風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

引っ越します

2006年03月31日 | チンゲル亭
        チ○○ル亭へようこそ!

    2005年4月6日、再びチ○○ル亭へ舞い戻ってきました。
 
  今回は、ブログでUBやモンゴルの田舎の様子をお伝えしようと
                思います。
          
          お楽しみいただければ、幸いです。


     2004年1月から11月までの10ヶ月の様子は、リンク集のチ○○ル亭便りから
                   よろしければご覧になってください。





2006.03.19.11:30



これまで、親しんできたチ○○ルテイ地区を離れて、スフ○○トル地区へ引っ越しました。あれこれ考えて、チンゲル亭を返上して、「風のこたろうのウランバートル便り」とタイトルを変えようと思います。

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荷物運びと助っ人さんたち

2006年03月31日 | チンゲル亭裏日記

引越し荷物を今日と明日に分けて運びます。
学生さんを助っ人に頼みました。
重いものは、地質の男子学生。聡怩ヘ日本語科の女子学生。

モンゴルでは、新しい丈夫なダンボールが手に入りませんから、日本から送った荷物のダンボールを大事にとってあります。
ここのアパートは広いので、箱のまま積み上げてあるのです。
それほど、ここのアパートは広いんだなぁといまさらに思います。(チクリ)

バイガルさんに連絡して、最後の清算をしました。
ここは、とても鷹揚な経営をしていますから、備品のチェックはありません。電気代は、サービス、電話代は、3月16日締めの請求書の額面だけでした。そして、世話が悪かったのじゃないかと家族に責め立てられましたと謝っていました。(チクリ)
駐車時料金もガレージに暖房が入ったのが15日なので、3月15日からの半月分の請求でした。ずいぶん得した気分です。(ちくり)

新しいアパートは、備品のリストが事細かに書かれて、値段も書いてあるそうです。当分、その表を眺めて時間つぶしが出来そうです。
さて、出るときに、どのように何を請求されるのだろう。

お手伝いに来てくれたバヤルジャルガルさんが、居てくれて助かりました。
彼女は、優秀な学生さんと聞いていました。
なるほど、賢いと言うのはこういうことなのかと思うほど、頭の回転の速い飲み込みの早い女性でした。

先ほどのスピーチコンテストに1位をとった人です。
ちょうど、コンテストの準備を始めた頃、ガン先生と話をしているときにちょっとだけアドバイスをさせてもらいました。
その後、担当教官が病気になったり、忙しかったりでほとんど指導をしてもらえなかったそうです。

下書きを見せてもらったときは、新聞の記事のような無味乾燥なものでしたから、自分の思いが聞き手に伝わるようにもっとエピソードを加えてみてはどうですかと、一言だけ言ったのです。
今日、彼女の携帯に吹き込まれたスピーチを聞かせてもらって、驚きました。とても素敵なスピーチでした。

思いを込めて、言いたいことがすっきりと伝わる内容でした。
ほんとに、一人で考えたの!と驚くばかりでした。

そんな、スマートな彼女に手伝ってもらって、2時間ほどの時間はとても楽しい心地よい時間でした。
遊牧民のご両親の待つ家に帰ったら、家事の手伝いをさぞかし骨身を惜しまずするのだろうなぁと思いました。
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タクシーの運転手

2006年03月31日 | チンゲル亭裏日記

とても背の高い美人の運転手さんです。
モンゴル語しか話せないようですが、理知的で、なんだか分かり合えそうな人です。

夫と所用で出かけるとき、家の近くから乗ったタクシーの運転手さんがその人です。
運転の様子を観察すると、丁寧で、折り目正しい運転をします。
こちらでは、どちらかと言うと女性のほうが荒っぽかったりするものですから、注意を引きました。

引越しをほぼ決めて、駐車場の問題で車を止めなければならない気配でしたから、SAVE THE CHILDRENへの送り迎えの車の手配をしなければならなくなりました。
それで、良い人は居ないかと何時もよりも、運転手の運転に注目して乗っていました。

タクシーから降りるときに、話をしてみたら、良い感触だったので、電話番号を教えてもらいました。
今日の、車の手配については、間違いが有ってはならないので、夫ではなく、ツェギーさんに電話をかけてもらうことにしました。

今日は、夫の仕事も通訳の必要がなくて暇なこともあり、モンゴル語しか出来ない運転手とのコミュニケーションは大変だろうと、夫の通訳のツェギーさんが自ら心配してついてきてくれました。

あちこちと寄り道しながらの往復ですから、ャCントを的確に説明してもらい、次からはキーワードだけで望みの場所にいけるようにしてくれました。

そして、SAVE THE CHILDRENでは、ドギーさんとの会話も通訳もしてくれました。
私たちの、他にも別の日に、英語などを教える人が来ているようですが、どうやら子どもがあまり集まっていない様子でした。
私たちのクラスは、「楽しい」がモットーで、最初に私がSAVE THE CHILDRENに来たときからのやり方です。

私たちのやり方は、日本の学校での教え方なのかを訪ねられました。
これは、町内会の子ども会方式ですと答えました。わかったかなぁ?

ドギーさんに、参加したいこどもがいて、途中からは駄目といって断っているそうで、それは残念なことです。
特に、前々回の手裏剣は好評で、他の子どもたちが教えてもらいたがっているそうです。

パートナーのKさんは、いろいろとアイディアがあるようで、いつまでも私のサメ[ターではなく自立する方向で考える時期が近づいているなぁと感じます。
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猫の通り道

2006年03月30日 | 日本から



鼓太郎の眺めている猫は、どんな猫?
隣のスーパーマーケットとの間の敷地に植栽があって、そこを猫が通りぬけます。

日当たりの良い窓から、「おーい、どこいくの?」と言っているのでしょうかね。
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 間もなく。。。

2006年03月29日 | チンゲル亭
間もなくお別れをするチ○○ル亭のこと。

チンゲル亭のこの状態でわがままを言ってはいけないと納得するために、アパート探しを始めました。
良い物件にめぐり合えず、チ○○ル亭も捨てたものではないと、まだ、思っていた頃、急に。
① 便器を取り替えますと言ってきた。
② 熱いお湯が出るようになり、一風呂のあと汗をかくほどになった。
③ テレビの映りが、飛び切りきれいになった。
④ 隣の部屋が静かで礼儀正しくなった。

今日、心地よい熱さのお湯に浸かりながら、いろいろと思いをめぐらせました。
この一ヶ月の間で、そのどれか一つでも今の良い状態だったら、果たして、「引越し」が、具体的になることがあったろうかと。。。

今日、最後の打ち合わせに行ってきました。
最初に、部屋を見に行ったときから、時間に正確な大家さんでした。
一生懸命希望に沿ってくれるし、センスも良いし。
決断が早く、楽しげに説明してくれたり相談に乗ってくれたりました。

最後の駄目押しのように、備品についてわがままを言ってみたら、ほとんどOKが出ました。大家さんありがとう。
チンゲル亭に大きな未練を残しながらも、新しい部屋にどんどん心惹かれていっています。

引越しが楽しみです。
大家さんと、部屋と、わたしたちとで良いコンビネーションを組みますよ!

駐車場がないので、お借りしていた車も持ち主に返して、明日のSAVE THE CHILDRENには、タクシーを使います。
毎週、同じタクシーの同じ運転手さんが定着してくれることを、期待しています。

夫の仕事にも、私のボランティアにも新しい風を呼び込んで、残りの1年を効果的に有意義に過ごすことにいたしましょう。




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MR.BARGAR

2006年03月28日 | チンゲル亭裏日記

お昼ごはんを食べるために、待ち合わせをした店の名前が、MR.BARGARです。
初めての場所には、必ず誰かに連れて行ってもらっていたのですが、今回は、初めて、電話で場所を教えてもらって、一人で行きました。

「何だそんなこと」と日本に居たら思うことなのですが、UBは、分かりにくいのです。
町は、無秩序に建物が建てられ大きな目印から、右、左、まっすぐ、それから大きな目印を示して、それからまた右、左、まっすぐ。。。。。
なのです。
方向音痴にはちょっとつらい街です。

今日乗ったシロタクの運転手も、良く知られている小学校を言ったのに、違う小学校に連れて行かれそうになりました。

前回の滞在中には、違う場所に連れて行かれることはなかったのです。
それは、ちゃんとしたタクシーか、あるいは、きれいな車を選んで乗っていましたから、間違うような運転手は居なかったのです。

今回二度目の私もずいぶん慣れてきたので、白タクも余り選ばず、手を揚げて止まった車に乗ります。
たとえ、間違った場所に行きそうになっても、落ち着いて違うよ、ここでとめてと言って降りることが、あるいは、方向転換することが出来るようになりました。

そういうときに、パニックにならないで済んでいることに、ささやかな喜びを感じています。

安全協議会からは、白タクには乗らないようにと指示されていますが、そんなわけには行かないのですもの。。。
私も、逞しくなったものだ。
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歴史博物館

2006年03月28日 | チンゲル亭





① ウイグルのフレスコ絵の前でチョカさん
② 嗅ぎ煙草入れ 
③ 珊瑚の髪飾り





チョカさんの卒論のお手伝いで、歴史博物館へ行きました。
説明の係りの人が居なくて、チョカさんが持っていた歴史博物館の本と照らし合わせながらの、資料集めです。

今回は、写真を撮るために1万トグルクを支払いました。

熱心に、観察しメモを取るチョカさんです。
将来は、日本語の観光ガイドをしたいと言う彼女には、うってつけのテーマです。
卒業したら日本に留学して、日本語のスキルアップを図るつもりだそうです。

今年のUBの博物館は、JICAのシニアボランティアの活躍のおかげで、展示室に手が加えられ、明るく見やすくなっていました。

科学技術大学の中にある岩石の博物館にも、視察に入り、いろいろとチェックャCントを示されて、一般にわかりやすく、見やすいものにかえていく試みもなされています。
貴重な、歴史的資料が、放置されることなく日の目を見ることが出来るのです。

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鼓太郎5才

2006年03月27日 | 風のこたろう裏日記

鼓太郎が5才になりました。

離乳すると同時に、我が家にやってきた鼓太郎は、あっというまになくてはならない家族になりました。
犬派と思っていた私が実は、猫も大好きだったと言うことが分かりました。
そして、猫は大嫌いだと思っていた亡き母も、そうではなかったのでした。

小さい頃、我が家に野良猫が近付こうものならおもいっきり、「シッ」と言って追い払っていましたから。
それは、良く頼まれて着物を縫っていた母が、預かりものの反物に猫の毛一すじでもつけたくないと言う思いからだったのです。

ショートステイから帰ってきた母が、「猫よ、猫よ」と呼びかけ、膝の上に載せたら、にっこり笑ったのでした。

娘が中国に派遣されて家族が一人減り、その寂しさを埋め、その1年後に母がなくなり、入れ替わりに娘が帰り、そしてまた数ヵ月後に、夫がモンゴルに派遣され、いつも5人だった家族が4人になり、3人になりしていた一番寂しいときに、鼓太郎は私たち家族を慰めてくれました。

そして、命を全うするまで責任を持って世話をすると、約束したのに、今は、長女に任せて私もモンゴルで生活しています。

今は、長女と鼓太郎の二人で生活していますが、鼓太郎が長女をしっかりと慰めてくれているようです。

私と一緒にいるときは、布団の上で眠っていたのですが、私がいなくなるとすっかり甘えん坊になり、次女の布団の中にもぐって眠るようになりました。
次女は、よく、眠りに落ちそうになるとおなかの上に飛び乗ってこられて、睡眠不足だと文句を言いつつ、それでも可愛くて仕方がなかったのです。

最初にモンゴルに出かけた10ヶ月は、帰国したその日から元の私の布団の上で眠り何事もなかったような生活が始まりました。
睡眠不足を余儀なくされていた次女からは、「裏切り者」と言われました。

2度目のモンゴルから帰国したときは、次女の結婚式で、みんなが落ち着かない毎日でした。
鼓太郎も落ち着かない毎日のようで、どこが一番落ち着いて眠れるところか毎夜毎夜探し続けました。。。かわいそうに。

そして、今、長女と二人の生活が続き始めると、迷うことなく、布団とモンゴル製カシミア毛布の間に挟まって眠っているそうです。
心地よさに毛布の取り合いになることもあるそうです。(笑)

鼓太郎 5才おめでとう!
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約束

2006年03月27日 | モンゴルについて
アーァ、残念。
自分の不手際でおきたことですが、モンゴルでの約束ごとについては、こうなんだよねぇ。。。

今日は、2時に来客のある日です。

今日から引越し荷物の箱詰めをはじめました。
いつの間にか一生懸命になっていて、気が付いたら、2時10分過ぎ。
マンチョクさんは、時間より早いくらいに来る人です。
15分から30分遅れは許容範囲という中で、きちんと時間を守る人です。

あっと思って、ベランダから下を除いてみましたが、居るはずもありません。ブザーが二つあって、一つは音が小さいのです。
奥の部屋に居たので、聞こえなかったようです。そのときは、もう一つの方を押してくれるかなと思ったのですが。。。
夫の通訳さんに、電話をして尋ねてもらいました。

「ブザーを押しても出てこなかったので、留守だと思って帰ってしまったそうです。今から行きます。」
悪いことをしたなと思って待っていると、折り返し通訳さんから電話がかかって、「3時から授業が入ったので、今日はいけません。」
とのことでした。

モンゴル人は、ブザーを押して出てこなかったら、キャンセルと思う。
キャンセルするほうもされるほうも、仕方がないと思うのです。
ですから、電話番号を教えてあげていても、確認をするということはしないようです。
わざわざ、確認するのは申し訳ないと思うのかもしれません。
これから日本に行こうとしているマンチョクさんですから、日本人は、若し都合が悪くなったら、必ず事前に連絡をするということをわかってもらう必要があると、痛く感じたことでした。
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ピンクの似合う女の子

2006年03月27日 | こたろう

協力隊員のNさんを隊長とする孤児院訪問のグループに入れてもらっています。
私以外の人は、月曜から金曜日まで仕事をこなしその貴重なお休みを使ってのボランティアです。
今日の訪問先は、私立の孤児院で12月に行ったときまた来るねと約束したところです。

ここは、ちゃんと自立できたらここを出て行くということになっているので、メンバーの入れ替わりはほとんどありません。
一番の年長は20才で日本語がとても上手な女性です。
私たちが行くと、とても張り切って通訳をしてくれます。

今日、とても可愛くいとしかった女の子はピンク色の服の最年少の子です。
ここに居る子どもたちは、明るく目を合わせてにっこりと笑ってくれる中で、なかなか目を合わせて笑わない恥ずかしがり屋の子です。
それでも、手を伸ばすとすっと手を差し入れるようにして手をつなぎ、しっかりと握り締めてきます。
折り紙を教えてあげると、誰よりも長い時間集中していろんなものを作り出していました。
やがて、年長のお姉さんに日本語を教えて欲しいと言われその場を動いたのですが、遊びの時間が終わって食堂に向かうとき、いつの間にか私の手を握っていました。
階段の上り下りは、私と一緒にと決めたようです。そのちっちゃくて冷たい手の感触が今もよみがえります。
食堂で、カレーの出来上がるのを待ちながら、テレビを見ている子どもたちに加わって一緒に待っていました。
思わず、膝に乗せてしまいました。
周りを見ても、それをうらやましがったりする子は居ません。
他の施設だったら、大騒ぎで奪い合いが始まるのですが。。。
安心してそのまま座って居ると今度は両手をしっかり握り締めてきました。
膝に暖かいものが伝わってきます。

ご飯よと大きいお姉さんの声がしたら、自分から膝を降りていつも座っているらしい席に自然に行きました。
十分に余韻を残して行ったので、行ってしまったという思いもなく、かといって未練がましくもなく。

すると次は、今日ここに来たばかりの10歳くらいの女の子が、ここにおいでと席を半分空けてくれました。
ありがとうと言ってぎゅうっと座るとうれしそうにしていました。長いピアスが揺れていました。
この子は、院長先生の、公平な大きく深い愛情を注がれて聡明な女性に育つことでしょう。

また来るよと返事をしたけれど、ここには来る必要がないのかもしれません。
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