風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

船橋吟詩(ふなっ詩)

2015年05月30日 | 詩吟
駅から15分、登りと下りの階段のある、練習前から訓練の始まる稀有な練習会場。

今日は、暑かった。

程よく冷房のきいているこじんまりとした、晴れた朝には、富士山の見えるという高台に位置する会場は、どんなに大きな声を出しても大丈夫なのです。

新人さんがいないので、特に最近はコンクール出場者の特訓道場という様相を呈しています。

今日は、吟の指導ではないので、身軽に縮刷本のみで、出かけられる。
キャスター付き鞄なしで出かける私を見て、「えっ、今日は詩吟じゃなかったの?」と言われました。
この階段の上下をキャスター付きの鞄は厳しいから、よけい身軽でよいのがうれしい。

息を切らして、階段を上がって、深呼吸をしていたら、ご近所の方が、見ず知らずの私に「ご苦労様」と声をかけてくれました。
駅から住宅地を抜けて、上へと上がっていくのは、のどかでよい。車にもほとんど出会わないし。

さて、いい感じになって、練習開始。
それぞれのテーマの吟題を合吟して、問題点チェック。
皆さんその気で來ているので、言葉を選ばなくて、気になることをどんどん出していけるのが、良い。
たとえ、言葉を間違っても、言い直しのチャンスがあって、より、言いたいことが伝わるのが良い。

終わったときの爽快感はたとえようがない。




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夢青葉5月練習

2015年05月29日 | 詩吟
今月の練習日は都合で、第三金曜日ではなく、今日に変更でした。

まず練習をしてからと固く心に決めて臨んだのだが、開始時間までのおしゃべりの延長で、打ち合わせのほうが先に始まってしまった。

幹事さんに、今まで受け取った申し込み書と会費をすべてお渡しして、あとのことをお願いしました。

このような事務作業とか、先の手配とか、さっさときまってしまいます。

   =お約束したこと=

あくまでも日頃の練習を場所を変えて行っているのであるということを肝に銘じて。
吟詠発表は、よき機会を得て、生の尺八伴奏、マイクあり、30センチとはいえ舞台に立つこととなっています。
改まった発表会と思わず、その練習であって、いつもの練習後の独吟であると思って、改まる必要はない。
もちろん服装はいつものお稽古の時の普段着のものでよい。

大きな会場に20人余り。もしかしたら、とっても侘しい気分になるかもしれない。
臆することなく、自分から楽しむつもりで、お稽古しましょう。
そしたら、大きさは却って味方になるでしょう。

大きい会場になったからと言って、無理やりの人集めはしない。

器にあわせないで、思いに合わせる

思いつくままに、必要な物ことを挙げて、額を合わせて相談しました。
総て、幹事さんの対応で、賄えることがわかりました。

神戸から帰ってくるメンバーには、懇親会の司会を任せようと、大冒険をします。
今回は、幹事さんと里帰りメンバーが前に出ることになります。

若いメンバーは、トップバッターとして詩吟に頑張ってもらいます。生の尺八の伴奏での吟詠はめったにないので、やり直しも含めて、二番目からの出吟の方たちの参考になるように、何度でもやり直しをしてもらって、良きサンプルの役に徹してもらいます。
そして、ご自身の練習にしてもらおうと思います。

それを見て、生の尺八伴奏が初めての人たちに、少しでも安心してマイクの前に立ってもらいたいと思います。
その役には、彼女はぴったりです。いつも、彼女には無茶ぶりをしていますが、期待に応えてくれると思います。

最後のメンバーは、いつも、練習会場を無償で提供してくれている人です。
会場の心配がないというのは、どれだけの安心感を下さっているか、彼女は、そんな思いを知ろうともせず、いつもの口癖は、「私はなにもしていないから・・・」

あなたのおかげで、精神的にも経済的にも、助けられていること、おかげで会費のストックから、会場費が無理なく支払えること、不測の事態や赤字にも耐えうること。
経済的なことばかりでなく、日頃のあなたのやさしさや気配りで、心地よく過ごせていること、対外的にも、良きクッション役をはたしてくださっていること、数え上げればきりがありません。
こんなことを、わかっていただこうと口を開くと、あなたは頭から「なにもしていない」と、否定なさって聞く耳を持ってくださらないので、今日の良き機会に、ここにわざとらしく書くしかありません。ありがとう!
それぞれがそれぞれの良い味を出して、夢青葉を作り上げています。
感謝です。胸を張っていてください。

 

そんなわけで、それぞれが、それぞれの立場で、活躍する今回の合同練習会です。

合同といいながら、夢松風の名前が出てこないのは、東京の西と東の端に位置する練習会場のメンバーが、打ち合わせなどに使う時間と労力がもったいないことと、夢松風はまだ3年になったばかりで、吟詠に頑張ってほしいからです。

夢青葉は、5年が経過しそれぞれが、少し気持ちにゆとりが出てきたこともあり、定例の練習のほかに知恵と時間を頼むことができるようになりました。
先輩らしく、夢青葉主導の会が運営できるほどに、頼もしくなりました。
全員で、胸を張りましょう。

その他、出席できないけど、がんばっての言葉も頂きました。
ありがとうございます。













   ないしょの裏話

尺八の河下先生は、1日に100人までは伴奏可能だそうです。
懇親会は、出席無理でも、尺八の伴奏で吟詠をしたいと思われる方も、申し込んでください。
プログラムにやりくりできる範囲で、お受けします。

懇親会へのお申込みは、原則1週間前までに頂くとありがたいです。
状況によっては、懇親会でも尺八伴奏可能です。せっかくのチャンスです。




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このところ

2015年05月28日 | こたろう語録
かあさんは、このところ やっと先の見えてきた合同練習会のことで、上の空。

24日 東京芦孝会中央会 合同練習会のことをご報告させていただき、
   さっそく申し込みあり。

25日 新越谷 論語素読の会 三字経二回目  
   ランチの後、カラオケで長恨歌の練習

27日 さくらホールのャ潟hールコンクールの打ち合わせ。
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今夜の気分は

2015年05月24日 | 徒然に日々のことを
こだわりを捨てたら、今の気分に到達。   しあわせ♡

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こだわりを捨てたら その3

2015年05月23日 | 詩吟
この6月19日(金)というのは、夢青葉の定例の練習日です。
夢組だけの内輪の会というつもりでしたから、急転直下の成り行きに、驚くより先にもう、面白がるしかないと、腹をくくっています。

5月29日(金)は、5月の定例会です。この日に、最終打ち合わせがあります。
何の思し召しかわかりませんが、いつもだったら、15日に終わっているはずの練習日です。
それが、事情で、日延べになったので、わざわざ日を変えて集まらなくてもよくなったのも、この一連の良きめぐりあわせの一つなんだろうか。

遠く離れているので、わざわざ集まるのは、大変だから、事前に幹事さんの手助けにと動いたことが発端となり、決定が遅れているうちに、流れが変わり、いまの形に収まってきました。

大きな会をするには、事前の打ち合わせが大事で、何度も話し合って意見調整が不可欠です。
まして、見込発進の早合点は、忌むべきことです。
今月から、その大きな会「東京芦孝会20周年」の実行委員会が4年後に向けて、発足しました。

私のようなどんぶり勘定の出たとこ勝負でやってどうにかなるものではありません。
幹事さん実行委員会さん(私もそのメンバーです)たちと、これから、結束を深めて、よりよい会に作り上げるべく努力を惜しまないでまいりましょう。

夢組の合同練習会が、悪しき先鞭をつけないようにしなくては。
そして、それぞれのかかえるテーマが形になるように、成果をあげましょう。


こんな展開になって、初めてわかる、それぞれの思いが暖かくて、私って忘れられてないなぁ、大事にされてるなぁ、「助けてくれ」というのを、黙って待っていてくれたんだなぁと、思い至ります。

それで、「♡ しあわせ ♡」となるわけです。

「負ける気がしない」という言葉をはじめて聞いた時、なんて傲慢な言いぐさなんだろうと思ったことがありましたが、今の私は、「うまくいかないはずがない」と自然体で、思えるのです。

                  感謝


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こだわりを捨てたらその2

2015年05月22日 | 詩吟
物事は、時間のあるなしに動くときは動くんだなぁ!

その日は、学びピア21で、須藤明実先生の菜根譚の授業の日、そして二限目ははじめの一歩。
余計なことを考えている暇はないはずなのだけれど、ランチで相談が始まり、授業の始まる10分前までの間に、物事が動きました。


その場には、合同練習会の幹事、尺八の先生、そして、詩吟の仲間、須藤先生も絡まって、相談したり決断したりするのに、過不足のない顔ぶれがそろっていましたから。

6月19日まで、一か月を切っていましたから、今、手当のできる部屋ということでまず手始めに学びピアを当たりました。

講堂がありました。私一人では、20人が130人の定員のホールを借りるなどは、とても決断できなかったでしょう。

大は小を兼ねるとまず口を切ったのは、須藤先生だったような気がします。
それから、それぞれが、前進あるのみで進み始め、あっという間に予約をし、授業が終わった後に、現場を見て、お借りする備品の決定から、時間などもろもろのことが、決まりました。


こじんまりとした、マイクを通さない声での吟詠をしたいとの望みからははずれて、大きな会場で、檀上で、マイクを使ってという形になりました。

尺八の河下先生のこだわりのない対応で、「間違ったらやり直せばよいのです」という言葉に、
堅苦しい会にならないで済むという予想がついて、うれしくなりました。

日頃の、練習の後の独吟発表のような形で、マイクを使い生の尺八で、吟詠をする。
マイクを使いたいとの先生のご希望が叶えられ、ものごとは、良い方へ良い方へと進んでいます。

中央会で、突然1か月を切った日程で、告知がなされて、出席の各教室の指導者の先生が他は、さぞ驚かれたことでしょう。

それでも、すぐに教室のみなさんにお知らせしてくださり、すぐに、かつて縁の深かった会員さんから、行きますとの電話を頂いたときは、うれしくて舞い上がりました。
以前は、足しげく通った教室ですが、最近では、ご無沙汰していたのに、忘れないでいてくださって、本当にありがとうございます。

せっかくのチャンスですから、体さえ空いていれば、是非ご参加くださいませ。


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こだわりを捨てたら

2015年05月21日 | 徒然に日々のことを
この日明け方に、雷がなり、何かの変わり目があるような・・・

確かに大きな変化が起こり、こだわりと思いこみともろもろを捨て去ることになりました。

まずその一つ、ライブ。
そこから、いろんなことが、ほどけ始めて、こじんまりつつましくとの思いが、とんでもなく大きいものになって、戸惑って、それ以上に大きな喜びをもらいました。

その結果が、チラシに集約されました。



つつましく、暖かで、小さな会でと願って計画が始まった夢青葉と夢松風との合同練習会が、ライブ形式でこじんまりしたお気に入りの場所で、開催されることしか頭になかった。
こだわりを持つと、その通りにしかことを運ぼうとしない頑固さに繋がっていたと思う。

それを、明け方の雷が打ち砕いたのかなぁ。

レストランとの最終打ち合わせの日、無理なのに進めようとしていたのにやっとやっとやっとのことで気が付いた。

その日が、菜根譚の授業の日。



 

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菜根譚・はじめの一歩

2015年05月21日 | 論語と
肝病を受くれば 
則ち 目視ること能わず。
腎病を受くれば
則ち 耳聴くこと能わず。

病は人の見ざる所に受けて、
必ず人のともに見る所に発す。
故に 君子 罪を昭昭に
得る無からんことを欲せば、
先ず、 罪を冥冥に得ること無かれ。


整体の山田先生に、最近の耳の聞こえに問題が・・・と打ち明けた時、私には、西洋医学的な問題はなくても整体的に弱点を抱えていると説明されたのがつい最近のこと。

それで、数ある体操の中から私に今必要な体操を教えてもらっています。
病気を治すのではなく、病気にならないための体操をして、元気でいられる方法を模索ちゅうです。

古の人々は、体の目に見えない部分からの影響も十分わかって対処していたのだ。

そして、菜根譚では、見えないところにおいて深く慎むべきであると書いてある。

「昭昭としたところで恥をさらしたくなければ、冥冥とした人の目の届かぬところで過ちを犯さぬことが、君子の心得だ。」と、須藤先生は説かれた。


後日整体の先生とお話をしたとき、すべては繋がっているのです。と、おっしゃった。



二限目は詩吟の会。
前回に続いて、春暁  孟浩然作

ゆったりと、時が過ぎて、少しずつ声が出るようになっています。
芦孝会からの先輩たちは、須藤先生の講義の奥深さに動かされて生徒となり、先生と私の思いに賛同してくださって、ご自身の詩吟の練達には、目に見えたものはなくても、はじめの一歩に参加してくださっています。
その先輩が他のサメ[トが、はじめの一歩で初めて詩吟を習い始めた後輩さんたちにどれだけ力になっているか、本当にありがたく思います。

そして、ご自身たちは、どんなところにも学びがあると言って、嬉々として参加下さっています。
二年目に入っても、変わらず、続いています。

次回の吟題は「絶句」杜甫作
その解説もしていただいて、至れり尽くせりの、詩吟の会です。


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夢松風5月2回目

2015年05月20日 | 詩吟
前回「江南春望」を終了したので、それぞれに独吟をして頂きますとの約束でした。
丁寧に練習をすると、はっきり効果としてあらわれる。

先輩のお二人は、最近とても良い吟をなさるようになりました。
それぞれがそれぞれらしく吟詠をする様子は、誇らしい。

ゲストさんもそれぞれに個性豊かに吟じて下さいました。

転句の、「南朝四百八十」しひゃくはちじゅうの発音が江戸っ子で、均が逆転しているのが、面白くこれは、そのままにそっとしておこうと思いました。

それよりも吟法のほうが大事です。丁寧に説明したためか、みなさん、ちゃんとできていました。

完了です。

次は、基礎の20題のリストから、「偶成」です。
朱熹作と長年言われてきましたが、京都の僧であるという説も浮上していることをお伝えして、始まりました。

此の処特に、漢字を読みましょうと言っています。

どうしても送り仮名のほうをよんでしまいがちです。
「しょうねん おいやすく」と「少年 老いやすく」とは、自ずと目から脳へそれから感情へとの流れが異なってきます。
漢字と言うのは、絵画てきに、思いを伝えてきます。


訂正  均⇒「ひ」と「し」    まるで判じ物でしたね。


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お箏ナイト

2015年05月16日 | 好きなこと
      秋葉原UDXビル内のピザ屋さんのテラスでお箏ナイト

和音のメンバーの内二人の(菊池伸城・鈴木真一郎)のライブ演奏

昨日、心もお腹も満足状態で見たチラシの琴のライブが気になって仕方がない。
朝から、空模様に気をとられながら、気持ちは、秋葉原へと向かっている。


やはり、昨日の今日だけれど、土曜日だけれど、家族に了承を得て出かけることにした。


極度の方向音痴で、駅からあの近さでも危ないから、昨日の道筋を注意深く思いだしながら、”キオッチョラ・ピッツェリアへと向かう。



さて、目的のテラスでは、ピザ屋さんの入口のイタリアンカラーの赤いテントが見えてきた。
そのテントの下にテーブルとスツールが並べてありました。

飲み物とサラダを注文して、箏を間近に見える右の端っこに座りました。
ワインの一杯でも飲めたらなぁ。ほろ酔いで聞くライブの音はどのように響くのか体験したかったのになぁと思う。

ャXターでは紋付袴姿でしたが、ライブでは、帯の柄ゆきのチョッキが衣装でした。
写真も確認したら撮り放題なのだが、逆光になるので、この程度の写真がやっと。
お店と赤いテントの見えるテラスの様子は、残念ながら、暗くて撮れなかった。

十三弦と十七弦の二台の琴、 高いメロディーを弾く琴と、低く伴奏をつける琴との演奏です。

演奏は、若者向けの選曲で、いきものがかりやグリーンの曲、そして今真っ盛りの「Let it Go」
彼らの作った曲は、2曲演奏されて、「雷来(らいらい)」「獅子の真の心(ししのしんのしん)」
雷来を弾くと必ず雨が降るとの逸話のある曲。これを今弾くとまずいんじゃないの?といいながら、お箏の説明から、宮城道夫さんのすごさなど、さりげなく入れて軽快にMCが続く。

「雷来」人間の力を超えた視座縁の圧涛Iな力強さをあらわし、

「獅子の真の心(ししのしんのしん)」とは、たとえその身滅びようとも愛するものを全力で守り抜く熱き志であると。

ャbプな曲は、琴のやわらかな音質によくあっています。
この「獅子の真の心」は男性二人の演奏の力強い面が強調されていて、ここちよい「転」でした。


高いチケットを買ってかしこまって聞かせていただく演奏会も悪くはないが、元気なおしゃべりが多少聞こえても、近くで汗が飛んできそうで、息を同気するような生演奏が良い。



よく知ったャbプスでは乗りが良くても、彼らの作曲した二つの曲では、反応が違ってくる。

客層も違うことだろうから、今度は、ちゃんとチケットを買って聞く演奏会にも行ってみなければ。7月末にあるようだから、心がけておこう。



単純に男性二人が奏でる琴のライブ演奏に惹かれて、一人でやって来て、ゆっくり楽しみました。気づくと、帰り道には、詩吟のことを考えている。

どうつながるというのだろう。

吟詠とは切っても切れないお琴があって、その向こうに若者が居ても、詩吟と若者はすぐには通じあえないよね。

和と洋、老と若。その間をつなぐものは何だろうねぇ。

歴史や漢詩にまつわる知識からだろうか。
剣舞や詩舞という目に訴えるものからだろうか。

「詩吟ってなぁに」を、具体的に考えて、若い人たちに理解して、仲間になってもらえるようにしていかねば、一人でも好きになってくれる人を見つけねば。
まずは、孫から?今度遊びに来るのは、何時かなぁ。

絶滅危惧種なんて言葉が、頭をよぎる。





              ☆  ☆  ☆


海外の映画によく出てくる、酒場やちょっとしたレストランでの生演奏に若いころから魅力を感じていました。田舎育ちのこととて、喫茶店さえないところに育ちました。
初めてライブに行ったのは、結婚して首都圏に住むようになり、子供も留守番ができるようになって、銀行のパート勤めをしていた時のこと。

シャンソン好きな上司が居て、好きが高じてご自身がアレンジし、毎月のように赤坂の喫茶店で、シャンソンのライブが催されるようになりました。

昔ライブとい形式に興味があったということはすっかり忘れて、赤坂とシャンソンという洗練された雰囲気に酔っていました。

それから、ブルーノート、スイートベイジル、ペチコートレーンなど、機会があれば、ライブを楽しみに行きました。
まだ、そのころは、子供たちが小学生でしたから、思うようにはいけませんでしたが、そのちょっとだけ工夫をして、困難を押して参加することが、余計に感情を盛り上げていたようです。

今は、行きたければ、予定さえなければ、自由に行けるようになりました。


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