楽しみにしていて、待ちぼうけだった今日の練習がやっと来た。
低音吟のゲストをお迎えして、O氏の声の高さの模索をするのが今日なのだ。
一緒に声を出していただいて、あっという間に、声の高さの特定ができた。
水2本だった。
男声と女声のオクターブの違いが、初心者にとって、これほど音が取りにくい物とは思わなかった。
それは、私の不明が一番の原因であることは確かなのだった。
そして、同じ音の高さで吟じるということにこだわりすぎてのことでもある。
オクターブの高低でも補えない音程があることを知りつつ知らなかった。
どうすればよいのか、常に考えてはいたけれど、突破口が見つからなかった。
東京芦孝会中央会の席で、「困ってます」と訴えるのが、いろんな経験者が集まる場所だから、知恵は出るものだ。
そして、出し惜しみなく知恵を提供してくださることに、多大な感謝をいたします。
ありがとうございました。
女性の初心者の場合は、今まで、十分な効果を上げて、これからも、同じ高さで隣り合って吟じるつまり合吟をすることが、上達を早めることは実際に体感してきたので、機会あるごとに可能な限り合吟を続けていきたい。
ただ、この合吟は、いわゆる発表のための合わせねばならない合吟とは違って、隣りで、相手の息を感じ、音の響きを感じ、ゆったりと同じ空気の中にいるということで、自分なりの吟をしながらでよいということ。
初心者は、全く同じように真似をして覚えていくことで、相似形の吟詠をすることにはなるのではあるが。
できる限り合吟を続けるということは、夢組だけに収まらないのだから、越権行為になりかかることもあるとはおもいつつ、今、旬(勝手にそうおもってのことだけれど)の私はやり続けるしかないと勝手にも思いつづけている。
音楽の素養がなく、女性の先生から基礎を口移しで習った吟詠をする私の限界がそこにあったことを、今になって理解した。
わかるということ聞くということがすべての始まりと言い続けてきたその言葉を、自分になげかけよう。
気が付いた時が、幸運なスタートを切る時。
2年間、不自由な思いをさせてしまった本当に申し訳なかった。
女性が、仕方なく低音で習うしかない状況をかわいそうだ、犠牲を払っているといったけれど、男性も仕方なく高音で習うしかない状況も自分の膝元にあり、2年の間気が付こうともせず犠牲を強いていたことに目を開かせてもらった。
O氏は男声と合吟することで、一度でその声の響きと力強さを見つけ声に出せたのは、2年の努力がそこにあったからと思う(思いたい)。
苦労して、もがいて、それでも続けた甲斐があったというもの。
水二本で吟詠をして頂いたら、高音も低音もきちんと吟声がでている。
ただ、中音の3の前後の音が、後遺症的に不安定であること。
これは、大事で外せななことだから、ゆっくりしっかりと練習していけば、スグに会得できると思う。
今日は、「低音の君」に来ていただいたおかげで、あっという間に、自分の声を発見して頂いて、本当にうれしい練習でした。
これこそ、東京芦孝会の善き決まり事『自由にどの練習場に行って練習しても良い』が功を奏した初の例となるでしょう。
自由意思で練習に行って研鑽をつむことのほかに今日のように依頼をして手助けに来て頂くということもありなのでした。
「低音の君」は、ご自分ではおっしゃらなかったのですが、他流に長く在籍していらっしゃるようでした。関吟は数か月前の入会ですから、初心者と謙遜なさっていましたが、隠せないものが見えてくるのでした。
低音なのにそれほど低音と感じないのは、音の響き方の妙なのでしょう。
また、音について声について、先日のセミナーで聞いた内容が、頭を巡り始めました。
今度は、どんな宿題を見つけることやら。
今日は、昇段申請書にも署名捺印願いました。
Kさんは、たまたま都合でお休みでした。
ちょうど今日は、O氏だけの一日を全うできました。
ありがとうございました。
低音吟のゲストをお迎えして、O氏の声の高さの模索をするのが今日なのだ。
一緒に声を出していただいて、あっという間に、声の高さの特定ができた。
水2本だった。
男声と女声のオクターブの違いが、初心者にとって、これほど音が取りにくい物とは思わなかった。
それは、私の不明が一番の原因であることは確かなのだった。
そして、同じ音の高さで吟じるということにこだわりすぎてのことでもある。
オクターブの高低でも補えない音程があることを知りつつ知らなかった。
どうすればよいのか、常に考えてはいたけれど、突破口が見つからなかった。
東京芦孝会中央会の席で、「困ってます」と訴えるのが、いろんな経験者が集まる場所だから、知恵は出るものだ。
そして、出し惜しみなく知恵を提供してくださることに、多大な感謝をいたします。
ありがとうございました。
女性の初心者の場合は、今まで、十分な効果を上げて、これからも、同じ高さで隣り合って吟じるつまり合吟をすることが、上達を早めることは実際に体感してきたので、機会あるごとに可能な限り合吟を続けていきたい。
ただ、この合吟は、いわゆる発表のための合わせねばならない合吟とは違って、隣りで、相手の息を感じ、音の響きを感じ、ゆったりと同じ空気の中にいるということで、自分なりの吟をしながらでよいということ。
初心者は、全く同じように真似をして覚えていくことで、相似形の吟詠をすることにはなるのではあるが。
できる限り合吟を続けるということは、夢組だけに収まらないのだから、越権行為になりかかることもあるとはおもいつつ、今、旬(勝手にそうおもってのことだけれど)の私はやり続けるしかないと勝手にも思いつづけている。
音楽の素養がなく、女性の先生から基礎を口移しで習った吟詠をする私の限界がそこにあったことを、今になって理解した。
わかるということ聞くということがすべての始まりと言い続けてきたその言葉を、自分になげかけよう。
気が付いた時が、幸運なスタートを切る時。
2年間、不自由な思いをさせてしまった本当に申し訳なかった。
女性が、仕方なく低音で習うしかない状況をかわいそうだ、犠牲を払っているといったけれど、男性も仕方なく高音で習うしかない状況も自分の膝元にあり、2年の間気が付こうともせず犠牲を強いていたことに目を開かせてもらった。
O氏は男声と合吟することで、一度でその声の響きと力強さを見つけ声に出せたのは、2年の努力がそこにあったからと思う(思いたい)。
苦労して、もがいて、それでも続けた甲斐があったというもの。
水二本で吟詠をして頂いたら、高音も低音もきちんと吟声がでている。
ただ、中音の3の前後の音が、後遺症的に不安定であること。
これは、大事で外せななことだから、ゆっくりしっかりと練習していけば、スグに会得できると思う。
今日は、「低音の君」に来ていただいたおかげで、あっという間に、自分の声を発見して頂いて、本当にうれしい練習でした。
これこそ、東京芦孝会の善き決まり事『自由にどの練習場に行って練習しても良い』が功を奏した初の例となるでしょう。
自由意思で練習に行って研鑽をつむことのほかに今日のように依頼をして手助けに来て頂くということもありなのでした。
「低音の君」は、ご自分ではおっしゃらなかったのですが、他流に長く在籍していらっしゃるようでした。関吟は数か月前の入会ですから、初心者と謙遜なさっていましたが、隠せないものが見えてくるのでした。
低音なのにそれほど低音と感じないのは、音の響き方の妙なのでしょう。
また、音について声について、先日のセミナーで聞いた内容が、頭を巡り始めました。
今度は、どんな宿題を見つけることやら。
今日は、昇段申請書にも署名捺印願いました。
Kさんは、たまたま都合でお休みでした。
ちょうど今日は、O氏だけの一日を全うできました。
ありがとうございました。