風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

わがはいはこたろう

2009年08月01日 | 日本から
2005年に二度目のモンゴル滞在が決まり、家族への近況報告のために作ったブログ「風のこたろう」が始まりました。
2年後任期を終えて帰国する夫に伴ってモンゴルはウランバートルの生活が終了しました。時は2007年4月。

帰国以来逆カルチャーショックやらなにやらで、低迷時期を脱するのに、2年を費やしたことになります。

題名のとおり、愛猫の鼓太郎との生活など還暦おばさんの日記として、始めようとしているところです。

表紙の写真には、帰国した直後の6才のときの鼓太郎のハンサムな写真を選びました。
正面を向いていてピントのあっている写真といったら、これくらいしかないというのもありますが、、、

だんだんに近影やら、近況やらをかいていくことにしましょう。


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モンゴル編終了にて表紙の役目は終わりました。

2007年05月31日 | 日本から
2年にわたり、UBでの生活模様をお伝えしてまいりました。
夫の、任期満了に伴って、日本に帰ってまいりました。
モンゴルと一度結んだ縁は、切れるものではありませんが、この2年間のような劇的場面はもうないでしょうねぇ。

劇的といえば、夫の仕事がまたモンゴルで始まるということが一番のそして最後のニュースとなりました。
前回のモンゴルの所属とは違いまた、仕事の内容も違っているので、随伴としてUBで生活することは難しく、私は、日本でお留守番ということになりました。

それを機に、5月の最後の日に、「風のこたろうモンゴル編」はこれにて終了といたします。
今のところ「風のこたろう」の別冊は、今のところアイディアがありませんが、夫を送り出し、こちらでの生活が一段落して、伝えたい、書きたいことができたときは、「風のこたろう○○○編」として、再出発があるかもしれません。

それでは、これで中締めとさせていただきます。

  2年間お付き合いありがとうございました。



             さようなら、チンゲル亭
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モンゴルのご縁

2007年05月28日 | 日本から
主人の仕事がまた、モンゴルで始まることになりました。
さる会社に就職し、日本からモンゴルへ長期出張という形で仕事が始まります。
今日、ビザの申請をしました。
1週間後には、ビザを受け取り、チケットが取れ次第出発します。

モンゴルの縁は、これでおしまいと思って帰国したのですが、4年間狽チたものが大きく、夫はモンゴル復縁(笑)です。
夫は出張という形で、モンゴルへ行きますから、私は日本でお留守番です。
田舎の母の心待ちの思いを良く知っているだけに、なんといって話してよいやら、、、
私は、その任からは一目散に逃げています。
やさしい夫は、なんと言って切り出すのやら。

でもね、心からやりたいと思う仕事なんだそうです。私には引き止められませんでした。お母さん、がっかりしてしまうでしょうねぇ。
私は黙って、日本で元気に明るくお留守番をするしかありません。

というわけで、モンゴルには縁が復活したのですが、モンゴル情報は夫の仕事の内容にかかわることになるので、お伝えすることができなくなるでしょう。

モンゴル生活のブログとしては、これで終了ということになります。
長い間、ご愛読ありがとうございました。
この後は、どういう形にするか、ちょっと考えることにいたします。
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浅草

2007年05月08日 | 日本から
若いお友達のYさんと、浅草で会いました。
仲見世から浅草寺を見る

浅草とリクエストしたのは私、お店を選んでくれたのは彼女


季節感たっぷりで絵のように美しい和食を頂き、そのあとは津軽三味線の生演奏。
久しぶりの帰国に日本を楽しんでもらおうとの彼女の心づくし。

そのお店は、浅草寺に程近い「和えん亭吉幸」

平日の連休後のランチとあって、お客は私たち二人。
その二人のために、ふたりの演者が、手の届くほどのそばで、マイクを通さない本当の生の音を聞かせてもらいました。
津軽三味線の力強さを感じ、馬頭琴とは違った弦のはじき方抑え方を興味深く見つめさせてもらいました。

演奏の後、店の名前の「えん」を敢えてひらがなにしたのは、楽しい宴と、三味線の演奏を楽しみ、新しく出来たご縁を大事にしたいというオーナーであり、津軽三味線の師匠の思いがこめられているとお聞きしました。
また、追分という別の店でも演奏しているのでそちらにも聞きに来てと誘われました。
フレッシュな浩平君と姉御肌の幸輝さんとのコンビは、演奏もおしゃべりもいい感じでした。




食事の後は、浅草神社におまいりをして、仲見世をひやかして、「いもきん」をお土産に帰りました。(^^♪


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図書館

2007年05月07日 | 日本から
近くの図書館に行ってみました。
一度なくなってしまったと思っていたのに、復活したのはうれしい。
立派な中央図書館が出来ても、ふらりと下駄履きでいける(こんな表現はもう古いなぁ)図書館がうれしい。

そうなればいいなぁと思っていたことが、実現していました。
それは、家のパソコンから図書館の蔵書を検索し、予約できるようになりました。
そして、どこの図書館の蔵書であっても最寄の図書館に取りにいけることです。
早速リクエストを出したら、3日後に準備完了とメールでお知らせがきました。

明日、早速とりに行ってきます。

うれしくなって、読みたかった本をあれこれ検索してみました。
ある、ある。
書棚の前に立って、本を探すのもどきどきうれしいことだけれど、どうしても早く読みたいものは、こうして、能率よく手に入るのが良い。

急いで、忙しい生活をしているわけではないのだから、自転車に乗って、川の向こうの中央図書館にどんな本があるかなぁと手に取り、中を読みながら、好みの本を見つけるのも良い。

ほんの楽しみは、思わぬところから見つけ出すこともそのひとつ。

UBでは、本は表紙を見せて陳列してあった。
手に取ろうとすると店員さんがすかさず、取って手渡ししてくれました。
手にとっても、モンゴル語は理解できず、買ったのは辞書と絵本だった。

何ヶ月もそんな生活をした後、はじめて、たくさんの本が背表紙を見せて本棚にぎっしりと並んでいるのを見たとき、うれしくて感激したものだった。

昨年あたりから、UBの国立デパートでも本屋さんは、書棚に背表紙を見せてぎっしりと詰まっている展示の仕方が始まりました。
それでも、本の売り場面積は、わずか、そして、高い。

日本の篤志家の絵本文庫は、建物の移転中で去年の夏から絵本を借りることは出来なくなった。いつになったら、オープンするのだろう。

思いのままに本を手にし、読むことの出来る環境をとてもうれしく思います。
モンゴルの学生さんたちにとって、せめて辞書が身近な手に入れやすいものになると良いのにねぇ。


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えっ、モンゴルから?

2007年05月02日 | 日本から
電話からモンゴル語が!
慌てふためいたが、どうやら私のモンゴル名前のシュレーさんといっている。
間違い電話ではなさそう。
しかも、「ビー ヘンベー」と言っている。

「ター ヘンベー」は、良く聞いたし、私もよくかかってくる間違い電話で「あなたはどなた?」とたずねたものだけれど。

ビーは「私」であるから、と言うことは「私は、だれ?」と言っているのか。
などと、あせってしまったのだけれど、日本に留学生としてきているHちゃんでした!
はぁー、驚いた。

ゴールデンウイークに友達のところに行って、私のうわさを聞いたからなのかなぁ、それとも急に思い出してくれたのかしら?
それにしても、うれしかったなぁ。
特別に用事もないのに、モンゴル人から電話をもらったのは初めてのこと。

私だって、特別用事がないのに、電話をしたりしなかったから、驚き。

海を越えた出会いが、また、私の帰国で海を越えて、また復活しそうです。

Hちゃんは、オルティンドーの練習もそうなのだけれど、UBの町を歩くについて、手取り足取り教えてもらった私にとっては重要人物です。

日本国内に居るとはいっても、簡単に会える距離ではないので、声が聴けるだけでもうれしい。
何とか、会いに行きたいものです。


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オルティンドー

2007年05月02日 | 日本から
4月29日 30日の二日間にわたって開催されたモンゴル留学生会主催のハワリンバヤル2007(春祭り2007)の二日目、モンゴル民族音楽のステージに、オルティンドー歌手の三枝綾子さんが出演するということで、楽しみに出かけました。

一緒にモンゴルから帰ってきたHさんとも待ち合わせをして、一緒にコンサートを聞きました。

UB生活をまだひきずって居るので、Hさんとは4月7日に成田でお別れしてから、初めての再会という気がしなくて、そばに居るだけでうれしかったのでした。
後で、思うと尋ねたいことがいっぱいあったのになぁ。。。

そして、UBにたつ前にコンサートで三枝さんのオルティンドーを聴き、2年ぶりにその声を聴けるということ、そして、お届け物をしてお知り合いになるという期待にわくわくしながらの春祭り参加でした。

三枝さんと会って、テープを手渡しし、自己紹介をし、練習に参加させて頂きたいことをお伝えしました。
今日ブログで確認しましたら、二人目のお子さんの産休も明けて、5月12日に練習が再開されるとのことで、早速カレンダーに書き込みをしました。

帰国後初の公式スケジュールが決まったのは、モンゴル絡みのものでした。
三枝さんの親友のホンゴルゾルは、オルティンドー歌手で世界的に活躍をなさっている女性です。

トメンエヘで、ビャンバジャルガル先生と練習をしているときに、ホゴルゾルが、偶然彼女に会いに来ました。
三枝さんに届けるからと、メッセージをふきこませてもらいました。
 その後、まもなく三枝さんがUBにこられると知っていたら、そして、ホンゴルゾルに会うということがわかっていたら、そんなことも必要がなかったのですが、まさか、産後半年で、しかも単身お二人のお子さん連れで空の旅をしておばあちゃんに会いに来るとは思ってもみなかったのでした。

そのテープ、大事にしすぎて、却ってどこにしまったか忘れてしまったのでした!
3日間、狭い我が家を探しに探したのでした。
出てきたのは、アクセサリーを入れた巾着からでした。
なぜ、そこに入れたか、いつ入れたか、すっかり記憶から欠落している私でした。
ですから、そこを探そうと思いついたのもなぜかわからないのですが、めでたく見つかって、ほっとしたことでした。(笑)


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ハワリンバヤル2007

2007年04月30日 | 日本から
ハワリン バヤルとは、春の祭りというモンゴル語。
もう8年も続いているらしい。
日本に住んで長いモンゴル人の友人にまだ、UBに居るころから誘われていて、2日目の今日、夫とともに、見物に行き彼女たち親子に会って旧交を暖めました。

場所 東京都練馬区光が丘公園
目的 在日モンゴル人留学生が、母国のモンゴルを日本人に紹介し、モンゴル人と日本人が交流できる場とする

10時10分から始まるモンゴル民族音楽で、三枝綾子さんがオルティンドーを歌うというので、朝、9時前に家を出て会場に向かいました。


テントでは、モンゴル料理、モンゴル岩塩の販売、面白いことには、血圧測定コーナーに、岩塩が敷いてあり、ここに素足で立つと、血圧が上も下も10は下がるといって、実際立っている人が何人も居ました。

モンゴル相撲を楽しむコーナーもあり、モンゴルの力士が応援に来ていました。
朝青龍、白鳳、旭天鵬、なども応援に来ていて、賞金が彼らから出されていました。



受け取ったパンフレットに「わたしたちはこれからもモンゴルを『蒙古』とよびません」とあって、知らなかったことを驚きました。



  =パンフレット引用=
モンゴルを「蒙古」と呼び始めたのは、今から1000年も前のことです。
当時は異なる民族や集団の名前に、悪い意味の漢字を当てた時代でした。
「蒙古」には歴史上、「蒙昧で古い」という、差別的なイメージがあるのです。
日本も鎌倉時代の昔から、長い間モンゴルを「蒙古」と呼んでいました。
近年になって、多くの有識者たちによる地道な呼びかけが実を結び、今ではほとんどの場合、モンゴルを「蒙古」と呼ぶことはなくなりました。
公式にはカタカナで、「モンゴル」や「日モ」と表記するようになったのです。
しかしこうした歴史や上記について、残念ながらあまり知られていません。

わたしたちは、モンゴルと日本がともに21世紀の新しい未来を作るために、
モンゴルを「蒙古」と呼ばないこと、表記しないことを、あらためて広く呼びかけます。



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久しぶりに日本でも馬に

2007年04月26日 | 日本から
電車で30分のところにある乗馬クラブへ行ってきました。

10頭あまりのサラブレッドが、レッスン用の馬として厩舎で世話をされていました。
馬のお試し乗りを10分ほどさせてもらいましたが、『馬に乗りたい』と心が騒いでいたのを収めることは出来ませんでした。

何よりも、お試し乗馬は紐をつけその先をインストラクターが握って、その紐の長さの半径で小回りするのではちっとも面白くない。
お試しのときは、どなたでもこの紐をつけて乗っていただきますとのこと。
ビジターとして参加するのであれば、自由に走ったり、外場といって、せまい馬場を出て、周りの林や外のコースを歩いたり走ったりすることが出来ます。

コースの外回りには、桜の並木があって花の時にはさぞ美しいことだったでしょう。
それでも、テレルジで乗ったときの爽快感は望むべくもなく。。。

乗りたい、乗りたいと思いつつ優雅なサラブレッドの背に揺られていました。

お試し乗馬の後、突然の雷と土砂降りの雨。
幸い、建物の中で、持参のおにぎりを頬張っているときだったので、ぬれることはありませんでした。
モンゴルでぬれることはちっとも浮ュなかったのですが、日本では浮「。
しかも、時ならぬ夕立雨!

ここは、まだ乗りに来るところじゃないよという何かのしるしかなぁ。

命を懸けてというのは大げさだけれど、瀬戸際に居て緊張と達成感とのハザマで乗っていたモンゴル馬の乗馬は、無事に終わると達成感と充実感と深い安堵を感じる週末でした。

ユニゾンでは、馬の上でリラックスしてくださいといわれました。
モンゴルでも、リラックスをして乗っているはずでしたが、馬が完璧に調教されているわけではありませんから、心地よい緊張があったのです。
週に一回の乗馬で、体力、気力がずいぶん上がったのを感じていました。

家に帰ってから、テレルジ乗馬のビデオを見返してみたら、楽しそうな私たちが写っていました。
緊張もしたけど、結構楽しんでいるじゃない。
たぶん、今だったらサラブレッドはお行儀良すぎて、私を満足させてくれないだろうなぁ。

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日本復帰リハビリ中

2007年04月21日 | 日本から
毎日、母親しています。
隣に大きなスーパーがあるおかげで、日々の食事を作ることには何の支障もなく、毎日、娘の幸せそうな顔と「おいしい」という言葉を耳にする幸せを感じています。

日本復帰の足がかりとしては幸せなスタートを切っています。

荷物の片付けに関しては、ただいま膠着状態。
一段落して、次は細かく使いやすくするために、熟考中ということにしておきましょう。

まだ、プチ引きこもり状態で、積極性にかける生活をしています。
いつもの私でしたら、帰るなり電話をかけて、、、という段取りなのですが、来週の水曜日の予定は、相手様の強いプッシュで、約束が出来上がりました。

みんなに会って話をしたいのは山々なれど、なぜか、気持ちが前向きでないという通常の私ではない様子です。

さて、友達と会って、うれしい、楽しい再会になるんだろうか、心配です。

しかし、ありがたきかな、相手様から呼びかけていただいて、再開が実現するなんて。
持つべきものは友達。感謝。
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