風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

痛み

2005年07月31日 | チンゲル亭裏日記

心の痛みをこらえながら、一人で居ることは耐えられないだろう。
体の痛みも幸運なことに今までそれほどであったことが無い。

一回りも年下の女性とおなじペースで馬に乗ったため、今まで経験したことの無い場所と強さの筋肉痛をこらえています。(2017年5月8日加筆 馬に乗っただけでなく、落馬しました。それで、強烈な筋肉痛にさいなまれています。幸い、骨折などはありません。2005年のこの時落馬を書かなかったのは、夫が浮ェって、トレッキング禁止を言い渡されることを恐れて、書きませんでした。(笑)この落馬と帰国間近にやはり夫がいない時のトレッキングで落馬をしました。
これが、帰国後膝の痛みを強くして、井本整体へと導かれるのです。)


ウエストから下の筋肉は、立ったり座ったり。中腰で作業をするときに毎回毎回強い力がかかっていたのだと今分かりました。
ちょうど尾てい骨の辺りから左右に分かれる、座るとちょうど座布団に接する辺りにも黙って支えてくれていた筋肉があったのです。

そこに強烈な痛みは、夫に知らせた2つの悲しい知らせを忘れるくらいです。
念のために持ってきていたシップがこんなに役に立つとは思わなかったのです。
母が、よく腰の痛みを訴えて処方されたシップを貼ってあげたとき、冷たさに「アー、冷や」とまず声を上げ、しばらくすると「はぁぁぁ~、気持ちええわぁ」と毎回のように目を細めるのは、大げさだと思っていたのですが、実感したのでした。

こんなにいい気持ちだったんだ。皮膚に問題の無かった母には、もっとたびたび貼ってあげても良かったのに。
じわりとしみこんでくる清涼感が、しばしの間、痛みを忘れさせてくれて、痛みを感じることによってこわばっていたほかの場所の筋肉もゆっくりとほぐれていきます。

そうすると、悲しい知らせを思い出して、今度は心が痛んで来るのです。
思い出せば、母はそんなときに、表情が穏やかになってちょっと涙腺がゆるくなるのでした。
「おかあさーん」と言って、さめざめと泣いたりしました。

母の痛みは、今私が感じているよりもっと強烈だったのだろう。
険しい顔になると別人の顔になりました。
その浮「顔は、心の問題ではなくて物理的な痛みから来るものだったのかしら。
だったら、何か解決法は無かったのだろうか。
今となっては、もう遅い。
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オリアスタイ

2005年07月29日 | チンゲル亭裏日記

夫の予定表によると、昨日はオリアスタイに到着しているはず。
毎朝、携帯を入れてみるが、電波が届きません。
念のため、一緒に行っているバイスラーさんの携帯にもダイアルしてみるが、おなじ。
今日、オリアスタイで断層の視察を行なったら、オムゾンに向かう予定。
後、1週間。待っているしかない。

用意周到なはずの夫が、衛星電話を借り出さなかったのは、不思議としか言いようが無い。
現地スタッフとして、仕事を全うして帰る覚悟だったのかなとも思う。

今となっては、それほど急がないニュースになってしまったけれど、二つの知らせたいことがある。
それでも、電話がつながったらいち早く知りたかったのではないかと思うのです。

携帯を持たない遊牧民の生活をふと思う。

               ☆
上を書いてしばらくしてから、携帯に電話がかかりました。

元気にセミナーを続けているようですが、ちょっと大変なたびのようでした。参加メンバーは、早く帰りたいと思っている人も居るようです。

2つの知らせは、夫を絶句させました。私に伝えねばならないことを早口に言うとさっさと電話を切ってしまいました。
電話を切らないと、気持ちが落ち着けられなかったのだと思います。
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鼓太郎

2005年07月29日 | 日本から
            ☆帰りを待つ鼓太郎☆


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無事

2005年07月26日 | チンゲル亭裏日記

土曜日 陶
日曜日 読書三昧
月曜日 ウランちゃんが来て、プリンの作り方を習い、私はゴリアシュをつくってもらって、一緒に夕食を食べました。
火曜日 日本センターに本を返しに行き、お昼は開店したばかりの日本人経営のカフェに食べに行き、モンゴル語 夕食は友人とロシア料理

無事に過ごしています。
明日は、UBから1時間半ほどのエレステに行きます。
いつもの運転手さんの手配も済んで、安心してのんびりして来ます。

日本センターに行ったときに、古い知人の悲しい消息を聞き、落ち込む気持ちを必死に持ち上げました。
告げてくれた人が淡々としていたので、助かりました。

今夜は、お友達に泊まりに来てもらおうかと思ったのですが、お誘いしないで一人で帰ってきました。
こんな日は、一人のほうが良いのです。
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地震

2005年07月23日 | チンゲル亭
今日、東京で地震が有った。

かなり揺れたそうですが、長女、次女はそれぞれの場所で、驚いたそうですが、何事も無かったようです。
どれだけ、驚いたのかは、淡々と事実だけを報告してくれた長女のメールでは分かりません。

メトロが止まっていて、帰宅するにも困難だったそうです。
家では、鼓太郎が甘えて擦り寄ってきたそうです。
地震の前にパニックになって、家中を駆け巡ったのではないかと思いますが、言葉を持たない鼓太郎に聞くすべがありません。

次女は、新居で地震に遭ったそうです。かなり揺れが激しかったようです。
心細かったでしょうね。

新婚の頃、4階建ての団地で始めて地震にあったときは、地震になれていたとはいえ、それまでは、2階屋でしたから、4階での揺れは強烈に感じました。

そして、娘たちが、地震にあっているときに、夫は100年前の地震の断層を視察するたびに出かけています。
今日から27日までアスガムで国際会議、28日からは、オリアスタイ、オムゾン、ブーツガン、ブーツガン西、ブンブグール、バヤンホンゴル、ナリンヌテール、ブルドの8箇所を毎日車で移動しながらテントで寝る生活をしながら、視察をして回るのです。
最後まで、元気で居られるのでしょうか。

その、セミナーのために残念なことに旅行を一つキャンセルせねばなりませんでした。
夫は、仕事となると家族を忘れるほど没頭する人ですから、私のことを忘れていることでしょう。
忘れられるということは、旅に出る決心をするときに、私が一人で大丈夫という彼なりの及第点を私にだしていたわけです。

信頼できる人に、お願いしますとの電話を入れてはありますが、それはあくまで念のためであり、私がパニックを起こしたり、何か事故にあうようなことをしないと思っているはずです。

ただ、娘たちが浮「思いをしたということが、何かのことで伝わったとしたらどう思うのでしょうか。

しかし、東京で娘たちが地震に遭っているときに、父親は100年前の地震の現地ワークショップをしているなんてね。
なんというめぐり合わせなのだか。。。

ニュースで地震の報を知りつつ、歓迎会で中華料理をつついていた私ったら。
太平楽だこと。浮「思いをした娘には、ごめんなさいです。


   夫の持って行ったテント2~3人用。


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ウランバートル市の北の山へ

2005年07月22日 | 徒然に日々のことを

   7月17日(日)
   風と日を浴びて体の洗濯
   人の気配がしません。
   蝶は、逃げようともしません。

   ここは、UBの中心から、30分位北です。


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一人暮らし

2005年07月22日 | チンゲル亭裏日記

モンゴルに来て、初めての一人暮らしが今夜から始まります。

今頃、夫はムルンに到着し、車に乗り換えてアスガムというセミナー会場へと向かっている頃です。
5日間はゲルキャンプで国際会議。その後は、テント生活をしながら各地の古い断層を視察するちょっと過酷な旅です。

オリアスタイ、オムゾン、ブーツガン、ブンブグール、バヤンホンゴル、ナリンヌテール、ブルドと聞いたことの無い地名が並んでいます。
8日間のキャンプはどのような日々になるやら。。。

買ってきた2~3人用のテントを寝室に建ててみました。
夫の大きめの机もキングサイズのベッドもそして二つのたんすもあるのに、その大きなテントが難なく組み立てられるひろーい部屋でした。

テントを試しに広げ、たたむ練習が、こんなに広い部屋だったのだぁーーーということを改めて認識する儀式になりました。
この4部屋分のアパートに今夜から一人です。
ナンダカ心細さを強めてしまって、参ったなぁと思ったのです。

しかし、昨日までは、心細くて八つ当たりをしていたのですが、いざ、夫が荷物を担いで集合場所まで行き、4人の日本人に挨拶したり、その他の5カ国の国の人たちの様子を伺っていると、妙に気持ちが落ち着いてきました。

夫は、日本に居るときは仕事には一切立ち入らせなかったのです。
今回このように、集合場所に送りに行くことを許したのは初めてです。
主催者の地質学部長とホステス役の奥様が、いらっしゃった頃には、すっかり留守番気分になって来ました。
彼女と握手をしたときは、不安を払拭して、闘争的な気分にさえなったのでした。

私ったら、まだ、大丈夫なんだなぁ。
このまま、不安に押しつぶされて、回りに迷惑をかけることになるのかなと思ったりしたのです。
夫の反対を押し切って、帰国しようかと思ったりしたのですが、幸か不幸か航空券のとり方が分からないので、自分勝手は出来なかったのです。

一日も早く帰りたい気持ちを、知らない振りをしている夫は、鬼のように見えたりしたのです。
しかし、今までも、そうだけれど今回も、忘れていた強い気持ちがむくむくとわきあがってきたのです。
逆風に強い私でした。
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持ちつもたれつ

2005年07月20日 | チンゲル亭裏日記

今朝、いきなりドアチャイムが鳴った。
夫が居たので、出ると、管理人の男の人。
水が漏れるので、見に来たという。

予想的中。去年、この水漏れで何度もいやな思いをしたのだけれど、犯人は3階の住人ではなく、雨だったのです。
去年住んでいたのは3階建ての2階でしたから、雨漏りなど予想もせず、何度も繰り返す上の住人に腹を立てたものでした。

このところ、雨が多いので、したの家から苦情が来るのではないかと思っていたら、案の定でした。予想よりも遅かったので、何度か我慢していたのか、それとも、運良く、今日が初めてなのか。

しかし、去年あれほどちゃんと直してねと言ったのに、直してなかったのね。
きっと、直したのは天井のペンキの塗り替えをしただけで終わらせたのでしょう。

ナーダムのときの、土砂降りのときにまた、雨の道筋が出来たのかもしれません。
とはいえ、雨の少ないここでは、雨の道筋を確かめるにも、肝心のときに降らないものだから、お手上げなのでしょう。

日本語の出来る担当の人に、とりあえず、我が家からの水漏れではなくて、雨漏りだと言うことをきちんと伝えてねと、携帯メールを送っておきました。
はぁー、日本語の出来る人が担当者でよかった。
夫が居ないときは、突然来たモンゴル人の男にドアをあけることも出来ず、問題処理にいたらなかったのです。

日本では、長女が世帯主でがんばっている。
私も、日本では夫が長期出張の時は、世帯主の代わりとして、すべての問題を自力解決できたし、不安感も無かったのです。
ここ、モンゴルでは、言葉の問題で、幼児のように何も出来ないのです。

その上、夫の留守の間よろしくと、夫の同僚にお願いの電話をしてもらわねばならないのです。
仕方ないけど、情けない。

その第一番目は、数日後にある送別会。夫が居ないので、暗くなる帰宅時のエスコートを誰かに頼まねばなりません。

日本で、いろんなものに支えられて、一見エスコートなしに行動していたと思っていましたが、そうではなかったことにも気づきました。

いろんな人や物に支えられているんだなぁ。
日本では、しあわせなことに身近な人にお願いすることが無かったので、今回、夫がお願いの電話をしているのを聞きながら、ちょっと悔しかったのです。

持ちつ持たれつで、これからすごそうね。
今までが、幸運だったんだから。と思う。
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出張

2005年07月20日 | チンゲル亭裏日記

夫の出張が決まりました。
2週間の予定で、ムルンから車で、テントを張りながらの現地調査です。
4~5カ国の地質学者さんがチームを組んでのキャラバンです。
昨日は、日本からもお客さんが見えて、空港まで迎えにいっていました。
今日も、夕方アメリカ人や韓国の人が来るようです。

結局、2週間ものテント生活は私には無理と思いました。
去年、私たちよりも年配の方がモンゴルの西の方面に犬を連れて3週間の旅を経験されましたが、あくまで観光旅行でした。

私の体力がもっとあれば、学術調査であっても夫に心配をかけずに参加できたかもしれませんが、仕事についていくつもりはありません。

二人が一人になることにのみ集中していましたが、女性が一人で仕事に来ていらっしゃることを思えば、2週間は何とかなるだろうと結論しました。

一日も早く帰りたい気持ちもありましたが、本当に必要な時に、気楽に帰ることが出来るように、いろんな意味での余力を取っておこうと言うことになりました。

さて、大きな風除けが亡くなるわけではなくちょっと遠くなるだけのことです。鬼の居ぬ間となるか、浮ュて寂しくて金輪際になるか。
一時は、なんなんだよぅと言う後ろ向きの気分でしたが、ここに書けるということは、「鬼の居ぬ間」になりそうです。(笑)
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落雷

2005年07月20日 | モンゴルについて
落雷について、また、話題になりました。
モンゴル語の先生のチメグバータル先生から聞きました。

毎年、携帯電話中に落雷にあって亡くなる人が居るそうです。
ですから、雨が降ったら携帯の電源を切ったほうが良いと、また、言われました。
お国柄と笑っていた私も、若い女性と少し年上の男性の教養もある人たちから言われると、笑ってはいられないことなのだと、気を引き締めて聞いたことでした。

そして、モンゴルの気候の烈しさについて昨日の新聞に出て居たことを聞きました。
とても狭い地域ですが、田舎に雹が降り1メートル近くあっという間に積もってしまったそうです。
そして、羊の世話をしていた兄弟が4人生き埋めになり、亡くなったそうです。
そのうち3人は見つけ出せたのだそうですが、今一人、懸命に掘り返していますが、見つからないで居るそうです。

さらにもう一つ、これも最近ですが、雨も降らないのに落雷があり、700頭の家畜が死んだそうです。

ウランバートルで都市の生活をしていると、このような気候の激変を想像しようも無いのですが、まさしく、今のモンゴルに起きたことです。

働き手の娘や息子たちをあっという間に4人も無くした親御さんの気持ちとこれからの生活は。
700頭もの家畜を失った牧民さんは、これからの生活をどのようにするのでしょう。
モンゴルには、このような人に対する何かの政策があるのでしょうか。

今、モンゴルでは、このようなニュースがすぐに伝えられる状態になってきました。
社会主義の時代は、厳しく統制され悪いニュースは伝えられなかったため、「あの頃はこんなことは無かった」と嘆く人が居ると聞きました。


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