風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

誕生日

2011年03月22日 | 風のこたろう裏日記

63才の誕生日。

いろいろと思いをめぐらせて、何かを決心したりするのだろうけれど、それどころではなく、気にかかるのは11日にあった大地震とそれに続いて、原発の事故の今後のこと。

11日は、帰宅難民となり、バスを乗り継ぎ、途中で渋滞で動かなくなったバスを降り、直線距離8キロを3時間かけて歩きました。

途中で、夫と合流出来たのが幸い、心配なく歩けました。

家に着いたのが、午前3時過ぎ。
念のためにつけてみたテレビで、予想を遥かに上回る大災害が起こっていることを知る。
ただ、普通の道をちょっとだけ長く歩いたくらいでは、難民とはいえないなと思ったのでした。

私たち夫婦が、パスに乗ったり歩いたりしているあいだに、心配して電話をかけてくれた姉たち。

朝の早い時間に、待てなくて、電話をくれて声が聞けたことで、大安堵をしてくれました。

家族、親族、おかげさまで何事も無く今日まで来ることが出来て、本当にありがとうございます。

被災された方々が、すこしでも早く、普通の生活を取り戻されることを、祈ります。
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レディ ホーク

2010年07月13日 | 風のこたろう裏日記
ナバールとイザベール。イザベールは、レディ ホーク、ナバールは、ウルフ。
ナバールは、夜になるとウルフに、イザベールは昼になるとホークに。夜と昼、昼と夜の狭間のほんの一瞬に,二人は人間として会うことが出来る。悲恋である。こんな苦しいことはないだろう。映画は、ハッピーエンドに終わるけれど、人間の男と女、夫と妻は、どれだけの人がすれ違わずに、同じ種として見えることができているのだろう。幸せに向かう人と、何時までも交わらずに苦しんでいる人たちも居るのかもしれない。出来ることなら、映画のようにハッピーエンドに、なると良い。 ----- --------

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オルティンドー ライブ

2010年06月13日 | 風のこたろう裏日記
北千住ライブに行ってきた。

●ミュージックライン千住
http://musicline-senju.net/

4店舗のライブを1枚にチケットで、楽しめるという北千住のお店やさん同盟の楽しい催しです。
それぞれ、はしごをするってのは、かなり難しいから、私は、あやこんさんのライブ2ステージを1枚のチケットで楽しむことにしました。

その日の昼間は、浜吟の練習日。
ひざの痛みのために、いろいろとアクシデントがあり、その最たるものは、集中力に欠ける詩吟。

痛み止めの薬が変に効いてきたというより効かなくて、痛みは相当残っているのに、集中力がとぎれる。
そして、足を踏みしめられないってことは、丹田に力が入らず声の支えが出来なかったこと。

今日は、名古屋からの遠来のビジターさんがいらっしゃって、お稽古の後の飲み会にも参加するので、誘われたのだけれど、残念ながら今回はパスして、北千住へ向かう。

途中花を買ったり、足が遅いので、遅刻だったが、ライブ自体が遅れていたので間に合った。

6月の花は芍薬が好きだ。
途中の店で、花開いたのとつぼみとを買って、いつも立ち姿の美しいあやこんさんに持っていくことにする。「たてば芍薬」だ。

いつも、常連さんの集まるお店にライブのために行くと、いわば、ビジターだ。
店主さんは、にこやかに対応してくれるが、お客はそんなわけに行かないから、ビジターの気分になるんだよね。

さ、それはさておき、普通の衣装で向島ゆり子さんのバイオリンと三枝彩子さんのオルティンドーのコラボが始まった。

これが、友達と一緒だったら、もっと楽しかっただろうか。
残念ながら、その気のある友人は、遠いし、近くで行きやすいはずの友人は、この雰囲気が気詰まりだったり、オルティンドーに興味が無かったり。
私の友人は、私の友人らしく、わが道を行き私にあわせようとしない。
仕方が無い、私が招いた結果だ。

いろいろと、天邪鬼だったり、さびしがったりする私のこれからの、もろもろとの付き合い方は、どうなっていくんだろう。
興味深々。
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グレイヘア

2010年05月11日 | 風のこたろう裏日記

五月六日、なじみの美容院で、髪を切ってパーマをかけました。

詩舞のために、髪を伸ばし黒く染めていたのですが、それをやめました。
去年から、ヘアカラーをやめようと心の準備を整えていたのですが、詩舞という伏兵が出現して、ひっつめ髪に出来るだけまで長く伸ばす必要と黒く染める必要が出来たのです。

染めないと決めたのに、染めなければならなかった間の面唐ュささといったら、飽き飽きしてしまいました。
髪と地肌のためという目的があるので、某社の新発売の地肌に優しいヘアカラーを使うことにしたのはいいのだけれど、染め上がりのつやのよさと髪の腰のの強さ張りでは満足しても、真っ黒に染め上がることとその手順の面唐ネことには、どうにも我慢が出来なくなりました。

目的の十周年を終え、春の会の賛助出演を終え、後は6月の老人ホームの詩舞を終えたら、まったくの自分だけの詩舞のお稽古になりますから、グレーヘアーでもよいかなと思うのです。
それで、予定通り、染めるのをやめたのです。
詩舞は、いまのところやめませんが・・・・・

染めるのをやめて5ヶ月。
一ヶ月に、1センチちょっと伸びるのがよくわかりました。
そしてその先は、黒かったり茶色かったり。

その、色の具合がおしゃれとほめてくれる人もいて、それぞれの好みってねぇ、と思ったのでした。
このまま、白いのが全体に伸びてくるとどんな風情になるのやら。

白いといっても、まだ、黒髪を混ざっているので、ごましおというのかな。

グレーヘアーを思うとき、決まって一枚の写真が目に浮かびます。
それは、退職前の局長官舎の広縁の座布団に座って微笑んでいる父の姿。
サザエさんの波平さんの髪を白く薄くした髪型の父は、目のしたの大きな泣き黒子がとくちょうです。

日当たりの良い縁側の座布団にすわり、お茶をすすりながら笑顔で孫とともに居るイメージが、私の「まっとうなおばあさん」のイメージ。
それなのに、思い浮かべるのが父の姿とは、ちょっと面白い。
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新教室

2010年04月15日 | 風のこたろう裏日記
4月18日、詩吟の新教室がはじまります。
場所は、東村山市。
友達の、店先をお借りして、まずは二人から。



いろいろとご相談をした結果、
「夢」の文字に、意外や意外、皆さん好感触を持たれて賛成してくださったのだが、最初に賛同してくださったのは、一番年配の方だった。
娘に言ったら、夢工房って、お母さんのイメージではない、詩吟の教室らしくないと。
それに店の名前を教室の名前にするのは、ちょっと問題があるよね。と。
うーーーん。思っていることは、ちゃんと伝えねば。


青葉というのは、教室の住所地で、私の雅号の萌照とよく似合うなぁ。。。
いつまで、この地で指導が続けられるかわからないから、それは、理由の最後にあげるとしよう。

ゲスト先での飲み会や、前回の中央会のあとでも、東村山から程近いところに住まいのある方が、参加したい意向を示してくださって、心強い限り。

ただ、二人のスタートメンバーのやる気を起こさせるタイミングで、参加してください。今は、そっとして置いてくださいとお願いしました。

スタートメンバーが二人と見学が一人。
東京支部のメンバーで長年続けていらっしゃる方で、参加したいとおっしゃる方が、三人。

いつ、参加してもらえるのだろう。

まず、18日のお稽古の出来具合、というのは、生徒さんのではなく、私の出来具合が肝心。

うーーーーー。。。・・・
楽しみで、胃が痛いかな?(笑)
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実行委員会終了

2010年01月28日 | 風のこたろう裏日記
関西吟詩文化協会東京支部の10周年記念大会(21年11月22日終了)実行委員会が、めでたく終了し、打ち上げがありました。

去年は、10周年の鰍ッ声高らかに、すべての行事に優先させ、友達に顰蹙を買いながら、時には感心して応援してもらったり、まさに充実した一年を過ごすことができました。

自分から、舞台に動きをと提唱し、言いだしっぺの私が詩舞を習うことになりました。
おかげで、出会うはずのなかった人たちに出会えて、新しいかかわりを持ち、違った世界への道も開けて行きました。

さまざまな、アクシデントにあいながら、10周年大会が無事盛況のうちに終了し、実行委員会も会計をどう締めるかも解決して、やっと、枕を高くして眠れることでしょう。

ほんとにご苦労様でした。
私も、途中から参加して一応打ち上げに出席させていただきましたが、何もかもが中途半端でしたから、その賑わいをフィルターを通して見ている気分でいました。

支部となってから10年間を見届けてきた方たちには、その感慨はひとしおと思います。私は、支部に昇格する前年から母の介護のため会員登録だけをしてきたのですから、事実上は、ゼロスタートをせねばならない立場です。

久しぶりに復帰したら、10周年大会のお祭りが始まっていて、ともに戦ってきた人たちの親密さに一歩引いた形で、何とか、古参ということでえっちらおっちらと一歩後ろをついてきたような気がします。

何はともあれ、いろんな立場の人が居ることで、大きな行事が完結するのだから、私には私の居る場所があったのです。

メンバーとして迎えてくださった皆さんに感謝です。

改めて、
関西吟詩文化協会東京支部10周年大会大成功おめでとう
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関吟東京支部10周年大会

2009年11月26日 | 風のこたろう裏日記
22日に、無事終わりました。

詩舞の出来は、予想以上で、大好評。
舞台を盛り上げるために、詩吟と詩舞あるいは剣舞は機っても切れない間柄にあることを、皆が胸にしたことでしょう。

8月からは、詩舞専門の先生との縁がはじまり、さらに、形が出来上がってきました。

その練習と共に、気持ちが浮上していきました。

皆が危惧していたのですが、吟友に詩舞を見せる機会があるたびに上達していることを実感してもらってきたので、舞台には欠かせないものと皆が思うようになりました。

ただ、詩吟の練習は、本当に困難を極め、結局物に出来なかったけど、そして、三日前に風邪を引くと言うアクシデント!

話せば長くなるから、結局は、舞台には乗ることが出来ました。

がらがら声の前日、電話をかけて着てくれた詩友は、こなくてどうする。
「死んだら骨をひろってやる!」と言われて、見る見る元気を取り戻し、翌朝は、声が戻った。

そのうえ、その日が本番当日と知らない学生時代の吟友が、今週末の集合時間を知らせる電話をかけてきた。

これって、何が何でも詩吟もやれってことよね。

不出来な詩吟を舞台に乗せてしまったことで、引くことも出来たのにと、悩んだけど、その落ち込みと同じくらいの満足感もあった。

舞台を不完全なものにしておいて、満足感なんて、つける薬が無いという人もいるだろう。

骨を拾ってやると言った人は、偶然、岡山出身の人だった。

最近の、高校の同窓会、倉敷会で出会った人たちへの、それが初対面であっても特別の感情がわきあがるとは、その二つの会に一緒に参加したともちゃんも言っていた。

同郷って不思議だ。

野田先生からも、詩舞は絶賛してもらったし、詩吟で降りることは無かったとの返事を頂いて、ホット一安心。

大きな大きな山を超えて、深い落胆を感じたけれど、それも致し方ないと、学生時代の吟とのかかわりをもう一度思い出して、女だてらに過激だったなぁと思うのでした。

実行委員の中の特に目を引く頑張りをなさった方には、ほんとに、頭が下がります。よくも、体を壊さず最後まで、まっとうなさったことに、目を見張っています。

直前に、ダウンして当日の準備も後片付けもできなかった私は、恥ずかしい限り。

これこそ、私の言う激しい詩吟なのかも。
その、膝元にひれ伏すしかない。
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そういえば

2009年07月05日 | 風のこたろう裏日記
そういえば、最近胸のドキドキが、かなり少なくなって来ている。
恋のときめきなら、残念なことなのだけれど、そうではなくて、何か行動を起こそうとすると、不安に襲われて、足を止めてしまうほどだったのが、ずいぶん軽減されてきた気がする。

まず突破口は、詩吟。
避けられない事態で、幹事に指名されたこともあるけれど、きっと、それは私に時期が来たからだけではなく、落ち着きを取り戻したことを先生はじめ詩吟仲間が感じたからだろう。

そして、長期ブランクがあったにもかかわらず先生と持ち上げられていることに、不信感を抱いている人も多々あったことに、申し訳ない気持ちと、今は、10周年を迎えて先生の正念場であることを思うと控えてはいられないと言う思いと、両極の思いのせめぎ会いにあったことが、すこしずつ、事情を知らない吟友の諸氏に認められたきたことも大きいと思うのです。

10周年のためと言って詩舞を始めたのも、ほんとは、詩吟の練習をサボるための逃避であったのかもしれないなぁ。
とりあえず、新しいことを始めたら、懸命になることで、全てを忘れて集中できたのは、良い影響があったのでしょう

久しぶりに会った義妹も、お姉さんいい顔してると言ってくれました。

慣れ親しんだこと、長年やり続けてきたことが支えになるときと、全く初めてのことに、なりふりかまわず取り組むと言うのも、よいことだなぁ。

幹事の仕事も、関吟ニュースを然るべく人に送る係りなのだけれど、ラベルをだしたり、切手を貼ったり、コピーをとったり、単純作業に没頭して、全ての終了は封筒の束を、ャXトに投函して、手の中が空っぽになるってこと。

何か、いらないものを一緒に手放した感じがして、爽快になるのでした。

小難しく考えないで、新しいことをするのは、今回の私にはとてもよい治療薬でした。

そういえば、職場の問題児にも、腹のたち具合が少なくなって、流せるようになったのは、心にゆとりが出来てきたからなのだろう。

よしよし、下り坂は下りきったのかも。
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植木鉢

2009年06月30日 | 風のこたろう裏日記
植木鉢に植えられた木が、私とすると、気に入らない人や物事は、植木鉢の外にあるからなんだって。

気に入らないことで、自分が阻害されるのであれば、植木鉢を大きくしてその人や物事を植木鉢の中のことにしてしまえば、気にならなくなる。

植木鉢の中のことにするって、どういうこと?

自分の土壌、価値観を大きく広くするって子とかなぁ。

それじゃぁ、自分の今のこだわりは、ちいせぇちいせぇってこと?
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パグの甲斐ちゃん

2009年05月17日 | 風のこたろう裏日記
ウランバートルで里親をしたことの有るパグの甲斐ちゃんが、逝ってしまった。
それも、昨年の6月のことだと言う。

甲斐ちゃんのママは、何度か知らせようとしてくださったらしいのだが、いろいろと心理的ブレーキがかかっていたという。

私は私なりにウランバートルでの事件以来、心に鬱積するものがあり、いざ帰国してみると、環境の変化で閉じこもり状態になってしまっていました。

UBにいる間は、帰国の暁には日本中に散らばっているUBつながりの知人を訪ねる行脚に出るつもりぐらいの勢いだったのだが。。。

親族にさえ会いたいと思わず、縁さえ切っても良いくらいに思いつめたり、ぎっくり腰を理由に母の法事にさえ欠席をするというかなり強い欝傾向になりました。

そんなときに、彼女からどんな内容のお手紙を頂いても、返事をすることすら出来ず、失礼なことになっていただろうし、私にとって、UBで大きな励ましやら慰めともなっていた愛すべき甲斐が亡くなったことを聞くのは追い討ちをかけるだけだったかもしれないと、かえって、連絡を頂かなかったことにほっとしているのでした。

それは、私のほうの一方的な状況で、彼女はあずかり知らなかったことです。いろいろと私のことを心配しながら、甲斐を掻き抱いて悲しみに沈んでいたと言います。

こんなとき、こんなことを知ったとき、母親に等しい年上の私としては、何と慰めてあげてよいやら、一緒に涙を流してあげたらよいのか、ぐっとこらえて抱きしめてあげたらよいのか。。。
お酒のために少し弛緩していた感受性のおかげで、思いが至らず、えへらえへらとしていたように思うのだが。

今、思うのは、過ぎたことは結果オーライにするしかないってこと。

私自身も、帰国直前に気持ちのゆとりの無さから、甲斐にしてあげられたはずのことを、拒否してしまった気持ちの負い目があるので、それぞれが、それぞれの持ち重った出来事に懸命であったことで、チャラにしてはいかがとおもうのだが。

チャラにするなんて軽々しい言葉を使ってしまったけれど、ごかんべん。

懸命に答えを出すあまりに、相手方に冷たく響いたり、誤解を生ずることは多々あることで、今までどれだけの人にどれだけの傷を負わせてきたことかと、改めて思ったことでした。

甲斐の冥福を祈るとともに、ママの復活を願ったことでした。
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