風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

律詩・夢松風

2020年09月30日 | 詩吟
律詩の練習をいつもの時間内に収めるのは、ちょっと、大変。

新しい「譜」のヒントを、板書すると時間がもったいないので、プリントにして配りました。

プリントと、板書との効果は、格段の差があり、プリントを作る労力を思うと、がっかりの感有。

板書していく過程を見て、それを書き移す作業で、頭の中に、体の中に何かしらが残るのだということがわかる。

またこのようなプリントをお願いしますといわれても、やりたい気持ちにならないだろうなぁ。資料の数が増えただけの自己満足形成には、加担できない。
あくまでも、体に叩き込んでほしい。

そのためには、はたと気が付いた。

         時間に追われ過ぎている。

この次回からの練習のやり方を、考え直さねばと思う。

「〇時間しかない」が、いい訳の合言葉になりつつあるのを、反省して、「〇時間もある」と、発想の転換をしましょう。

この、ゆとりのなさに一番影響を受けているのが、責任感の強い幹事さんかもしれない。
長年、携わって来て、吟詠のスキルアップだけでなく、いろんな責任を負い、先輩としての責任も負い、黙って仕事をこなす日々、有りがたいとしか、言いようがない。

本当にありがとうございます。

今日の律詩は、私としては、いい練習ができたと思うのですが、完璧でありたい方は、不十分で、とても、これで終了とはいえないと、言いたげでした。

いいのです。これで十分なんです。良いスタートを切って、自力で走れるようになったのですから。
これより先は、お稽古時間内に、することではないのです。

             大丈夫!



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左官工事のようなもの

2020年09月27日 | 詩吟
さて、つい先日、大きな山を越えて、肩の荷を下ろしたところなので、近来稀なほど、すっきりした気分で、中央会に参加できました。

傍らの新メンバーさんは、一日ドキドキしながら、過ごしていたのかな?

この2年間、来年、三月を締め切りとして、やらねばならない大仕事を、パワハラモドキの叱咤激励で、走り続けていましたが、ついに、走りは終了しました。

お互いに、よく頑張ったね。

パワハラには、倍返し!の出来事もあって、頭が白くなりましたが、雨降って地固まるとなるかどうか。


今までの作業は、左官工事でいうと、下塗り作業。

=壁の下地造りは、建物の竣工時に表に出ることは少ないものの、これがなくては壁造りが成り立たない重要なプロセスです。(CraftBank)=


それから、上塗りがきれいに仕上がるためには、ここで手抜きはいけません。

=仕上げ塗りは、壁などの表面を塗って仕上げる作業です。
土壁や漆喰壁の場合は、下地を造った後で中塗りを重ね、最後に漆喰や珪藻土を使って上塗りを行い、表面全体を仕上げていきます。塗り方によって耐久性にも影響が出るだけでなく、コテの動いた跡がそのまま壁の模様になることもあるため、職人には卓越した技術と件p性が求められます。(CraftBank)=


どんな仕上がりになるのか、楽しみにしています。
輝いて見えるほどの、まっ平らな仕上がりもいいけど、コテ跡の残る敢えて粗削り感を出したのもいいねぇ。なるようにしかならない。
それは、手渡した先の私の意見の及ばないところ。

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9月中央会

2020年09月27日 | 詩吟
三密を保つために、日頃より大きい会場を利用して、3か月目。

今日は、マイクを使用してくれました。

後ろの方の席では、声は聞こえるのですが、何をお話されているのか、分からないのです。
これは、年齢による聴力の低下ですから、補聴器または集音器が必要になってきたことをひしひしと感じます。

ニュアンスで、参加して、頼りにするのは、レジメです。
いつも、丁寧な、資料つくりをしてくださる、幹事長のおかげです。
本当にありがとうございます。いつも、いつも、手抜きをせぬ仕事に感服。

いつものように、幹事会に始まり、吟詠練習、芦孝会連絡会議と進みました。

今日の吟詠練習は、律詩と和歌。苦手意識を無くそう。



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姿勢の変化

2020年09月27日 | 体を整える
中央会は、声出しの前の体操から始まります。

その体操は、井本整体の考え方をアレンジしたものを、山田先生のアドバイスをいれて行っているものです。

毎月、たまに、季節の変わり目のコメントを差し挟みながら、数年来、同じ体操を続けていますが、やりつづけていると、定着して行くものなんですねぇ。

それが、「井本整体」からくるものとの認識はなくても、この考え方は、正しいと認識されたことが、今日、ふとした会話からわかりました。

それは、最近、私の姿勢が良くなってきたこと。
そして、良い声を出すための姿勢についてお話したことで、この話を、「あの方」に教えてあげたらよいのにと、提案されました。

最長老だといつも豪語なさる男性だから、このような提案はめったになさるものではないと思うので、本気でそう思っていらっしゃると受け止めました。
目で見てはっきりと良くなってきた私の姿勢をみて、それが「井本整体」であろうとなかろうと、その考え方と効能を認めて下さったということです。

「体は楽器」自分でできるメンテナンスをして、最高の音を奏でさせてあげよう!との考え方にも、共感を覚えて下さったものとわかりました。

山田先生に報告したら、お喜びになることでしょう。

ちょっとしたことでも、続けることの大事であることを、実感し、今すぐ目に見える効果をあげようとすることばかりを考え実行してきたことに、ちょっと待てよと、立ち止まりました。
これを、両輪にするには、どうしたら良いのでしょう。


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真っ直ぐな空洞

2020年09月25日 | 体を整える
井本整体の山田先生は、おっしゃいました。

私の首に近いところを両手で、優しく包むように触っているとき、体の中にまっすぐな筒のような空洞が感じられます。

「こんな時、いい声が出るんだろうなぁと、感じてました。」と。

そして、その時、私が「えっ」と言って首を傾げたら、途端に、「その筒がねじれました。」と。

今日は、先生が触っているあたりが、柔らかいです。

施術をしていただいている時の私は、頭ではなく、体でその言葉を受け止めているので、今になって文章にしようとすると、この言葉でよかったのかなと、覚束なく不安になってしまいます。

もし、先生が読むようなことがあったとき、私はこういう意味で言ったのではないとおっしゃるかもしれません。

それでも、文章にしようと思うのは、体のことを、他人任せにしないで、自分で、感じて、処理できるようにしようよ、という思いです。


さて、声の問題に戻るとしよう。

詰まった喉を、開いて、真っすぐな空洞を形成するために、行う体操は、やはり、8番に落として行かねばならない。
そして、腰で支えて、内腿で支え、足の平、足の親指に至る。

この立ち姿を覚えて、喉を開き、頭をまっすぐに保つ。

そうすると、私の楽器が、最高の音を奏でる。


言葉の選び方を間違わないでいたいと、切に思う。
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お帰りィ

2020年09月24日 | こたろう





      オカエリィ
                 マッテタヨン

                           オソカッタネ・・・・・

アラーン  おでむかえありがとうネ! 

              一気に疲れが取れました。

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臨時練習会

2020年09月24日 | 詩吟
せっかく確保した会場をキャンセルするのは、勿体ないので、個人練習として、お借りしました。

喉の調子の復調がどうなるかわからないときに、このお願をして確保した場所です。
独り占めしても、声が出なかったらもったいないと思い、補習をしたいという方に参加して頂きました。

4時間を4人。一人1時間。あれ?私の時間がない。。。

ま、いっか。

今日は、風が近づいているし、雨も降るらしいから、リュックで登場に、いつもゴロゴロと引っ張ってくるキャスター鞄がないので、みんながびっくり!
《すみこ=例の鞄≫という図式が脳内にできているみたい。

今日は、律詩のテキストと縮刷本とコンダクターだけだからね。

いきなり1時間は、きついだろうと、今日は、30分タイマーを設定。

あらかじめお聞きして置いた吟題で、細かい部分について、こってりと練習。
一人につき、30分で、ちょうど良い。
集中力は、そのくらいが今日の体調では、ちょうど良い。

前回の夢青葉では、ほとんど声が出ていなかったので、みなさんが心配していたそうです。
「今日は、ぜんぜんこえがでています!」「どうしたんですか?」との問い。

いつも、私は、何の問題もありませんという顔をしているから、めったにない、いや、初めてかもしれない不調の時、どなたも「大丈夫?」と尋ねることができなかったらしい。

いつも元気ということは、誰にも心配してもらえないか、もしくは、尋ねにくくしているということがよくわかった。

だから、「遠距離は辛いのよ」という言葉も、冗談に受け止められたのかな?
まぁ、いまのところ、行く先にもよるけどね。

さて、それぞれ、4人が、満足の行く練習とスキルアップができて、今朝起きてから、1時の練習開始に向けて、モチベーションを上げていくことに、苦労する。
そして、4時間耐久レースに向けての、強い心を、維持するよう、言い聞かせる。

三日ほど前から、整体体操の効果が上がって来て、体に中に、1本の管を意識することが出来てきたおかげで、今日は、しっかりと声が出ました。

声が出るときりっと引き締まるものです。

さて、これで、明日になったら元の木阿弥にならないでほしいと、願う。

充実した練習でした。おかげで、体の中の循環も良いようです。
すると気分も前向きで、少々のことにもへこたれないでいられます。おかげさま。


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ウグイス吟詠教室

2020年09月23日 | こたろう
スマート詩吟は面白いの指方先生主催の福祉・ウグイス吟詠教室に、久し振りの参加です。

今日は、いつもの会場は、まだお借り出来ないので、別の場所で、開かれました。



隣の席の男性が、肩をツンツンと叩いて、この写真の紙を見せてくれました。

「僕は、これを書くのに、三時間かかりました。」と言いながら。

この方の主な症状は、「失語症」とお聞きしています。

受け取る言葉、発する言葉が、わからなくなったりして、意思の疎通ができにくいことがあります。

それでも、この教室に参加してから、めきめきと上達なさって、この吟題は、昇段試験の吟題です。

「えっ」と言って、「?」の思いを目で伝えると、上の言葉が私に投げかけられました。
「私のブログにのせてもいいの?」と聞くと、うなずきました。

言っていることがわからないときは、「わかりません」とはっきりおっしゃる方なので、さらに、「写真をとりますよ。載せてもいいですね」ともう一度、尋ねました。

はっきり、諾の意思表示。それで、写真を撮りました。

ありがとうございますといったら、ニッと笑いました。

最初にお目にかかったときは、「富士山」に挑戦中でした。
大学時代のテキストをお持ちでしたが、このテキストのこと、書き込みしてあるが、まったく記憶がないとのこと。
それでも、先生とは違った節調で、吟じる声は、吟詠になっています。
記憶にはなくても、体が覚えているのですね!

事故による脳の損傷で、私には、説明しきれない症状です。
例えば、彼は、話の順番を彼独自の順番で進めないと、わからなくなります。
すると、知りたいという思いが先走って、強い調子で「わかりません!」と、言います。

ほんの数回ですが、会話をしたとき、目を見て、話をしていると、「わかりません」が少なかったように思います。

僕の脳の中にある思いを伝えるための言葉が「わかりません」
あなたの言っている言葉が何を意味するか「わかりません」

わからないことをわからないとはっきり言葉に出せるということは、すごいです。
というと、「わかりません」と、返ってきました。

去年だったか、若いころ物した英語の論文を見せて、そして、次に、英語入門のテキストを見せてくれたこともあります。「学び直して、覚え直しているのですか」というと、「わかりません」
「べんきょうしているの?」「そうです。」と、返事が来ました。

私の想像によると、生来の知能は、そのままで、「ことば」にすることや、「ことば」を受け取ることが難しいのでしょう。
その前後を、知りたいと思うことは、止めました。
今の「お互いの反応のし合いを興味深く、注意深くやり遂げている」と言ったらいいのでしょうか。
言葉は、多くはいらないで、一瞬でわかることがあると、おもえば、尽くしても尽くしても、言葉では届かないこともあります。

今のお互いのそのままで、通じ合えることで、良しとする。
その中立ちのツールとして吟詠がある。
そのうち、ツールがなくても、通じ合える時が来ると思う。
症状が改善するという意味ではなく、互いのコミュニケーション能力が上がってくるだろうということを、予想しています。




今日は、雨なので、足元が危険ですから、欠席ですとの連絡のきた方がいました。
少しの雨でも、濡れると滑って危険なので、外出できなくなる人もいるのです。

毎回、そうなんだぁと、思いながら、ただ、ただ、出席しているのですが、笑顔で迎えてくださる方が居るので、また、行こうと思うのです。

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始まりのたるふじ 

2020年09月22日 | 徒然に日々のことを
2012年(H24年)10月古民家レストラン「たるふじ」にて。
  初めての論語教室参加。須藤先生との出会い。
  それに大きな役割を果たして下さったのが、Oさん


2017年(平成29年)11月16日(木)
   二度目の「たるふじ」は、「ようこそ素読と詩吟の会へ」
   須藤先生、吟詠チームとのコラボで開催。
   大好評。



2020年(令和2年)9月22日(火)プライベートでたるふじへ
   木彫展鑑賞とランチに、須藤先生とOさんとゆかりの三人で。


遠くて、なかなか訪れることが出来ない「たるふじ」ですが、そこにくっきりと須藤先生と論語と、詩吟と私との足跡が残っています。

初対面で、いきなり、論語の講座に吟詠が組み込まれ、これは、須藤先生の機動力の賜物。
北千住学びピアの論語の会は、先生選択の吟詠で始まることとなりました。

翌年の1月には、和歌「あらたしき」が恒例の吟詠となり、だんだんと、詩吟仲間の参加が増え、なんとなく吟詠チームが形成されました。

これが、「初めの一歩」の2014年4月誕生へとつながりました。

続いて2013年6月1日~2日   足利学校論語の会
   2013年10月12日~13日 足利学校論語と芦孝会コラボ
   2014年10月10月11日  論語と足利薪能の夕べ
   2015年4月18日~19日 江戸川道場主催足利合宿(詩吟単独)
   2015年9月12日     論語と足利薪能の夕べ
   2017年11月16日    ようこそ素読と詩吟の会(たるふじ)

と、催しが、続きました。

漢文は、漢詩で入門とお考えになり、漢詩への興味も深くなっていかれたようでした。
それは、一重に、吟詠部チームの加わってくださった方の名吟にあるといっても良いのかもしれません。
T先生の時は、大拍手なのに、私の担当の時は、小拍手と、明らかに違う反応に、さもありなんと、悔しいけれど思ったのです。


少し間が空いて、2020年1月と2月 《白居易 「長恨歌」の世界へどうぞ》開催
                    吟詠チームの活躍あり
        2020年3月葉最終回の予定が、コロナの影響で、中止となる。


今日は、開催ならなかった3回目について、どうしても、開催したいとの思いをお聞きしました。
今日のこの場所でお話することを先生は、初めての出会いの場所として、意識して、選ばれたのでしょうか、それとも、、、偶然?
偶然にしては、三拍子そろっているなぁ。

体調今一つの先生が、大勢を集めての講演は、危険と、私は、先生の思いを知りながら、賛成することができません。

先生の強い思いは、会場提供の賛同者を見つけられたようです。

吟詠でお手伝いする関係で、主催者側となる私は、須藤先生を敬愛する人たちと同調して、「是非一日も早く、最終回を聞きたい」と言いたいところを、立場変われば、「否」といわなければならない。

なんだか、悲しいなぁ。
決まったら、ご連絡を下さるそうです。
吟詠参加は、レコーダーか生の吟詠で参加か、どうしたものでしょう。




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as it is

2020年09月21日 | 徒然に日々のことを
写真家さんは、どうして、こんなに胸を打つシーンを撮ることができるのかなぁ。

それができるから、写真家なんだねぇ。

だって、こんな何気ない私も母として、いつかは、見たことがある風景は、撮ろうと思えば、いくらでも撮れたはずの、いつもそばにあった画像なんだけど。

光の具合とか、色の選択とか、切り取り位置とか、どれひとつとっても、センスに溢れている。何より、優しい。

本になるってことは、そういうことだね。
写真集は、ちょっと、値段がね。。。でも、買ったよ。

写真教室に行けば、これに近いものはとれるようになるだろう。

だとしても、近いものと本物とのほんの少しの距離が、永遠なのよね。


昨日の、大贋作展の絵といい、今日の、rinko kawauchiの写真といい、心ゆすぶられて、体が楽になるような気がする。

ずっと、かわるがわる眺めて、へぇー、「絵画は、他の表現と違い、鑑賞の瞬間性が非常に強いジャンルです。1秒見ただけで、その絵画が持つ90%以上を受け取る、というような体験は、特に珍しいものではありません。」♂?c誠(アーティスト)ー

と、大贋作展の本の解説に、会田さんがおっしゃっています。

どちらの本も、うんざりするような文字の連なりがなく、最小限に集約されて、目と感性を喜ばしてくれました。

作品となるまでの、膨大な時間と労力が、無かったかのように、1秒で、判断されてしまうのも、辛いねぇ。

件pは、厳しい。

絵画に限らず、何でもそうかもしれない。
絵にかかわる人は、「絵は」と言うでしょう。

件pに限らず、その、時間と労力と、鰍ッた思いと、そのもろもろをわかったうえで、丸ごと評価してくれるのは、その人と、一緒に歩いてきた人だけかも。

それこそ、二分間かかる詩吟も、でだしのひと声で、判断して、最後まで聞いたとしても、魔ウない人もいるのだから。

ゼロから、今までのこと、ずっとわかってくれているのは、誰?
その上で、判断しているのは、誰?

その一瞬だけで、判断されたら、良い評価だったら喜んでおしまいだけど、悪い評価だったら、辛いよね。

それでも、一瞬で、評価したことは、一生記憶に残っていくから、それと、戦うのは、自分だけ。
それが、辛い、難しいなら、そこから、離れるしかないねぇ。


小学生の時、始めてみたエルグレコの「受胎告知」は、まさに一瞬で、焼き付けられた絵。
大人になって、やっと入った、美術館のそばの喫茶「エルグレコ」で飲んだ、珈琲は、格別だった。

もし、一瞬でとらえたのが、モローの「断崖」だったら?
           ・・・・・・・・・・

行き詰って、ふと、後ろを見たら、手元の明かりだけしかついていない、薄暗い部屋の片隅に、こたろうさんが、後ろを向いて、待っていました。
後姿で待ってるなんて!猫好きには、たまらないね!

カメラを構えたら、こちらを向いてくれたのです。
絵的には、これが良いですね。   
    「あのー、そろそろ、ごはんを・・・」と、言ってます。


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