風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

経験値

2016年06月28日 | 徒然に日々のことを
経験値だけで、指導者でございといい続けてきて、思うこと。
ふと、何もわからなかった会員さんが、自立し始めているのを見て、もう、手取り足取りは、いけないなぁと、思う。

整体の先生からも、教え過ぎない、足りないくらいが、本人の考える力、工夫する力を育てるものですよと、ご自分の体験談として、さりげない言葉を頂きました。

その時は、私って、やりすぎてるかもしれないと、考える余地のないやり方をしているかも知れないと思ったのです。

少し、時が経ってみると、まだまだ、学んでほしいと思うことがたくさんある気がして、一歩手前って、いつ?どこ?と、考える。


身につけた技術の量で、測るのか、その人の思いが膨らんで機が熟した時で図るのか。

「いろは」を身につけた時って、いつ?



もうすでにその時は来ているのかな、まだかな。



試行錯誤。。。


コメント

新越谷 12人の思想家

2016年06月27日 | 論語と
「孫子」と「呉子」   漢文学窓 『里仁』教科書  p179 
  須 藤 明 実 著
 
「孫子の兵法」戦いの指南書として、日々戦いのさ中にあるビジネスマンにも、どう戦うかとの指標を与えているとの印象を持っていました。

中国戦国時代後期では、「家ごとに孫・吾の書を蔵す」と言われ、今の世の中でも次々に「孫子の兵法」の書物が発行されているのには、大きな意味がある。
戦争の技術が書かれているだけではなく、人間の本質を見極め、人間を看通す洞察力から生まれた、今に活きる人間の書物だからだと、須藤先生はおっしゃる。

相手との関係に於いて、実り多きを得ようとするなら、相手をよく知り、静かに優位に立ちなさいと。


そして、呉子は、戦うのでなく、守って勝つのが一番と言い、上に立つものは、人のありようを見て、やる気にさせなさい。と言う。


相手をよく観察して、その喜ぶ様子を想像する、そして、その道筋を考え準備する。
戦うためのではなく、よりよい人間関係を維持するハウツーなのですねぇ。





コメント

まごたち

2016年06月26日 | 詩吟
昨日は、来年小学校に入学する年長女子の孫のランドセル内覧会に行ってきた。
地元で、結構有名な製造販売会社の案内をもらってのこと。
二年前は、お兄ちゃんのランドセルを選んだのと同じお店。
その時は、秋だったのに、人気が出たせいか、ずいぶんと早く始まったものだ。

写真で見るのと、現物をしょってみるのでは、大いに感じが違って、気に入ったのが、見つかった。そこには、ジィジと父親のの意見は反映されず、ママと孫娘の独壇場。
形式的に、ばぁばの意見を聞いてくれた。
決定したのを、父親には、ラインで送信。すぐさま「いいね」が返ってきた。


気に入ったのが見つかって、良かったねぇ。
今日は、見るだけだったので、三歳女子もいっしょになってしょってみたりして、すっかりその気になっている。
これが、お姉ちゃんのだけ、購入して持ち帰るのだったら、ひと悶着起こるところだった。

お兄ちゃんの時には、ずいぶん時間がかかったのだけれど、二度目となり、事前にパンフレットも見ていたので、あっという間に決まりました。

ご苦労様でした。


今日は、お泊りした孫たちを置いて、私は詩吟です。
ママが言うのに、「ばぁばは、お仕事に行くからね。」と、娘が今までの私を観察して、遊びではなく、ある程度拘束力ありの場所と、読んだみたいだ。

孫たちが来ても動かせない予定なのだから。

そういう世界を持っていることに、得意な気持ちと、後ろ髪を引かれる思いがある。

今日は、孫可愛さなのだけれど、此の処、詩吟へ出かけるのに、かすかにブレーキがかかっている気がする。
会場に入ってしまえば、いつものように、ほかのことは考えないのだけれど。


子育ての時の、何もかも世話が焼けた時から、ちょっと娘たちが成長して、手がかからなくなったときの、けだるさのような、暇というほどではなくても、ちょっとした隙間時間ができた時のような。

うれしいけど、寂しいような。
走り続けて、息切れまではしていないけど、危うい瀬戸際のような、スイッと飛び越えられそうな。

こんな時、娘たちを育てていた時の私は。どう乗り切って、別の何を見つけたんだったかな。



コメント

青葉6月2回目

2016年06月24日 | 詩吟
駅からの道すがら、紫陽花も、終わりに差し鰍ゥっています。

会場では、工事中の騒音のため、空いている隣の部屋へ緊急避難移動というアクシデントがありました。

そんな時、文句を言う人もなく、部屋が空いていてよかったねと、笑ってやり過ごせる人ばかりです。こんな心優しい人に支えられているんだなぁと、思いました。

前回のおさらいと復習、新しい吟題へと、順調に練習が進みました。

それぞれの、宿題も、解決しました。

今日の一番の宿題は、私にありました。
かつて習った吟詠が、抜け出てなくて、準備段階からの思いこみが、練習が始まっても、すぐには気が付かなかったことです。

油断が出てきたと、反省。

そして、今までの練習のデータの取り方はこれで意味があったのかを、自分自身に問うています。


巻頭言にある言葉を、自分なりに解釈しながら、頭でっかちだなぁと、反省しきり。


今が、私の頑張り時。そういう人のそばにいる会員さんたちも、別の意味の頑張り時。

肩の力を抜いて、こだわりを捨て去ると決めたエックスデーは、あともう少し。
今は、力を抜かない。今までの頑張りがぐずぐずになったらもったいないから、あと少しの間は、このまま変えないでおこう。

会員さんたちの旅立ちの時を迎えたら、どんなに、気楽なことだろうか。
おこがましくも、箸の上げ下げまで、言ってきたことが、どんな実を実らせるのかダメにしてしまうのか。
それがわかってしまうのが、恐ろしいけれど、身のほどを知る良い機会でもある。

会員さんたちが育って、同じ立ち位置に来た時、なかなか、よく育ったねといえるだろうか、もともと大人だった人たちに対して、そのような思いを抱くこと自体、おこがましいことなのだろうか。

それにしても、自分育ての難しいこと。


いみじくも、娘の書いている言葉
内緒で、引用  


『あの時、"憧れた人" いや "嫉妬した人"になれてる自分がここにいた。

     当時の自分にエール。

      そして今の自分に…なんだろ…もっと胸はって日々楽しもう!と喝!!』


今の私とちょっと違うけれど、娘も私も何らかの形で、成長している。

「親ですが何か」と言う上から目線がなくなって、同じ母親となって、年を重ねている。


私は逆に、「あの時の私から今の私へエールだ」


                        ≪6月25日加筆≫
コメント

秋葉原にて

2016年06月23日 | 徒然に日々のことを
年齢差はあるものの、似たような体験をして、同じ趣味をもっているということから、はじめからかなり、ラフな言葉で、お付き合いが始まり、(年下さんは、あくまでも私に対しては敬意をのこもった言葉遣いですが)今日は、さらに、ぶっちゃけ話まで、できてしまって、嬉しい限り。

一つのテーマで、一方的に伝えるだけでなく、返事が帰ってくる快感。

ずっと、ずーっと待ち望んでいたことが、今日、始まりました。

年長の私に敬意を払いながらも、思っていることが言葉となって、還ってきました。

言葉が相手の後ろに沈み込むのではなく、どこかに消えたのではないかと恐れるのでもなく、還ってくることは、待ち遠しすぎるくらい待っていたことです。


こんなに喜ぶと体も喜ぶもので、歩いているときも、鈍い痛みを感じているひざの痛みがどこかへ消えて行くのです。

今日は、特別にうれしかったからねぇ。


コメント

梦月2回目

2016年06月22日 | 詩吟
6月もおわりにさしかかると、それぞれの体調や、体感によって、エアコンの温度管理が必要となりました。

大きな部屋で大人数であれば、誰かがどこかで我慢の図になりますが、少人数のこじんまりした集まりでは、それぞれの様子が手に取るようにわかって、「どうしたもんじゃろのぉ」と言うことが、起こります。


皆さん大人なので、そのあたり、譲り合って、仲良く参りましょう。


「夏草や」と「春望」のおさらい。

律詩の五言詩は、音程の取り方が少し難しかったのです。七言の詩の時に難なく取れた音程が、取れない、あるいは取りにくい場面があり、これは、宿題としました。
五言絶句を取り上げた時に、少し丁寧に、やり直そうと思います。


夏草やは、十一線譜に導かれて、大体の音は取れましたが、二半 三半の音程が、引っかかりました。

私自身も、もう少し自信をもって、携わらねばという反省があります。
コンダクターで、音を拾いながら、どうしても、漢詩の時の力強さにかけるところがあります。

これでは、コーチにもなれません。有力選手が出てくれることを期待する。
それ以上に、私自身のスキルアップですね。


今日は、4月以来、見学に徹していた女性《少しお姉さん》が、入会してくださいました。
次の中央会で、申し込み書の提出をいたします。


そして、新しい吟題は、「塾生に示す」ともに助け合いながら、学びましょうという内容は、大好きで、学生の頃は、部詩代わりに吟じていたものです。

今日一回目の練習で、それもかなり短い時間で、独吟の名乗りを上げてくれた方がいて、頼もしい限り。
これで、「一回目で独吟なんて」と言うのが、無くなってくることでしょう。
少しずつ積み重なってきています。

早くさらって、詩を増やすという方向にはまだ、なりませんが、良い兆候と喜びました。

そして、今日は、雅号の申請書も受け取りました。
野田 芦孝先生、命名よろしくお願いいたします。



コメント

菜根譚とはじめの一歩

2016年06月17日 | 詩吟
新越谷会場の菜根譚

天籟 人籟に次いで、今日は、「籟」の付く言葉が出てきて、あ、そうか、何に出もついて、いろんな響きが生まれて、その、調和を享受すれば、すべからく平和。


菜根譚の六本の柱の一つ 「耳に痛い言葉を聞き、それらは、徳を高めるための砥石となる」

その二つ目は 、「友との交わりは、打算なく、あなたのためならと全力を尽くす」


今日は、たくさんのことを習ったのだけれど、この二つがぐるぐるとめぐって、止まらなかった。




はじめの一歩は、8人(須藤先生つながりの新人さん)+4人(芦孝会メンバー)
新人の男性は、一番前のめり。

ぼくは、おんちですからと言いながら、ちゃんと外れずに声を出している様子です。

二年目に入る女性のうちの一人は、臆せず独吟をしてくださる。
               
コメント

腰のいたみ

2016年06月17日 | 体を整える
前回、調整していただいてすぐになくなった腰の痛みが、昨夜からまた起こりました。
原因は、観劇のため、長時間同じ姿勢で、座っていて、つい腰がまるくなっていたことではないかと。

観劇とは、小三治の一門落語会。
昨日の小三治は絶好調で、爆笑に次ぐ爆笑。
なんてことはない、普通の話をしていても、なぜか、笑ってしまう、クスクスではなく、大爆笑をしてしまう小三治の技は、何だろう。


そして、弟子を臆面もなくほめちぎる小三治さんでもありました。すごいねぇ!








一夜明けて、今日は、ちょうど整体の日。

さっそく、主訴を告げて、調整して、体操を教えていただきました。

日々進化している体操は、一か所に特化して行うものと、今日のように、体全体を延ばして、循環がよくなる様な体操と、両方があるように感じました。

「伸ばす」ということが、とても大事に思います。
伸ばすということは、どこか、固定して支える部分がないと、伸ばしたつもりでも、持っていってしまうことになることを、実感し、下丹田への、気を入れるということは、力を込めることではないということ、頭だけでわかっていては、ちっとも進歩がないということがわかります。

不完全な知識では、伝わらないというのがよくわかりました。
聞きかじりではだめよと、論語でも菜根譚でも講義の中で何度も習っているのだから、説明しすぎない、イメージを膨らませる手助けをしましょうということ、今日はさらに、実感しました。



下半身の安定ができて初めて、本当に伸ばすことができるのが今日の体操で、感じました。先生に支えられ、指示があって初めてできることでした。

かなり、一時に比べると安定感は増してきましたが、今日の体操は、どこから押されても、唐黷クやり過ごせるように、思いました。

体の安定は、やがて心の安定へとつながり、下らぬこだわりをなくしてくれるでしょう。

心と体の関係は、知れば知るほど、奥深く、聞けば聞くほど興味が湧いて尽きることがありません。


昨日は、一杯笑って、心をほぐしたのですが、腰は固まったようです。
若いころとは、体の柔軟性が。。。。。



コメント

夢青葉6月1回目

2016年06月10日 | 詩吟
夢青葉登録メンバー4人の内3人の練習でした。(うち一人は神戸留学中にて、あと1年ほどは、出席能わず)
老若男女!

老と言っては、失礼ですね、私も含めて還暦越え組も、吟会では若手なのですから。

本当の若者も、仕事の都合がついて、久し振りに出席です、おかげで、華やか、その上、会員のお孫さんの年長男子一名も参加で、本当に華やかにぎやか。

にぎやかと言っても、年長男子君は、タブレット(いまどきだねぇ!)やクレヨンでお描きや折り紙を駆使して、ちっとも手がかからないで、おとなしく参加してくれました。

最初は、四人の吟声に耳に手を当てる場面もあり、ヒヤッとしましたが、すぐに慣れてくれました。
彼は、お家でも詩吟をしているとか。すごいねぇ!

さて、今日は、コンクールの吟詠 二吟の練習。
       前回習った「春望」の独吟発表。
       メインイベントの、「夏草や」の初練習。

CDを聞いてきてくださっていたのと、懼れることはないとの私の言葉が効いたのか、はたまた、和歌、俳句は、得意ではないから、自分で上達して私を追い抜くことと言い伝えておいたのか。

「なつくさや~」と歌いだしが、「水」と言う最低音から始まるため、気張って声を出さないですんだことなのか、水の音程は、女性では出しにくいのですが、胸に響かせてと言ったのが、よかったのか、「なつくさや」は、読むつもりでよいといったのがよかったのか、、、、、

なめらかな滑り出して、練習が始まりました。

発声練習では、いつもの、音出しをせず、腹に気を込めて、「ん」「はっ!」  「ん」「はぁ~」と声を出して、声は生きに乗せて、喉の力を抜くことと、どこに気を込めるか(力をいれるのではなく)の説明と練習をさらりと流してやりました。

私が、初めて和歌を練習した時の失敗を繰り返さないため、トラウマを作らないために、細心の注意を払いました。

はて、それは、会員さんたちの中では、どのようにとらえられて、収まっていくことやら。

息に乗せて、発声するということをこれからも繰り返し、繰り返し行うことにいたしましょう。

この練習をしていると、日頃の迫力のある吟声から、少し離れたと指摘されることでしょう。
それは、一時のことのはず。
この、発声を正しく身につけたら、一旦弱くか細くなってしまう声も、きっと驚くことが起こるはず。
これは、私自身も共に、挑戦して、身につける手始めなのです。

漢詩の練習の時の、お手本を示して、真似なさいと言っていたのが、恥ずかしくもおこがましいことと、思うようになりました。

和歌も俳句もできて、それからのことでしたのに。


さて、今日の可愛いらしいゲストは、ウランバートルの母と言って、大切にしてくれていた若者が帰国して結婚し、そのお子さんです。

ですから、私にも孫であるというわけなのですが、そんな理屈など関係なく、私の胸にその笑顔が飛び込んできたのです。

まるで、4番目の孫出現したような衝撃的な出会いです。
生まれたての時、一度会っただけで、6年ぶりの再会ですが、実の娘に、孫が三人次々に生まれた時のような、そのたびごとの舞い上がるような幸せ感を、今日も味わいました。

なんて可愛い子なんだろう、豊かに、やさしく、おおらかに育って、このなんちゃってばぁばをこんなにも喜ばせるなんて!
子供の魂の力は、すごいと思う。

練習の時は、押さえていた思いが、帰りに電車で湧き上がって、きっと、幸せ感たっぷりの顔をしていたことでしょう。

年長男子孫№4君、これからもよろしくね。弟の孫№5には、いつ会えるかなぁ。

その№4の正しい血筋のおばあちゃんは、いそいそと世話を焼いて、いつもの彼女と違う姿を見ることができました。 ありがとう。
彼のお母さんは、うちの子は、「№1と№2」ですからと言われるよね。
勘弁してください。
コメント

チャツァルガン

2016年06月04日 | こたろう
2004年4月と2006年10月の日記に、チャツァルガンのことが書いてありました。
過去の日記を調べてみようと思ったのは、イで、チャチャルガンのジュースと化粧品販売ブースが出ていたからです。

ちょっと前は、羊毛製品の販売をしていて、どうやらつくばにそれらを扱う会社ができているようです。(株)イエロードクタージャパン



パンフのタイトルには、「モンゴルのスーパーフード『シーバックソーン』」とあり、その下に懐かしいチャツァルガンのオレンジ色の実の写真が、草原をバックにして載っています。





2004年の日記には、チャツァルガン(または、チャチャルガン)のオイルを小さじ1杯ずつ飲んでいると書いてありました。
肌にも良いと言われましたが、さすがに茶色に着色するので、飲用にだけにしましたが。

乾燥するモンゴルでは、赤ちゃんの肌に塗ったりもしていたし、肌のトラブルにも良いと聞いていました。

そして、チャツァルガンの話をすることによって、夫には「生薬」と「新薬」について、思いをはせるきっかけとなり、これまでのことを考えなおすことになったのです。すっかり忘れていました。

その当時は、私の周りにいる都会派のモンゴル人には、「古いものとして、忘れたり、拒否したりする人が多くいました。
こんな古臭いものを飲まなくても、日本には、もっと良いものがあるだろうにと言うのでした。

それがいつしか、本当の良さを見つけた人が、日本で、モンゴルのスーパーフードと呼んで、立派な製品になって、売り始めたのですねぇ。

その次に日記に出てきた2006年には、デパートで、馬乳製の化粧品や、チャツァルガンの化粧品も売っていたと書いてあります。

素朴なオイルは、該当の小さなお店や、薬局のようなところで売っていて、化粧品は、デパートでと住み分けになっていました。
化粧品は、どこに行っても、高級品としてパッケージも考えられて、それだけ値段も割高になって売るのだねぇ。


今回は、化粧品も飲むオイルも同じパンフレットに同等に扱われて、なんだかほっとする。
ジュースを試食したら、飲みあとがさっぱりすっきりでした。
化粧品は、1週間分のお試しセットを買いました。



コメント