風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟ニュース

2014年10月31日 | 詩吟
 



月に一度の関西吟詩文化協会ニュースの送付作業。

野田会長から届く挨拶状の原稿に季節の花の挿絵を添付したものを用意する。
この絵は、関吟ニュースにの表紙にも取り上げられるほどの腕のピカイチの会員さんによるもの。

封筒に、ゴム印を押し、住所シールを貼る。

ニュースを折り封筒に入れる。

封筒の表書きを見ながら、挨拶状に送り先の名前を書く。

挨拶状を表の宛て名と間違いないと確認しながらいれる。

封をして、郵便局へ、そして、その時期の記念切手を貼って投函。


長年やり続けていると、手順もスムーズになり、リカバリー力も上がってくる。
丸一日かかっていた仕事が、今や一時間で終了するようになった。

最初は、こんなに単純な仕事に、手こずるとは思っていませんでしたが、スピードアップしたものだと、一人悦に入る。


慣れてくるにつれて、一つ一つの作業に、私なりのこだわりを設けることによって、作業を退屈なものにしないように、そして、先様にわからなくても、受け取った人がなるべく心地よいようにと心がける。

ちっちゃな、自己満足。








必ず1日にと、決めた日に無事投函。完了。
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夢松風

2014年10月29日 | 詩吟
松風10月2回目のお稽古。

メンバー3人、ゲスト1人。
今日は、珍しく9時から11時までの時間帯。
いつも出席するもう一人のゲストさんは、欠席。みんなにどうしたのかなぁ?と心配をしてもらっていた。
忙しい人だから、午前中はダメなんじゃない?と勝手に決めこむ。


今日からは、リセットして、いつものペースで練習ができる。
8月入会の新人さんは、目まぐるしい日々を過ごしたので、通常はこんなにゆっくりのんびりなのよと、わかってもらえる。

今日は、会員さんからのリクエストで、昇段試験の録音テープを聞いて、ご指摘いただきたいとの申し出でがあり、要望に応えることにしました。
昇段試験の吟詠を録音することは、良かったのかどうかわかりませんが、それが、こういう形で、積極的に問題解決したいとの気持ちを見せてもらった。


私自身は、終わったことは、あまり問題にしないで、その結果は私の次への指導のヒントとしてとらえるつもりでいましたが、所望とあっては、致し方ないなぁ。

こういう材料を与えてくださったのだから、新人さんには、今はわからなくても、先に行って「あれだったのか」と、わかるときがあるでしょう。

テープを聞き、今から取り組んで注意する点をピックアップしてみました。
息が切れて、出したつもりでも聞こえてこなかった、最後の音。
吟法をついまちがってしまったところ。
吟法のもう少し欲を言えば、という箇所。

もちろん格段の上達を見せた箇所も忘れずお伝えして、昇段試験の締めとなりました。

このようにして、締めを行うことも悪くはないのですが、足りないところを指摘してしまうことに抵抗があります。

4段になったら、指導資格を頂くことができますから、振り返って問題点を訂正して強化する必要があります。

それまでは、通過点を気持ちよく明るく、過ごしたいと思います。
今回のように、会員さんからの所望があれば、別ですが。



今日の練習の吟題は、「舟由良港に至る」4回繰り返し、段数を上げて4回。そして、独吟。
今日は、前回に引き続き二回目。
先輩が上手に先導ができるので、入会して3か月目にして、二回目の練習で、独吟ができる。

先輩がいるのといないのとでは、こうも違ってくるものかと、思う。

それなら、夢組さんの創立メンバーは、よく頑張って、きたものだと思う。
のんびりゆっくり、それでも、青葉は、他の教室と同じペースで昇段試験を受けて遜色がない。
すごいねぇ。

単純にいえば、熱心さと素直さが、練習回数を上回っているということなのか?

そのあたりのことを、細かく詮索しても、意味はない。

今まで積み上げてきたことが、今のあなたを形成している。そして、私の今もある。

おかげ様、ありがとう。
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東京芦孝会昇段試験

2014年10月26日 | 詩吟
春と秋に行われる昇段試験です。

夢組からは、それぞれ二人ずつ、弐段と参段の受験でした。
そして、もう一人参段をテープ受験。

松風は、臨時練習でダメ押し練習をしていましたから、様子がわかっていて安心していました。

青葉は、練成会の練習で今月の練習を行いましたから、昇段試験としては、特別な練習をしていませんので、少し心配していました。

一人は、聞いて聞いてタイプ、一人は、コンダクターで、音を確かめながら、復習をするタイプ。
たぶん大丈夫でしょうとおもいつつ、出かけました。

神戸留学中の彼は、すでにテープが届いていて、あらかじめ聞いていました。
元気いっぱいの吟です。
神戸の先生のご指導のもと、順調に期待以上に伸びています。
みなさんもお聞きいただいて、驚くと思いました。




すごーい、四人とも、練習の時以上の出来で、審査していて、驚きました。
それぞれ、チェックの入っていたところを、ほぼクリアして、大きく乱れることなく、受験の吟詠を終えました。

なんだか、誇らしく、うれしく、冥利につきるなぁ!!!

こんな喜びをもらうなんて、おこがましくも「先生」という立場にいるからなの。
夢組さんに、支えてもらって、さながら、騎馬戦の大将だわ。

重くなったら、落としていいよ。




そして、午後からはいつもの練習。
苦手の和歌。
青葉の二人に挟まれて、声を出して練習をし、三人で合吟しました。
初めての練習は、練達の先輩が他でも、すんなりと吟じることができるのではないことを、目にして、何か感じることがあっただろうか。
それぞれの、練達具合で、それぞれがそれぞれに、上を目指して試行錯誤されたものであるということ。
練成会などで、私たちが目にし、耳にするのは、練習を重ねて、無敵になったものなのだということ。




今年は、4月から律詩に挑戦し、きょうは、野田 芦孝先生直々に和歌の手ほどきを受け、目まぐるしい一年でした。

先生、是非和歌を教えてください。と請われて、私は少し青くなる。
教えられるほど、和歌に習熟していない。
コンダクターを頼りに音程を正しく吟じて、それ以上のことは、ご自身に任せるという方法になるなぁ。

幸い、青葉さんは参段合格。これからは、独り歩きをしていく練習が始まる。
試験後の講評でも、情緒を出してとの言葉があった。
受験生のみなが優秀であったこともあって、ワンランク上の宿題を頂いたと受け止めよう。
また、今年は、特にテキストを見ないで吟詠された方への絶賛がありました。
去年とは違う講評にも、今年の受験者の水準が高かったことがわかりました。


私自身について言えば、やっと、正確に吟じることを第一とするの吟詠から、少し脱皮しつつあるのかなぁと、感じたのは、自作の漢詩の練習を始めたことからです。

その詩の背景、思いなどがわかって吟じる吟詠の心地よさは、比べるものがないくらい。
ここで、自己陶酔や自己満足に陥らないで、精進できるなら、吟詠することの幸せを分かち合うことができるなぁ。


こんな気持ちを、夢組さんにも一日も早く感じてほしいなぁ。

私が、47年目にして、やっとだといっても、会員さんたちや同朋がそれだけの時間はかからないのである。
今、それを感じている私が、そばに居るから、その思いは、最短でつながるはずだから。
それも、頑張って、基本を貫いてきたからだと、自信を持ってほしい。


みなさんは、詩吟以外は、すべて、私以上のものを持っていらっしゃる方たちばかりだから、そして、私が心から願っているから、実現は早い。


そしてその傍ら、まっすぐな力強い吟詠を、忘れてはならないと思う。
これが、私の、「望郷」だから。


そう、今日は、練成会でカットされた指導者吟詠を、思いがけなく吟じることとなった。

私の初めての作詩した「初夏即事」
3月に神戸の関西吟詩文化協会80周年大会に出席し、一番バッターとして吟詠の先導をしました。私としては、最高の出来だと、恩師に見ていただいても、恥ずかしくないものができたと。そして、思いがけなく旧師、旧友、後輩に会って、うれしくて舞い上がってしまいました。
帰宅したら、思っていもいなかった望郷の念に駆られて、今は亡き佐藤鷺照先生のことを思いだして懐かしくてたまらなくなってしまった。

そして、関東には無い山並みを想像しながら、出来上がったのが、私の「初夏即事」。

いつも背中に、山並みをしょって、朝に夕に、目の端にいた山並みなのに、関東に来たら、山並みがない。
だって、関東平野だもの。風は吹き抜け、洗濯物は飛んでいく、スカートは舞い上がって歩けなくなる。

そんなところにいると、支えを失った気がしたものだった。

結婚して40年、山並みを失って40年。

突然、緑の山が恋しく懐かしく、やさしく吹く風に焦がれて、出来上がった。
といえばかっこいいけれど、漢詩の作り方の夏のページから、イメージがわく熟語をかき集めて、ざらざらと囲いの中に移し替えるというパズル形式の、作詞だった。

それで、添削でまっかっかになった漢詩だけれど、それはやはりまぎれもなく、私の思いが詰まった詩なのです。
整って美しくなって余所行きの着物を着せていただいた感ありという風情で。


吟じていると、うふふ。。と思う。
誰に強制されたわけでなく、自然に作詩をしたいという気持ちになって作ったものだからなのね。

宝物だねぇ。


受験したのは、夢組会員さんだけど、私も、一緒に、初夏即事を吟詠して、昇段させていただいた、思いでした。





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極小巾着

2014年10月24日 | 出会った人


こんなに小さくても、一切の手抜きなしの裏付きの巾着。

何かの加減で頂いたのですが、頂いたときは小さすぎて、なにをいれるの?と半ば、唖然として受け取ったのでした。

ところが、目薬を差さねばならない羽目になって、処方されたチャック式のビニール袋に入っている目薬をバッグに忍ばせるのには、ちょうど良い大きさだったのです。

ありがたや。

色もこの色は、目立つので、どこにあっても、バッグの中にいても、見つけやすいのです。

改めて、矯めつ眇めつしてみると、こんなに小さいのに、手抜かりがない作りになっています。
私だったら、まず、こんな小さいものに、裏生地なんてつけないねぇ。

彼女の細やかな心遣いが、すっと入ってきて、私をとらえて離さない。

はぁ~、私にはまねのできない技だ。

おかげ様、ありがとう。頂いておいて、よかったぁ。

そうよ、彼女は、私をさりげなく上手に論語へと結び付けてくれた人。



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聲明

2014年10月22日 | 徒然に日々のことを
       聲明公演 ~曼荼羅音の饗宴~
           会場 紀尾井ホール
          主催 公益財団法人 日本テレビ小鳩文化事業団

かねてより興味のあった「聲明」のコンサートのチケットが、ひょんなことから手に入ったので、いてきました。

急用でいけなくなった方のチケットを譲ってもらったので、どなたもお誘いしなかったのですが、私の持っているチラシを見て、興味を持った方がお二人、別にチケットをとって、鑑賞です。

聲明にだけ興味があったので、今回は洋楽とのコラボレーションは、第一部では、ちょっと違和感がありました。
ピアノ、バイオリン、チェロ、フルート、オーボエとのコラボでした。
声とよく合うのは、弦楽器と思っていましたが、今日のコラボでは、オーボエがよく合っていたと思います。
フルートももとは木管楽器ですから、合わないはずはないのですが、オーボエの少しかすれるような音が、よかった。

初めて聲明を聞いて、こんなことを言うのは、失礼かなと思いながら、正直に言うと、最初に聲明の出だしを唱えた方と、洋楽器のアンサンブルとの音程が微妙にずれていたのではないかと思ったのです。

完全に調弦された楽器と、人間の体を楽器とする音には、洋楽を学んだ人と、学ばなかった人との音程の取り方の差があるように思いました。

二部の聲明とのコラボは、別の人が出だしをなさいましたが、洋楽の音程ぴったりに発声をしていたように思います。
それで、違和感を感じなかったのか、それとも、楽曲の作曲の違いなのか、洋楽を学んでいない私には、よくわかりません。

オルティンドーの先生にも、お聞きしたことがあります。
オルティンドーの音程には、楽器で表せない音程があると、洋楽を学んだ人には、外れた音と耳に届くことでしょう。

どれを、正とし、どれを誤とするのか。

ある意味、洋楽器は、計算された音を出し、体の楽器はその人だけの音を出す。

人と比べようとすることが始まったとき、良いおととは、多数決で決まってきたものなのかもしれないなぁ。

その人しか持つことのない音程を、その人しか表現できない情緒を、誰がどのように、判定するのだろう。





二部に入る前に、司会の方の説明で、聲明は、すべての邦楽のもとになるものである。と。
そしてそのころ中国から入ってきた漢詩に節を付けて歌い始めたころでもあるし、今様も流行をしたのだと。

二部のはじめには、今様をオペラ歌手が歌いました。
それはそれで、素晴らしい歌声でした。

聲明の声の伸ばすところは、詩吟と同じで、美しい母音でのばしています。
その、美しい日本語の母音で心地よく声の響きを受け取った後の、洋楽の母音の発音 発声は、私にとっては、どんなに鍛えられたプロの歌手の声でも、頂けないのでした。

そして、着物に似せた白い舞台衣装も、受け入れられなかったなぁ。

ソプラノ歌手の歌の後も、洋楽とのコラボがありました。

こちらは、違和感なく心に沁み渡って、確かにパンフに謳ってある「癒しの空間」でした。

それぞれ完成されたものの、コラボでしたから、それぞれは遜色のないものを目の当たりにしたのですが、生意気な感想だと自分でも驚く思いが湧き上がってきてしまいました。


   ~パンフより~
聲明とは・・・
 経文や真言に旋律抑揚を付けて唱える仏教声楽曲のことで、インドにおける原始仏教教団の成立に伴ってその原型が起こり、法要儀式の大切な要素として、仏教の伝来とともに中国を経て日本に伝えられました。
聲明の音楽理論や旋律様式、デイ学的技法は、平曲、謡曲、民謡、浄瑠璃、長唄など、後世の様々な声楽分野の形成に多大な影響を与え、「日本音楽の源流」と言われ、その歴史と音楽性において優れた宗教(典礼)音楽として、今日高い評価を受けています。


パンフには、詩吟の文字がありませんでしたが、司会の方の説明の中に、詩吟を思わせる言葉があったので、大いに気を良くしたのです。

声明の声は、柔らかく心に響くのですが、決して口先で軽く出しているのではないようで、その伝わる力は、ものすごいものがありました。
そうだ、演者は僧侶なのだ、舞台に上がって見せているからといっても、演者でも歌手でもない。
そうだよねぇ、僧なんだよ。
 
 
 
 
それぞれに、思いを抱いて、雨の中帰路につきました。
コラボって、難しいなぁ。

オルティンドーの三枝綾子さんと、バイオリンの向島ゆり子さんとのコラボはよかったなぁ。
馬頭琴が一番オルティンドーの声に歴史的にもあうけれど、これはコラボというより、一体のもので、バイオリンとは、一定の距離があって、コラボだった。



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臨時夢松風

2014年10月20日 | 詩吟
会員さんの所望により、26日の昇段試験に向けての、ダメ押し練習が、行われました。
いつもと同じ、会場を確保していてくださって、なじみの場所での、臨時練習です。

前回の練習で、何か不安なところが解消できなかったようです。

今までの、定例の練習の時と違って、明確な問題意識をもっての練習でしたから、2時間で、お二人のそれぞれの課題とする絶句二題の練習が過不足なく、行われました。


上引上げ揺り引きの七の高さを、抑え目の高さになっていたのを少し引き上げ、それによって、六の高さに降りた時、明確に音が聞こえて、五の高さへの降りが、スムーズになる。

「七 六 五 六 七 六 五」の音の連なりからなる32番は、最初の七の音を、上目に出さねば生きてこない。
彼女は、ただただ、私の吟詠の繰り返し、ただただ真似をするという形から、脱しつつある。

掴みそこなうと、大変になってしまうので、微妙な音の高さ調整は、試験直前に行って良いものやら?と思いましたが、やはり、今言っておかねば。
彼女自身も、納得がいってなかったので、私の心配は杞憂に終わりました。
思いがけず、数回の練習で、きちんと出せました。

臨時練習は、おひざ元の会員さんではなく、ゲストさんに行うのが今までのことでしたが、これで、納得がいかなければ、臨時練習を行えばよいという前例ができました。

月に一度あるいは二度、そして2時間という時間制限のある状況では、この、前向きの臨時練習は、有意義であることがわかりました。
遠慮せず,いつでも申し出てほしいのです。

もうひと方は、音程を今一つかみ切れてないので、「三」本からの変更を見送ってきました。
彼は、声は高いのですが、高音域では、声がひっくり返ることがあるので、あえて、低めの高さで練習を続けていました。
すると、乙 一の一番低い音が、声をとぎらせないで、スムーズに出るようになり、なかなかの仕上がりです。
あとは、高音ですが、中音があれだけ響くのだから、高音が伸びやかに出るようになるでしょうう。
低いなぁと悩んできたことが、結実しそうです。


段下がりの低音の響きは、ほんの少し音が上下していますが、「なかかのものでありました。」



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論語勇の会とはじめの一歩

2014年10月16日 | 論語と
論語の三つの教室に、それぞれ「知」「仁」「勇」の会と名前が付きました。
第三木曜日は、基礎講座改め「勇」の会。

今日の先生の講座は、パワフルで、いつになく速いスピードで進み、もういつまでも基礎講座ではないのよと言っているみたいだった。

途中まで、ついていった頭がギブアップしてしまったけれど、何とか一つでも、心に入れて帰らねばと、焦る。

事前の打ち合わせでは、初めの一歩に少し時間をいただくかもしれませんとのことだったのですが、時間内に終わったのはそういうことか。

うーん、困った。これから先もこのペースだったら、心せねば。


はじめの一歩は、先月に引き続き「川中島」口移しの練習は、少しずつ効果を上げて、みんなの声もそろってきて、パワーも備わりつつある。

相変わらず、教室の後ろの席から前に出てこない人たちがいるのだけれど、強力な助っ人のおかげで、ここまで届いてこない人の声を拾ってくれていた。

おかげ様。詩吟ではどこに行っても、助っ人がいてくれることが、ほんとにありがたい。

50人ほどの定員の教室に、14~15人が散らばって、座っているので、私のところまで声が届かないのです。

論語の教室からその延長での詩吟講座なので、みな、すでに座っていた席から動きたがらないのです。

楽しく自由には、どこに行っても変わらないけれど、ここは、特に自由だなぁ。
でも、自由だけれど、無秩序ではない。さすがに、論語の先輩たち。

そこが、うれしくて、その、自由さを心地よくとらえている。

この広い教室に私一人で、吟詠をしているなら、困ったことだけど、中間の席で、私が拾えない声を拾ってくれている人がいるから、自由が勝手気ままになっていないのだ。

ゆとりをもって教えられることが、詩吟や大きい声を出すことに少々抵抗のある人に、安心感を挙げていることになる。

おかげ様。
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お姉ちゃんがきた!

2014年10月15日 | 
>

久しぶりにお姉ちゃんの生け花が、玄関に飾られたよ。
ふむ、ふむ。
ちゃちゃっと、すばやく、でも、きっちりと。
腕を上げたねぇ。
よしよし。

この後、ビールでかんぱい。
ぼくは、かつおぶし。



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繋がってる

2014年10月15日 | 論語と
須藤先生とのメールのやり取りが、何か事があるとよきにつけあしきにつけ、何度かなされています。

勝手に書き散らすのと違って、お相手の一人の方に向けての手紙は、今まで、キャッチボールが続いたことがなく、すぐに沙汰やみとなってしまう、手紙下手の私です。

だんだんに、知り合いが増えてきて、ねばならぬ連絡も事務的にやり過ごすことで、ごまかしているのですが、須藤先生とは、先生の大きな包容力によって、続いているらしい。


今回も、ちょっとしたことが起こって、メールを頂きましたが、素直に心開けるおかげで、思いを伝えることができました。

誰かに怒りを伝えるのは簡単だけれど、それから先の失うものの大きさを考えたら、考える方向を転換したら、それが、なんでもなかったことに考え直すことができることを、学びました。

どうして、相手が須藤先生とお話をすると、こうもすんなりと、矛先を収めることができるのか、不思議なのです。

さて、明日は,勇の会とはじめの一歩。

明日は、漢詩鑑賞はお休みして、何か別のお話をしてくださるようです。

次回(11月は部屋が取れなくて、お休みになったので12月の第三木曜日)は、また、漢詩鑑賞をしてくださるようです。

また、メールでは、足利薪能と論語の二日目(私は、翌日の練成会のことを考えて、二日目の参加はしなかったので不在)素読の会の会長の経営するホテルに泊まると、朝6時には、論語の素読で始まるのが慣例です。
その、素読の前には、私たち詩吟仲間で行っている体操を取り入れてくださっていると教えていただきました。

お楽しみだけではなく知識や技術を伝えあって、輪が広がっています。

二日目の論語は、少人数で、和気あいあいと楽しく行えたそうです。
次回は、ゆっくりととまって、先生の論語を聞きたいものです。

やはり、先生の話は、朝の明晰な時間に聴くのが良いなぁ。長時間移動して、食事でおなかがいっぱいの時は、ちょっと私に学習はつらい。

さて、明日のはじめの一歩は、尺八さんが出席なさるだろうか、そして、伴奏をしていただいて、詩吟初心者の方たちに楽しんでいただけるだろうか。

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東京芦孝会15周年記念錬成大会(10月13日)

2014年10月14日 | 詩吟
公益社団法人 関西吟詩文化協会 認承 

   
東京芦孝会 創立15周年記念錬成大会 無事開催!


詩吟の好きな仲間が集い唱和する時は、心が一つになるようで、うれしい。

芦孝会の仲間が集い、年に一度の練成会は、今年で、15周年を迎える。
この、お祝いの日に台風が避けてくれたのか、無事予定通り開催されました。
大事をとって、プログラムの一つをカットして、早く帰宅できるように配慮がなされました。

おかげで、全員が最後まで、心配なく席に座り、会をもり立てることができました。

カットされたプログラムは、指導者吟詠。初めての気楽な練成会だったのですが、翌日は、なんだか忘れ物をしたような気分でいます。
やはり、みなと同じように、胃の痛い思いをして、確かめられる場面は、人生のスパイスとして必要なのかしら。


また、二か所で、私のミスで、青葉さんの新人を走らせたり、戸惑わせたりしましたが、夢組としては新人でも、誰よりも若くても吟界では、数多くの場面を踏んでこられた方だけに、あとで、笑い話にできるような鮮やかな対応をしてくださり、感謝の極み。

また、司会に頑張ったり、初めての合吟体験、初めての連合吟コンクール、芦孝会デビューなどなど、夢組さんたちは、新人さんも先輩さんも忙しい一日でした。

お疲れ様でした。
さようならの時、それぞれがそれぞれの表情で、楽しんだという表情を見せてくださり、充実した一日を過ごされたことを感じ安堵しました。


連合吟コンクールの野田 芦孝会長の講評
詩を大切にそして、心を大切にしよう。
そのためには、誤読をさけ、母音だけでなく子音を明確にしましょう。とのご指摘でした。


母音を大切にとは、ずっと言われてことですが、子音を明確にとは、助詞をはっきりとさせて、じつは、「読み」が大事ということなのだ。

夢組さんたちは、基本の発声について学んできたけれど、さて、これからの方向はと考えたら、子音を、助詞をと考えていくと、正しく声を出すだけではなく、しっかりと詩の意味を確かめる時期に来たのかなと、思える。
素直に声を出しているだけの時期は、そろそろ、特に青葉さんは、終えねばならないかなぁ。
 
 
さて、私もさらに考え、しっかりと学びをするときが、来たな。頑張らねば。
 
 


   温故新生

   継承への更なるチャレンジ


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