風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

カラオケ特訓

2016年03月31日 | 詩吟
今日で、5人目のカラオケ特訓。特訓とは、練習日以外のお稽古という程度の意味で、特別私にテクニックがあるということでもなく、このまま捨て置けないという私のやむに止まれぬ思いで、私からお誘いをかけて行ったものでした。
今までは、プライベートなことですから、ここには、書かないでいたのです。今回ここに登場するのは、特別です。


今回は、はじめて、ご本人からのSOSで、今日の特訓になりました。

カラオケを2時間予約して、結局は1時間延長して3時間、とてもまじめに発声と音程について、練習をしました。

連絡を頂いたときは、一緒になって、「すわ!一大事」と構えてしまいました。
初心者の域を出ているはずの方が音程に関して、問題を抱えているのだから、私もちょっと構えました。
ある程度のシミュレーションをして、出来る手当をあれこれ考えていきました。

ところが、いざ、会って、まず一吟してもらったら、ご本人が、思っているほどのことではなく、ただの自信喪失であったことが、判明。

同じ高さの七本で、合吟してみたら、なんてことはない。

自信を回復し、おもいっきりの良い踏み込みをすることで、狂った音程は、今日の時間内ではほとんど出ることがなく、きれいに伸びやかな声も出たし、問題はなしでした。

こんなことが、起こるんですねぇ。

丹田に意識を当てること、肩甲骨を寄せること、仕事の場や、ご自身の体操で、すでに体験済みでした。

せっかく持っているのに、あれとこれとが、てんでんばらばらに存在していて、互いに協力し合ってないもったいない状態でした。

体は楽器ということも、頭でわかっているだけで、お宝が、眠っている状態です。

本当にもったいない。ちょっとした気づきがあれば、こんなに落ち込むことはなかったのに。


何かのことで、自信を失ってしまうと、楽器には十分の力がありながら、思い切りの良い踏み込みをせねばならないときに、その「思い切り」の力を喪失してしまうのですねぇ。

一緒に合吟して、息づかいやら、ちょっとしたタイミングを肌で感じることで、一瞬のうちにわかるのです。

問題点がわかったらそれを自分で処理できる人ばかりではないのだから。
問題点を指摘したら、それをすぐに解決するアクションがなければ。
良かれと思った行為が、悩みを産み育ててしまうだけのことになる。


めったにお目にかからない方ですが、以前、いつでもどうぞと言っていたのを思いだしてくださって、悩みが凝りかたまらないうちにご連絡いただけて、本当に良かった。

現時点ではなかなかおさらいのできないお忙しい状況にありながら、このワンアクション、ただ合吟するだけで、解決できたのは、詩吟が好きだから、練習をしない年月が増えていても、楽器としての体の中で、熟成が進んでいたからと思う。

そのひそかな、営みに気づいてないから、後輩の技に、感心をして、そこから、コンプレックスを育んでしまったのか、、、

まだ、私でも対処できるうちに、アクションを起こして下さってよかった。


あったときと、別れる時との表情の明るさの差が、私の、喜びであり、誉であります。
そして、また、夢組さんではない人に、ちょっかいを出してもいいのかなと、思ってしまう所以なのだわ。

一人でも多く 眠っている力を、ひきだして暗闇から救い出してあげねば、
          
          
もったいない







平気で、物を言う私への、戒めともなる出来事でもありました。
物事の表と裏。

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男子デー

2016年03月29日 | こたろう
小学校一年生の男子!が春休みにやってきた。(3月26日から29日)

本人は、1週間のつもりだったけど、途中にサッカーの試合が入って、三日の滞在となる。

初日は(26日)、ジィジとお出かけ。







二日目は、お決まりの映画鑑賞とゲーム三日目も、あるアクシデントで、同じ場所に行くことに。男子は、大喜び。








ばぁばが、家事を終えるのを待っている間に、ばぁばのスマホで、退屈まぎれに撮った写真。
今までと違って、あるがままではなく、物の位置を動かして被写体としていることがわかる。
ほぉー、小1男子やるじゃない!


そして最後の後姿の写真は、バァバとわかれて、ママと電車に乗った直後。フードをかぶって、ママに後ろを向いて、しばし泣いていたみたい。
まだ、バァバとわかれて、寂しがってくれるんだねぇ。
いち早く、ラインで映像が来る。
ママも息子のその反応がうれしいみたい、しばらく後ろを向いていたら、やたら元気になって、楽しいおしゃべりを聞かせてくれたそうです。

幸せをありがとう。この、温かい気持ちを味あわせてくれる娘夫婦にも、ありがとう。


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東京芦孝会春の昇段試験

2016年03月27日 | こたろう
     

          おめでとう!全員合格!

夢組メンバー 初段1名 参段2名 四段3名  優秀な成績で全員合格しました。

それぞれ練習の時よりも、「気」の入った、迫力の吟詠でした。
全員そろって、この、パワーを出せたのは、どうしてなのか、不思議。 私の、本番に弱いところが、一人として感染していなかったのが、何よりも奇跡に思える。

ありがとうと、頭を垂れてしまう。


今日の、昇段試験では、面白いエピソードもあり、緊張だけでなく、後になって爆笑すると言う場面もあり、なんて、楽しい会なんだろうと、ほくそ笑むのでした。


午後からの、野田 芦孝先生の講義とご指導は、和歌「枝にもる」
苦手な和歌を、教室の会員さんと共に学ぶというのは、面白くも緊張の時でした。

日頃、苦手だからと言っておいたのが、良かったなぁと、胸をなでおろし、一人ずつの発表の時も、ピカイチの腕の会員さんから、指名が始まりそうだったので、上手な吟の後ではやりにくいので、私からと、勇を鼓して発表しました。

恥を忍んだおかげで、そのあと、ぞくぞくと、続いて発表する人が出て、あぁ、良かったと、思うのでした。

和歌に初めて挑戦する時は、、音を取るのが難しく、簡単ではありません。
それでも、夢組さんが、果敢に挑戦できたのは、先輩方の後押しがあってのこと、合格の喜びと興奮の余韻もあって、中央会での練習に委縮せずにとりくめましたね。

良い体験でした。 優しい大先輩のそばに座ったのも、良かったねぇ。

あの、プッシュがなかったら、初めての和歌に挑戦できたかなぁ。

本当に良い体験をさせてもらいました。  和歌元年

詩吟を始めてから、絶句だけだったのが、律詩にとりかかり、会員さんは、思いがけず早く律詩の吟詠体力も備わったことだし、和歌にも取り組む良い機会を頂きました。

得意分野でなくても、コーチは指導ができるさ。

和歌の面白さもわかってきたから、深息法の入口にたどり着いたし、漢詩とは別の分野の和歌の吟詠にも、指導をしながら、スキルアップしていこうと思う。

教室で共に学ぶ仲間がいて良かったなぁ。

これからは、青葉の会場も広くなったと同時に、青葉会員さんも受け入れ能力がアップしているから、交通費がかかるところは曲げて我慢をしていただいて、ゲストさんいらっしゃいませな。

今日は、さっそく4月6日から、松風にゲストさんが来たいとのこと、男性一人で頑張っていたメンバーが、喜んでいました。

楽しい会にしましょうね。


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夢青葉

2016年03月25日 | 詩吟
今日は、体調を崩していたメンバーが久しぶりに、出席でした。
全部で、5人、教室らしくなりました。

体調を取り戻すまでもなく、慣れ親しんだ吟詠を久しぶりにして、水を得たようになったと見えましたが、欲目だったかなぁ。
まず、吟詠を聞いて、チェックャCントを示して、自分なりの結論を出し、工夫をすることを宿題としました。
吟道では、先輩の彼女は、二人の創立メンバーの良い手本となっています。

そして、その二人は、入会2年目のゲストさんに対して、良いお手本となって、先輩と後輩を両方持って、とてもバランスの取れたお互いに学びのある練習風景となりました。


今日の二人の吟詠は、今までの成果がよく出ていました。
このように、じっくりとした取り組みで、穏やかではあるけれど、望みの高い練習が、できることに感謝です。

27日の昇段試験では、落ち着いて、吟詠してください。


今日は、副読本に掲載されていない吟題「山中幽人と対酌す」を久しぶりさんに吟詠してもらいました。






さて、左の赤丸に囲まれた三角の音階の示す高さは?

一瞬で、三’と分かる人とわからない人と。そして、三’とわかっても、アクセントが頭高だから、五の出だしと判断できる人は?

三’で、音を出したら、譜名4番(赤線でつぶれている数字は「4」)の三’で始まる吟法ができないことになる。

はてと、考えて、そうか、なるほど、最初の音は五ではなくてはいけないなぁ。

どうしても、三’で出したいなら、4番の譜名では吟じられないから、7≠Q番でないと、音階が狂ってくる。

今日は、コンクール対応で、始めたこの吟題です。
吟法を変えるか、五の高さで、出だしをとるかを考えることになります。

テキストをいきなりお渡しして、きちんと吟じられる力を備えた、彼女は、吟じた後、この問題を語り合っている時も、悪びれず真摯に問題解決に臨もうとするところは、さすが。


副読本があれば、このようなことを考えることもないのですが、なかったゆえに、考える必要が出てきて、良いテーマとなりました。

言葉の終わりの音階と、吟法(譜)の始まりの音階とをそろえるとき、詩吟のテキストの表記法は、迷いが生じます。

だから、いけないのではなく、「だから、音階の連なりを理解し、吟詠の法則を知るうえで、迷いが生じて、考えることが重要なのだ。」と、思いました。

このテキストこそと思うのは、白文に自分で、書き込んでいた時代から始めたからだろうか。
テキストは、自分で作り上げ育てるものと、考えます。

副読本は、考える力を奪い、それがないと吟じられなくなる自分がいて、正確ではあるが、、、と言葉を出し渋る吟詠になりかかっている。

それがないように、それぞれの吟を、吟じこめばよいのはわかってますがねぇ、、、



練習のたびに、毎回誰かが、行ったことで、すかさずテーマを見つけて、考えることができるうちは、私もまだ大丈夫と、思う。

もうメンバーが育ってきたので、ただ、まくしたてるのではなく、自分で考える機会を増やして、血となり肉となる練習ができることが望みだ。

わかってほしいがゆえに、しゃべりすぎることを慎まねばと思いつつ、老婆心ながら、つい言葉を尽くしてしまうのは、良いこととは思えない。


そうは言いながら、迷いや、滞りが生じると、必ず何かの転換期を迎えて、助っ人が現れたり、はっと気づくことがあって、守られているなぁと、感じる。

感謝を伝えるのは、何に?誰に?




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夢青葉会場

2016年03月25日 | 詩吟
あかるい日差しにまどわされて、あったかいなぁと、思う。
外気温を確かめず出かけたら、風が冷たかった。
バッグの中の、マフラーで、辛うじて、温度を保つ。

今日は、日頃の体操を今までより詳しく説明しました。

手の先から足の先まで、繋がっていることに合点がいってくれると良いのだが...

少しずつ、手先だけの真似ではなく、体幹とつながった動きを、感覚でとらえてもらう。
吟詠もおなじで、口先や小手先の吟詠は、もう卒業しなくては。
自分の吟詠を見つけていく始まりとなった。

こんなこと、頭で考えることではなく、実践から体が覚えていく方が良いのだが、私の吟力がともなっていないことで、しっかり聞いて真似をしなさいが、通じなくなる。
それ以上に心の体力が足りない。
それで、くどくどと、言葉が多くなる。


4段に昇段したら、翌年は師範代の昇格試験です。
今までと違った練習の進み方で、1年の間に10題の絶句を身につけなければなりません。

その練習に、耐えられるようになっているはずですが、もし、耐えられなければ、昇格試験は見送りです。
そして、更に、次の1年で、新しい吟題を10題さらう必要があります。


夢青葉がスタートしたのが、平成22年の4月でした。
知り合いばかりで始まった教室は、満6年となりました。

この間、メンバーの経営する店先で、使用料ゼロ円で提供していただいていました。
夏は冷房、冬は暖房、時どきには、茶菓の接待と、それ以上に重要な温かいおもてなしの心で、安心して練習を続けることができました。
友人とはいえ、今思うとあまりに贅沢なことだったと思います。

人数は少ないし、ゲストさんもほとんどいなくても、必要経費のない教室は、着々と資産を増やしてきました。
おかげで、昨年の夢組合同練習会も、豊かに開催することができました。

本当におかげ様でした。

この場所は、目的をもって、店舗として彼女がお借りしている部屋でした。
この度、その大きな目的を終え、心を残しながら、今年の12月をもって、閉じることになりました。

昨暮れにそのことをお聞きしましたので、さっそく幹事さんが探してくださった松山市民センターに教室を移しました。

抽選に漏れたりすることもあり、取れなかった日は、今年いっぱいは、彼女宅をお借りすることとして、行ったり来たりになるかもしれません。
幹事さんが作業に慣れ、部屋の借り具合さじ加減を確かめ、幹事さんのご家族の協力も頂いて、もし、抽選に漏れた時のことを考えて、別の施設も検討していただいています。


こういう転期を迎えて、初めて、いろいろな数字をはじき出してみるという作業をしてみました。
支出のない家計ですから、ャCャCと集金袋に入れて、一年経ったら、通帳へという作業をしていましたか。
貯まる一方というのも、ありがたいものです。
本来なら、赤字所帯のはずが資産形成ができているなんてね。

コピーは極力避けて、必要に応じてテキストを求めてもらいました。
出席の場合は、必ず連絡をうるさく言うのは、教室近くにコピーができるところがなかったからです。これも、ゲストさんがほとんどないので、経費がかかりません。

その他の、経費といえば、交通費。交通費って思った以上に高いなぁと、初めて感じました。
スイカの自動チャージのおかげで、交通費ゼロ円の感覚が身についてしまったから。
これは、夫の応援のおかげで、気にせずにいられたのであるけれど。
ゲストさんが少ないのも、遠くて交通費が高いせいもあるのかもしれませんねぇ。

時間が2時間しかない上に、私の指導法に問題がありと長年思っていましたけれど。
もう一つの理由を見つけて、ほっとしたりして。。。
会場が個人宅と言うのも、気軽では無かったのかもしれません。

改めて思い返してみると、無私の応援があってこそ、ここまで続けられた夢青葉教室でしたねぇ。
ありがたいことです。


最近では、ほとんど、他の教室へゲストで行かなくなりました。
こだわりを持ってかかわるとこんな厚かましいことができてしまうのです。
しかし、この、「こだわり」は曲者でしたね、良い意味のこだわりではなかった気がします。

おかげで、時間のゆとりができたから、わが夢組さんたちへ、今以上エネルギーを注がねばと思います。

ただ、青葉さんは4段の受験をして、自立の道をたどらねばなりません。
その力は、十分付けてあげられたかどうか、わかりませんが、此の処の厳しい練習は、もう明日の昇段試験の終了を見て、終わりかな。

もう、うるさく言わなくても、自助努力で、精進してほしいと思います。
そして、質問をたくさんできるように、なってほしいと思います。

いつまでも、細かく指摘されると、さぞ、嫌になることでしょう。

私自身も、師範代に昇格直前には、こちらに居を構えたので、今までの毎週のお稽古がなくなって、自由気ままな練習をしていました。
吟の先輩は、当時現役でお勤めをして超多忙な野田 芦孝先生だけという環境が、そうせざるをえなかったこともあります。

東京芦孝会は、どこの練習会場に行っても良いのですから、さらに、学びを深め、新しい出会いを求めて旅立ちだね。
 
慣れ親しんだ練習会場の古巣から飛び立つのと、同じ時期に、個々の旅立ちの時期が同じになったわけです。

これから、どのようなことが起きるのか、楽しみです。

まずは、明日の、昇段試験です。
いつもの通りに吟じましょうね。

神戸留学さんも、今回は、上京して受験です。その意気込みを買いましょう。
みんな、前向きだ。

それでこそ、夢組。   うつわよりも、中身の充実。 
 
         


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夢松3月2回目

2016年03月22日 | 詩吟
今日は大失態。
大事な練習を勘違いしてしまって、2時間しかないお稽古の1時間しかできませんでした。

電話を受けてから、取るものもとりあえず駆けつけて、一時間のロス。
こんなこと初めて。

あぁ、恥ずかしい。

自主練習をして待っていてくださって、その結果をお聞きしたら、とても良い吟詠を聞かせてもらいました。

27日が昇段試験と言う大事なお稽古日を翌日と勘違いして、有り得ない!

しかし、発声練習の後、「それぞれの持ち吟を二回り練習をおえて、それぞれを批評しあいました。」とのこと。
どんな批評をしたのかお聞きしたかったのです。
あとで考えてみると、そんな暇はないと、あせっているのはわたしだけだったなぁ。。。
どんな感想だったのか、聞けばよかった。

とりあえず息を整えて、恥ずかしがる暇もなく、では、その練習を結果を聞かせてくださいと、気を取り直したことでした。


こんなに良い吟を聞かせてもらって、驚くとともに、とても「気」の入った出来栄えでした。
意気ごみだけでは、なかなか、「気」を入れた吟はできないのですが、いつの間にか、身につけていたのですねぇ。


この、できばえなら、細かいことがどうでもいいじゃないのと思う。
基礎のうちは、「完璧を期する」をモットーに来ましたが、気持ちが揺れ動きます。


先輩お二人の律詩は、5行目から崩れること無く、最後まで流れていきました。
後輩の、絶句は、少々の力みはあっても不自然ではなく、初々しい吟詠で、安心して、試験に送りだせます。

はぁー。良い経験をしました。ありがとうございます。  (3月23日加筆)
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もうすぐ15才

2016年03月22日 | こたろう語録


ご近所の桜も咲きました。

そして、かあさんは、68歳になりました。
おめでとう!

それから、僕は、26日に15歳になります。
人間でいうと、80歳くらいなんだそうだよ。
でも、僕は、外に出たことがないし、ケンカしたこともないし、病気もしたことがないから、それに、大人の中で育ったから、いじられたこともないし、ストレスフリーの日々だったからね。

クリニックの先生にも、若いねぇと言われるよ。




さしみ♪~




←ご近所の外猫さんと見つめ合う



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丹田と呼吸と体調と

2016年03月19日 | 体を整える
その時々と体調により、体操を山田先生がアレンジしてくださっていますが、今は、膝をのばす体操をしています。

言葉では表現しにくいのですが、山田先生の指導の通りに足を動かしていると、とても気持ちの良い場所があります。
痛いとか、頑張るとか、無理をすると言うことから、遠い位置にある体操は、日々続けることが大事です。

その心地よい感覚を頼りに、自宅で、朝、晩やっていると、膝の位置がどんどんと変わっていきます。
膝の位置が変わる?  そうです、変わるのです。

今までずっと右膝の内側が痛かったのが改善されました。階段もかなり楽に降りられるようになってきました。

ところが、この新しい体操をはじめたら、はじめて膝の後側に痛みが起こりました。
立っている分には、良いのですが、膝を延ばすときに一瞬動きを止めなければならないくらい痛くなりました。

快調に自転車をこげるようになっていたのになぁ。。。

ここで、痛みの場所が変わり、痛みの具合も変わってくるということは、何らかの変調、それも良い方への変調と考えることが、身についてきています。

さて、痛いときは、熱刺激でしょうとばかり、もう一度「すごい熱刺激」の本を読み返して、蒸しタオル療法を、始めます。


同じタオルを当てているのですから、同じ温度の刺激が届いているのですが、膝の裏側は、見事に真っ赤になりました。
ところが、今は痛みを感じてないひざの内側は、大きな斑点のまだら状態。
そして、同じ温度でも、裏側は、熱さをさほど感じないのに、膝の内側はあっちっち!なのです。

痛みが起こっているところが一番悪いところと、考えがちですが、この斑具合を見るとやはり、膝の内側の方が、状態が悪いということになります。
そして、その膝の内側の症状は、もっと、根本的に取り組まねばならない、箇所があるはずと、教えられます。

目に見える異変や痛みは、サインなのだということです。
たとえるなら、痛みは、雨漏りの水が床に落ちる音、そして、おおもとの問題点は、屋根の破れなのだと。

床を拭いても拭いても、屋根の破れを治さねば、やがては、家は,腐って唐黷驍フです。
(このたとえは、歯医者さんのセミナーに行ったときのたとえ話、ちょいと拝借)




さて、熱刺激に戻ると、「なるほどねぇ、本には、何度くらいという記述がない」のは、こういうことなんだなぁと、一人で納得しながら、温タオルを取り換えるのでした。

それを三日ほど続けていると、その熱刺激の平仄がわかってくる。
確かに温めた時、心地よいのは確かです。その半日後くらいに、急に何かの動作の時に、患部が心地よさを感じて、快方に向かっていることを感じるのです。

ある部分に熱刺激を与えたら、滞りが改善されて、周りに波及するというか、流れが起こるというか、そのような体の変化が起こっていると感じます。

波及して、改善するというのは、すごいことだと、感動する。
それが、他力本願でなく、自分の起こしたアクションで、自分自身を改善改良していっているのだから、この温タオルタオルによる熱刺激療法はすごいと思う。

そして、先日の16日が、山田先生の施術の日だったのですが、膝伸ばしの体操をさらにバージョンアップして効果のあらわれるように、ご指導いただきました。

バージョンアップしたというのは、先生の指導内容がアップしたのではなく、私の受け止め方が、上手になって、結果的に、より、心地よく感じる角度を身につけてアップしてたということでしょうか。

体操は、受け止める者の感受性と習熟によって、効果が絶大に変わります。
最初は、なかなか受け入れがたく、難しく感じたとしても、受け止めたように体を動かせばよい、受け止めることが肝要で、繰り返し受け止めながら続けていると、限りなくゼロに近い効果だったのが、習熟度がアップして、絶大な効果が表れてくるのです。
そして、嬉しいと余計に体が変化したいと、思うようになれば、しめたものです。

そうすると、どんどん体が変わってきて、幸せ感を味わえるようになります。
良い体からは、素直な感性が育ち、少々の攻撃では、負けない柔軟性が育まれる。

痛みや不快感を我慢しているうちに、知らず知らずのうちに頑固になり柔軟性を欠くようになっていることがわかってくる。

痛いのは、苦しい、いやだ。

さて、熱刺激と、施術と、体操の結果、今日は、痛みからの解放だ。ばんざーい。


痛みからの解放は、幸せとしか言いようがない。
正座ができるようになるのも、夢物語ではないかもしれない。





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はじめの一歩

2016年03月17日 | 詩吟
須藤先生の菜根譚の講義に続いて、今年度最後の初めの一歩でした。

来月からは、新越谷に場所を変えて、また新しいシリーズが始まるのは、菜根譚と同じ。

東京芦孝会からの参加以外は、須藤先生のほか三名。
この内二名は、スムーズに会場変更になっても続けられます。
お一人は、帰宅時間の都合で、菜根譚の講義を受けたら帰らねばならないそうです。

その代わり、松戸の夢松風に水曜日の練習日に限り、参加可能とのことで、前回の夢松風に見学に来ていただきました。
半分出席で楽勝と考えましょうね。


今日は、松樗~のおさらいの後、それぞれが独吟、あるいは、リクエストに応えての吟詠発表の場となりました。


「偶成」「春暁」「静夜思」「絶句」「松樗~」は1年半になる方たちの、習った漢詩。
全員合吟。ののちに、先輩方の「松樗~」「川中島」「寒梅」「春日山懐古」の模範吟。
川中島以下の三題は、新人さんたちと先生からのリクエスト。

最後に、お二人の新人さんたちの独吟。
毎回驚くのですが、月に1回1時間の練習で、とても、情のある吟詠をしてくださるのに、驚いてしまいます。
細かい吟法にこだわってしまうと、この「何とも言えない情や情緒」が失われます。

この教室は、このままで、ゆるく途切れないで永らえる方針で、続けていきましょう。
「もう少し上を目指す」が一瞬頭をよぎるけれど、置いておきます。

めでたく、継続の方ばかりですが、今日で、終了の方がいらっしゃいました。

吟詠の発表の時に尺八の伴奏でお世話になっているメンバーが、今日の第三木曜日は、卒業して、第4月曜にのみ、いらっしゃることになりました。

論語の学びにいらっしゃって須藤先生の生徒となられたKさんですが、尺八伴奏の練習をしたいとおっしゃって、はじめの一歩にも参加なさいました。

はじめの一歩の練習では、まさか練習のコンダクターの代わりを務めていただくわけにはいかないし、1時間の練習の中で、お稽古に気が乗っているときは、模範吟詠の時間も取れない時もあり、たまにある模範吟詠の時だけの出番ですから、退屈なさっている様子が、見えていました。このことは、ずっと、気になっていました。

ご自身で、はじめの一歩は来ないという結論を出されて、その獅A須藤先生に直接伝えられたそうです。
伴奏に関しては、須藤先生が依頼したわけではなく、生徒間で勝手に始めたことなので、須藤先生には、申し訳なく思いました。


はじめの一歩が始まって、吟詠をしてほしいとの先生からのリクエストが増えるにしたがって、芦孝会仲間の出番が増え、論語の生徒仲間として心から応援をしてくれました。
あくまでも論語仲間としてのK さんの出番も増えるという自然の流れが起こりました。
吟詠と尺八の構図が当たり前のように受け止められていますが、先生の思いに応えて、盛り立てるためのものでした。



長らくお疲れ様でした。ご自身で所望された関吟流の吟詠の伴奏の練習になったことでしょう。決して無駄な時間では無かったと信じます。
いろいろとお忙しいことと思います。益々のご活躍を、なさいますように。
そうそう、縁が切れたわけではなく、まだ、第4月曜日が、残っていましたね。
この日は、これから、思想家についてのテーマで、須藤先生の講座が4月から新たなスタートを切ります。
学びの傍ら、得意の尺八を、東京芦孝会メンバーの吟詠と共に、お聞きいただくこととなります。

須藤先生の教えを受ける仲間として、それぞれの技を出し合い協力し合えるということは、なんて、素敵なことでしょうか。


自然な気持ちで行っていたことが、ちょっと考えの変化したメンバーの存在に気づくことによって、先生の教え、洪自誠の言いたかったことが、実感されるものなのですね。
実学、実践派の私には、此の処の出来事は、学びの目をさらに見開く機会を頂きました。


学びと言うものは、奥深い。             
                             (3月21日加筆訂正)

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菜根譚

2016年03月17日 | 論語と
1年間のシリーズで、始まった菜根譚、3月の今日、締めくくられました。
来月からは、新越谷に場所を変えて、また新しい一年が始まります。

場所が変わって、去る人、加わる人がいるはずです。
今日からやっと暖かくなって、春が来る。

今年は花が早そうです。


施人毋責其報  (人に施しては其の報いを責むること毋かれ)

何かをしてもらって、その対価はいらないよ、でも、ありがとう戸いう感謝の言葉は忘れなくと言うのは、これに当てはまるのだろうか。

ありがとうの言葉も、「報い」と考えるのだろうか。


とすると、洪自誠さん、私はどう考えたらいいのですか?


何かしてもらった時、其のことに対する対価を支払うのは、当たり前のことなのだけれど、ビジネスではない場面では、いやいやビジネスの場面でも、対価として相手に動いていく、エネルギーは、お金か、物か、心にとって代わる言葉なのか、はたまた黙って行動することなのか。


そのどれも、無しなのか。
 

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