブレブレで、この一枚が何とか見られる(私の腕では)
剣詩舞(二)では、春望のほか富士山、山行、などの詩舞がとても美しく、剣舞を彷彿とする舞すがたで、潔くすがすがしく、あんなふうに舞えたら気持ちがよいだろうなぁと、素人ながら思ったのです。


たまには、他流の集まる会もよいものですねぇ。



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スカイツリーの足元

2011年06月09日 | 徒然に日々のことを


業平橋に行ってきました。
足元には、小さな花やアジサイの花がみずみずしく咲いていました。
近隣のお宅では、多くの観光客で何かと悩まされることが多いことでしょう。

見学広場には、インスタント写真が取れるブースがあって、背景にツリーや浅草の風景などを4種類選べるようになっていました。
観光客の気分になって、一番ベタ名”ツリー”を選びました。

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近くに住む友達との待ち合わせ時間が来る前に、ツリーの足元から首を痛くしながら、上を眺め写真を撮り、一人で来てもツリーと記念写真が撮れるのに、ちょっと面白さを感じ、有ろうことか私もそれに乗ってしまったのでした。

後から来た友人に、その写真を見せたら、あきれられました。しかも700円!
いつもなら、あきれ顔をする側だったのに。

来年5月22日に完成と言うニュースを聞いて、今しか出来ないことを一度はしてみようと思いついたわけ。
あきれた顔をされた割には、私は、大満足でした。


しかし、足元というのは、ほんとの高さが見えないもので、ほどほどに離れないと体感できないんだねぇ。
あるいは、完成して展望台(3,000円!)に登るしかないわけね。


あまりに身近にいるとその偉大さや、高さがわからないもので、ありがたがっている人を冷ややかに見つめたりするものです。本物をそれと知らずに粗末にしがちなのはそんなところなんでしょうか。

あらためて、身近に見失っている偉大な人や事柄があるのではないかと、きょろきょろと心の中を探してみたりしたことでした。




駅から、見学広場への300メートルほどの路地を散策したのです。
お地蔵様を大切にして、道路にはチリ一つなく、アジサイの茂みは、よく手入れされていて、すがすがしい空気が流れていました。

きっと、工事中も何もないようにみまもっていてくださっているのでしょう。
そして、そこに住む人の、深い祈りが感じられました。

ツリーが完成することで、起こるであろう大きな変化に憂いながら、期待しながら。
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スカイツリー

2011年06月07日 | 徒然に日々のことを
浅草に所用にて、行きました。

一年前に通い始めた頃は、膝が痛くて階段もままならなかったので、遠回りでもエスカレーターやエレベーターを探して上り下りしていたものです。

今は、その、突き刺すような痛みから解放されて、のぼりはほとんど違和感なく足が進みます。

駅から、目的地までの所要時間も、10分で歩き切るようになり、電車も2本くらい後の時間でも間に合うようになりました。

Y先生と井本整体のおかげです。

行きは曇り、帰りは晴れで、帰りにいつもの横断歩道からではなく、その横断歩道を眺める少し後ろの位置から撮りました。
あさっては、始めて業平橋に下車してみるつもり。
友人との待ち合わせに、あえてこの駅を選んだのは、工事中に一度くらいそばにいってみたくなったのです。
来年5月22日には完成するらしいので、その気になったと言うわけ。
さて、すぐそばで、どんな写真が撮れるやら。


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夢青葉6月お稽古

2011年06月05日 | 詩吟
夢青葉6月のお稽古は、1時半に定刻を少し過ぎて始まりました。

所用で、遅れたためお昼ご飯を食べさせてもらう間、昨日の「南水ひとり語り」の感想などを皆さんに語ってもらいました。

文章は、あいうえおの羅列から始まって、まとまりのある言葉が出来、その言葉に意味があり、その意味を一人一人が自分なりに受け止めて、熟成させる。
何度も語るうちに体にしみこませて、その人の魂がほとばしり出るようになる。

昨日の、南水さんの音源は、おそらく何年か前に収録されたものでしょう。
昨日、小さな会場で息遣いが感じられるほどの近さで南水さんの語りを聞いた後では、硬い感じを受けました。

言葉に関わる人は、是非、なるべく小さい会場で、南水さんに語ってもらって欲しいものです。

吟じる時は、おくりがなではなくて漢字を見て、吟じてくださいと、大島教室所属の上野さんがおっしゃいました。
まさに、音ではなく意味のある一つの塊、あるいは映像を浮かべることに出来る漢字をながめることは、より、強いイメージを結んでくれるのです。

南水さんは、どんなに長いお話も、何も見ないで、よどみなく語られるのです。

伝えたいものがあるとき、メッセージを読むのと語るのとでは、伝わる力が違います。

ただ、こんな話は夢青葉の三人には、今、あえて語らねばならないことではないかもしれませんが、全員そろって語りを聞いたのだから、それを良いチャンスとさせてもらって、私なりのつたない話をさせてもらいました。

ただ、音の羅列ではいけないのですが、間違ってはいけないのは、一つ一つの音を大切にした上で組み合わされなければ、せっかくの選び抜かれた言葉が生きて歩き出すことが出来ないのだから、夢青葉の私たちは、「あいうえお」の音をはっきり正しく、発音することをせねばならないことです。
そして、その一つ一つが表す音も、しっかりと支えられた音でなければならないのです。

今日の、課題は、「富士山」です。
正に、良いタイミングで、この吟題に当たったものです。
誰もがそれぞれの富士山を胸に持っていますから。
その、イメージを大切に、しかし、飾り過ぎないように。
南水さんもおっしゃいました。どんなに悲しくても、泣いてはいけない、涙をつい落としたとしても決して泣いてはいけないと。

関西吟詩文化協会の特徴である淡々と素直に吟じることと通じるのかもしれません。
つい、余裕が出来ると、飾りすぎたり、もったいぶったりしたくなるものですが、それは、私が叩き込まれてきた関西吟詩文化協会の詩吟ではないように思います。



今日、始めて出てきた吟法は、大中山。
再度、注意が必要として説明したのは、「二段あげ」と「二段上げ小」

声の出し方としては、しっかりお腹に力の入った体制ではっと息を吐いて、次は「はぁ!!!」と声を出すこと。
力の入ってないのと力の入っているのとを示して、それぞれに音・声を出してもらいました。

昨日の、南水さんの語りを全員で聞いて一様に感銘を受けたたうえで、詩吟に応用した話をすることが出来て、大きな拾い物をしたという思いでした。

レクチャーを受けても、とても重要な話を聞いても、なかなか、こんな形で復習をすることが出来ないものですが、それなりの解釈をして流してしまわないで、今の実力なりの収め方をして、どんどん積み重ねていけたら理想です。
4人しかいない夢青葉だから出来ることだったのかもしれません。



東村山駅前の池に遊ぶカルガモの子供たち。
今の時期しか見られない風景です。

やっぱりここにも、冒険しようとするやんちゃが一匹!
我が夢青葉にもやんちゃが一匹います。
   愛すべきカルガモたちよ。 
         素直におおきくなーれ。
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熊澤南水ひとり語り

2011年06月04日 | 徒然に日々のことを
   =主催すてーじ・刻
熊澤南水ひとりがたりを聞きに行きました。

正に一人語りで、朗読とも違う演劇とも違うステージでした。

清瀬にあるけやきホールは、まだ、木の香も真新しいすがすがしい空間で、畳の部屋の奥に同じ高さで板敷きの部分があって、それが舞台。

十三夜(樋口一葉)と糸車(山本周五郎)の二つの演目でした。
着物をそれにふさわしいものへと着替えられて、目もあでやかに語ってくださいました。

南水さんのこれまで貫き通した人生そのものが選んだ演目は、親子の貫き通さねばならぬ情を南水さんの体にを通して語られる言葉は、温かく、やさしく、凛としたものでした。

「貫きとおすことは、さびしいことです」とおっしゃったその言葉は、南水さんそのものでした。

文字を読み、文字に体温を与え、自分の思いを投影すると言う作業は、詩吟も同じです。
自分の中にあるものと同じ本を選ぶことが、大切だとおっしゃいました。
共感しないものを言葉に乗せて表現するのは、ただの音。

今までは、与えられた漢詩を詩吟風に声を出していただけと、実感。

さて、私の宿題は何?
と、小難しく考えかけたのは一瞬。

同行した友人4人は、奇しくも、玉高組。
ひとしきり、南水さんを褒めちぎり、いい物を教えてくれてありがとうと私への過剰な感謝のあと次の目的地へ向かったことでした。

すてーじ・刻のメンバーであり夢青葉のメンバーでもあるYさんにありがとうを、そして、ご苦労様でしたと申し上げます。


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合吟

2011年06月02日 | こたろう
久しぶりのこたろう情報

大きな音や声の嫌いな猫族のこたろうは、私が、詩吟の練習を始めると、そっと部屋を出て行く。

終わったら、おわったぁ~と言いながら、ノソリと出てくる。


先日、関西吟詩文化協会HPの模範吟詠を、オープンで音録りをしていたら、珍しいことに、こたろうがやってきて、合吟をはじめました。





それが、松野春秀先生の声だったからか、男性の落ち着いた声だったからか、なかなかいい感じで先生の声にあわせて歌っていました。

せっかくだから、こたろうとの合吟の音は、消さないで撮っておきます。

残念なことに、吟じるこたろうの写真は、ありません。
そして、今日も、私の練習には付き合ってくれませんでした。






    エリマキトカゲを見る     リラックス  





 聞いている      






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