風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

サザンシアターに行く

2023年11月01日 | 出会った人
新宿に行くのは、何年ぶりのことだろうか。
新宿駅新南改札を目指したが、やっぱりどこかで間違ったらしく南口に出てしまった。
改札の駅員さんにお尋ねして、あぁそうだったと、南口からサザンシアターに
向かって進む。
何年経っても、久し振りのところへは迷ってしまう方向音痴は、もう治らないね。

スマホの地図も上手には使えなくて、誰かに尋ねる時は、スマホを隠すのである。

そんなこともあろうと十分時間をとったので、開場を待って入場。
ゆっくりプログラムを読み、なるほどと、幕開けを待つ。

右サイドの通路横の席ではあるが、椅子に正しく座ったら、自然と中央に体が
向くようになっている。
これは良い。親切な設計だ。体に優しい。
たまたま、終わった後にトークイベントがあったので、それまで鑑賞したら、
三時間近くになったが、立ち上がる時膝が痛くなかった。
正しい姿勢で良い椅子に座っていたら、腰に負担がなくて更に膝への悪影響が
ないということがよくわかった。


お隣の見知らぬお嬢さんもいい席を取ってくれてと言っていました。知り合い
でもいらっしゃるのかな?
私もそうよと言いそうになるのをこらえて、「おばちゃん」を慎む。

演劇は門外漢なのですが、訓練された人の言葉は、全部がちゃんと耳に届く。
そして、トークの時も、照れながらトーンが下がっても、役者の声は届いてくる。
最近耳の聞こえが悪くなり、テレビドラマの俳優の声が届かないことが増えた。
訓練した人は、つぶやきでも聞こえるんだねぇ。
能も面を付けてさえも遠くの観客に通る声を出さねばならぬと、訓練をする
のだと物の本に書いてあった。

テレビドラマとは伝え方で全く土壌の違うものを比べてはいけないが、言葉を
届けるについて考え始めた今。
発声は強いだけではいけない事を身をもって感じ、宿題として動き始めた今だから余計に思うことがある。

舞台は、楽しみました。おかげ様でした。

あの、よどみないセリフを覚える能力と集中力、発声は、どんなところにも
生かされ、頼りにされることでしょう。

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南しずか

2022年10月06日 | 出会った人

10月4日”セブンルール”という番組で取り上げていたスポーツプログラファーの

           南しずかさん

忍者と呼ばれる所以と、その歩きっぷりにほれぼれとする。

テレビ番組で出会ってしまった人だ。

    

 

仕事が一段落した日には、友達に逢うのにも美容院にいくにも7キロくらい平気で歩くという。

ゴルフワンラウンド分くらいは、平気だ。

そして仕事では、忍者と呼ばれるくらい被写体の邪魔をしないという。

この歩きっぷり!素敵!

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帰り道の雑貨屋さん

2017年06月23日 | 出会った人
すっきりしながらも、ちょっと寂しい思いも抱えながら、センターを出る。
練習後の高揚した気分のままに、会話を楽しみながら駅へ向かうのが、常のことだから。
一人は、キャスターのゴロゴロの音が大きくてね。

センターのすぐ前の、何時も気になる雑貨屋さんにふと寄り道したくなって、立ち止まりました。

犬を乳母車に乗せたご婦人が、出てくるところでした。なじみの客かお知りあいの様子。

すれ違いに、店に入るとお客は誰もいない。

構わず、隅から隅まで、眺めて、気になるものを手に取って、矯めつ眇めつ。

一旦元に戻して、リセット。
奥から五歩ほどの入口からまた品物を見直す。

やっぱり、それが、気になる。もう一度手に取る。

おかみさんと言う年代なのだけれど、おしゃれモダンな清楚な服装の女性に、質問をすると待ってましたとばかりにその品物の説明をしてくださる。

柔らかい笑顔で説明をした後、その店の壁にある書き付けを指さし手、「無駄なものをお持ちにならないで、一旦考え直してはいかが」と、おっしゃる。

なんと、面白いことをおっしゃる。そこまで、その品の良さを述べておいて、全く面白い人だ。

なんでも、福島の惨状を見てから、もともとの思いをさらに深くしたとおっしゃる。

この店の常連さんは、気に入ったものを見つけると、まず、家に帰って、家の中のありとあらゆるところをひっくり返して、同じようなものはないかと探し回るのだそうだ。

だいたい、気持ちを変えて、探すと見つかるものなのだそうです。

商いをしながら、面白いこといいますねぇ。

そんな感覚をお持ちのおかみさんに、ボロリと「今日はひとりだったんです」と言ってしまった。
その時は、楽しくひとり詩吟を語ったつもりであって、弱音を吐いたつもりではなかったのですが、今に思うと、弱音だったかなぁ。。。



何を教えてらっしゃるのと、尋ねられ、ほんの数分後には、応援しますよと言ってくださった。

そう言えば、思いだしたけど、ここは、二度目だった。

その時から、忘れないでいてくださったようだ。
確かその時は、手に取ったものを、助言に従って、置いて帰ったんだった。

思いがけないところに、思いがけない人がいて、思いがけないことを言ってくださった。

気持ちが平らかになった。




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訃報

2017年01月18日 | 出会った人
平成29年1月17日、娘のお花の先生 古流松庭派 土田周梅先生が逝ってしまいました。

友人の娘だから、初めての弟子だからというだけでもかなりの思い入れがあるはずですが、それ以上の思いがお互いにあったように思います。
娘もその思いに応えて、精進しました。
「仕事が忙しくても必ずお稽古に来て、ちょっとの間に居眠りしながらも、花を持つとシャキッとしたよね。」という、先生の言葉が、思いだされます。


病を得てから、そして、意識の薄れて目に見える反応が無くなってからのあれこれを思いだしていると、偶然と思われたことが、すべて、先生の娘のことを考えた深い思いやりのこもった計らいであったように、感じます。
その陰には、ご主人様の先生の深い思いを十分に汲んだ上での共感があってこその導きであることも、感じられます。


この日記の2006年9月2日にも、先生と娘と花展のことが書いてあります。
あれから、10年余り。
「華道連盟や家元に実力を認められ、どんどん上へ上へと登り、それ以上にお花の腕もおろそかにせず、磨かれて名実ともに」というところだったように漏れ聞いています。

小柄な体に、強靭な心と、やさしい心遣いと、センスの良さを秘めた素晴らしい女性でした。
私よりも若いのに、あまりに早すぎます。

心のよりどころを亡くした娘は、いかばかりの想いでいるのか、気丈にふるまっています。
今日から週末まで、仕事で忙殺されるから、もしかしたら、申し訳ないけれど、お通夜にも告別式にも出席できないと思う。
きっと、先生は、自由になった身で、励ましに来てくれると思うよと、娘は言っています。

先生の闘病中、娘は、会うからには、先生には、涙は見せないと固く決めていました。
病室に招じ入れられたときは、明るく気丈にふるまい、お花の写真を見ながら、まだまだ、教えてもらわねばならないことがあるのに、と訴えていました。


その時を待つ時間の遠くて、長くて、鼓太郎に手助けを受けながら、過ごした数日間。


とうとう、その知らせが来てしまいました。



娘だけでなく、私にとって、友人としても、教える立場の身としても、いろいろと、学ぶところのある方で、これからますます、教えて欲しいこと、語り合いたいことがふえるはずなのに。

喪失感は、大きく深い。    

2015年8月29日彩花展 土田周梅教授の作品 
私の知る限りでは、公式の会では最後の作品

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始まりのカフェ

2016年09月09日 | 出会った人
  日本橋三越 本館7階 あたらしいこと、みつかる Hajimarino cafe
    月待ち講~始まりのカフェで月を迎える~
              9月7日(水)?3日(火)
 


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蘇嶐窯の涌波まどかさん

2016年09月08日 | 出会った人
 
京職人24人の業と出会う  9月1日 ~9月27日

8日は、涌波まどかさんご本人がいらっしゃると友人に教えられて、行ってきました。
数年前、黄色の落ち着いた色に魅せられて、我が家にやってきた湯のみ、第一印象よりも、どんどん好きになって、お茶の友として、そばに居る作陶です。

購入の時は、ちょっと高いかな、日常使いにしてもいいのかなと思っていました。
何しろ、食器は、「明治生まれの母の近所の荒物屋さんで買う」と言う丈夫さ一辺唐ナしなえらびをしていたのですから、「作陶」という言葉と共にある、食器と言うよりも作品なのだと思うと、生活からほど遠いと思っていましたからね。


そして、今日、青山フレックスAの会場に行って、ご本人にお目にかかりました。



      

 













~二つが出会い 新しいかたちがうまれました~


青磁と飛鉋(とびかんな)この二つが出会って、今に至るまでに、どんな物語があったのでしょう。


飛鉋の手法は、それ以前に出会っていましたが、テレビでも放映されるほど有名な九州の窯元の特殊技法です。


特殊な形をした鉋でひっかくという手法が、痛い感覚を呼び覚まして、ちょっと私には受け入れられなかったのですが、今日、二つが融合した作品には、その手法から受ける痛みが奥に引っ込んで、味わいの深さ、色の深みを出していました。
老眼の目には、それとわからなかったのです。

「飛鉋」です。と説明されて初めて、手に取ってみたら、飛鉋が飛んでいました。
そして、その青磁と飛鉋は、今家に来ました。




この写真では飛鉋の手法が表れていません。HPあるいは実際に手に取ってご覧くださいね。
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娘たちの恩師

2016年08月09日 | 出会った人
幼稚園の園長は、何時もャ鴻Vャツを着て、園庭のどこかにいらっしゃる。
園児には、「園長ゴリラ」と親しみを込めて呼ばれているのは、30年余り経っても変わりはないんだろう。

園長のスーツ姿は、入園、卒園の晴れの儀式の時だけ、そして、その時も足は白いスニーカーだったと記憶しています。

園長仲間からは、不評で、園長室のデスクの後ろにどっかりと控えて、重々しくしなさいと、言われ続けたとか。

娘たちのことは、「大事にお預かりいたします。何も足さず、何も引かずにお返しいたします」と、おっしゃった。

そのころの私は、その本当の意味するところを分かっていなかった。

娘たちの特性をありのままに受け止めて、のびのびと2年間を過ごさせていただきました。
そう、ほんとうに「のびのび」と。

おかげで、今があり、それぞれの家族を大事にしながら、その子供たちも本人もいまだに素直にすくすく育ち、幸せに暮らしています。


私の周りには、そのように、オーラを発しようとしないで、内に光を留めて、ただ淡々と、自分の決めた道を歩いていらっしゃる人が、他にもいらっしゃいます。

そのような環境の中で、一番私が、何も足されず、何も引かれず、ありのままを保ちつつ、気が付いたら、後ろに何かしらが残っていて、そして、先のことを苦しまずに、できることをできるように過ごすことが出来ています。

ありがたいことと、思います。           (加筆訂正)



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剣詩舞の先生

2016年08月02日 | 出会った人

7年余り前に、とてもお世話になった剣詩舞の先生 大輪神道流の小西如泉先生に久し振りにお目にかかりました。

そのころと変わりなく、きりっとしたお姿は、一時、体調を崩されたとお聞きしましたが、復調なされて、以前以上にお元気で、袴に隠れていても、足さばきが手に取るようにわかりました。

初心者は、袴に隠れているのを良いことに、じたばたと、足を踏み違えるものです。
ここしかない、この向きでしかない位置にぴたりと決まるから、私のような者でも、見えるのです。
この写真では、足の位置はわかりますが、膝を曲げないで、腰が高い位置にあるときの足さばきは、以前習っていた時は、皆目わかりませんでしたが、長く休止していて久し振りなのですが、わかってしまったのです。

整体の山田先生のご指導もあって、腰からの足の出方、上半身の傾きによって、足の位置がどこに来ると、安定して美しいかが、ちょっとばかり見えるようになったこともあるのでしょう。


お稽古の時に、袴で、足の位置がわからないと訴えた時に、ふつうは、こんなことしないんですよと言いながら、袴をたくし上げて、足さばき、足の位置を見せてくださいました。
そして、何んと次のお稽古の時は、トレーナーを履いてきて、まるで足の動きが見える練習をしてくださいました。
なんてことを先生にさせてしまったのかと思ったのですが、初心者の見えていて見えなかった頃のエピソードです。

袴をはいてこその動きの美しさですから、なんとなく先生も恥ずかし気でしたが、袴がなくても美しい足さばきでした。
方や、私の足と言ったら、馬脚を現すどころか、恥ずかしくて、とても見せられたものではなく、袴をはいて練習しなくちゃと、思ったことでした。


ところが今日も、あの時ほどおみ足が見えるほどではないにしてもはっきりと足袋が見えるまで、袴をたくし上げて、足の動きと位置をお弟子さんたちに見せていらっしゃいました。
これと思う意見は、柔軟に取り入れて、お弟子さんのために何でもなさる偉大な先生だったのだと、いまさらに、感じいりました。

この先生が、死に物狂いでご指導くださったから、半年余りで、曲りなりの舞ができたのだと、感謝してもしたりない思いでいっぱいになりました。

ご自身の技にプライドを持ち、そのようにお弟子さんへのご指導を続けられていて、あの頃初心者としてお目にかかったお弟子さんが、先生舞のの軌跡を描いて、決めていく姿は、とても美しく凛々しかった。


どうしても、型の決まらないお弟子さんには、流れるように舞うけれども、一つの区切りでは、キチンと型を表して、静止せねばなりません。とおっしゃっていました。


その言葉から、お習字の楷書と草書の違いが見えてきました。
うったてと、止め。まさに、その通りに先生はお手本を示されました。

うったてと、止めの間の舞は、剣舞と雖もしなやかに滑らかに、静止した美しい形のなかにも、扇をしまう動作などにも、その細かい部分に気が行き届いていて、飽きることがない。

そして、大きな動作の時は、直線だけでなく、詩吟でいえば「揺り」となぞらえる部分の舞の手は「たゆとう」ように流れてゆきます。元気なだけの剣舞とはまた違った女性らしい動きが、魅力でした。

こんな味が詩吟にも出せるようになったら、よいなぁと、ぽかんとして、見つめました。

                         (8月3日加筆)


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菊池ビエンナーレVI

2016年02月17日 | 出会った人
第6回 菊池ビエンナーレ展

故郷の知り合いが、入賞したとのことで、ご案内を頂いていた現代陶撃フ〈今〉という副題の付いた展覧会に行ってきました。

並み居る大きな作品の間に、米田和さんの作品が、こじんまりと、それでも引けをとらないパワーをもって、座っていました。

大きい作品は、その、技術の高さを表すうえでは、大事な要素であることを、学決ウんにお聞きして、なるほど。
圧涛Iなパワーが迫ってくると、振り払いたい気がして、小さい作品は、この手に抱いて連れて帰ることができるから、とても、気持ちに沿って親しみがある。

私にとって、陶剣iは、まず、生活の器として身近にあるものだから、陶撃フ件p作品をはじめ見に来た私は、たじたじとする。























私の一番気に入ったのは、私情の入る米田さんの作品を抜きにして、大賞ではなく奨励賞の「Form」作者 若月 バウマン ルミ でした。
優しく寄り添う感じが好きだ。

この作品は、一番に話題になった作品だったそうですが、審査の経過をたどるうちに、他の人が大賞を受けました。

鑑賞後に、受付にいた学決ウんとずいぶん長くお話をする機会を得て、とてもいい時間が過ぎ、良いものを見ただけでなく、ちゃんと締めくくりをしたことが、初めての経験でした。

作品を優しく見つめて、知識をひけらかそうとしない若い女性の学決ウんは、私の、思いをしっかりと受け止めて聞いて、その、感じ方を素直に認めてくださった。

しっかり聞いてくれて、受け止めてもらえることの心地よさを、体験して、このようでありたいと、思えました。
今日であった若き学決ウん、初心者の私の気持ちを、陶撃ノ向けてしまったなぁ。



後日、このパンフレットを見ながら、その時の学決ウんの話とか、初めての陶兼Wに引き込まれた話を娘としました。

やはり娘は、花にまつわる作品に目を奪われるようでした。
「デッサンが狂っていると受け入れられないのよね」とほかの写真に目をやりながら、これがいいと指さしました。





織田 阿奴作 金銀彩六角陶筥 「苧ム」





さて、この日、米田和さんの作品展が、さるデパートで開催と案内を頂いたので、それに合わせて、出かける予定を組み立てたのですが、さて、デパートに行ったら、昨日で終わっていた。

米田さんにもお目にかかれるかと期待しつつ、言ったのに、私って、なんて馬鹿。

残念だ。ごめんね。米田さん。
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現代浄瑠璃演者

2015年09月28日 | 出会った人
長恨歌九段の私の担当の吟詠は、十分に力を発揮できずというより、準備不足で、ずっこけました。

その準備不足の私の吟詠を、過分の言葉で褒めてくださった方がたった一人。
先日、東久留米の論語の会で、初めて出会った現代浄瑠璃の演者であるMさんです。

はるばる素読の会に参加なさって、私たちの吟詠もお聞きくださいました。
お話がしたいからと、ランチも一緒です。


声を出すことでいろんな苦しい経験のあるこの女性は、先月、初めて、しかも、絶句の半分しか吟じなかった私の吟詠を、とても気に入ってくださいました。

そして、「長恨歌」の解説と吟詠をしますとの、須藤先生のご案内に誘われてはるばる、新越谷までいらっしゃいました。

Mさんの、声を出すことにかける情熱を、見習って、何の問題もない私が、この有様では情けない。頑張らねば。

今、彼女が持って来てくれた現代浄瑠璃を演じたカセットテープを、聞き始めたのですが、レコーダーの不調で、途中で、とん挫。

レコーダーも当分は、必要だなぁ。

彼女の声を太さと安定感は、隣で素読をしていても力強く響いてきます。
そして、その、抑揚の確かさとぶれないところが、大きな魅力です。

詩吟の読み下しの時も、このように読み下しができれば、吟詠にも大きな影響が出ることでしょう。

現代浄瑠璃は、言葉がわかりやすくなっていて、はっきりと言葉が聞き取れます。
これを生で、聞くことができたら、さぞやと思います。

現代浄瑠璃を一人でもたくさんの方に聴いてほしいと、願っている彼女には、まだ後継者がいないそうです。
だからこそ、たくさんに聞いてもらって、興味を持ってほしいと。

詩吟も、若い人をいかにして魅了するかが、今後の課題です。
芦孝会の公認会継続も、そこにかかっています。



             警鐘


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