風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

昨日は、スーパームーン

2015年09月30日 | 詩吟
昨夜は、スーパームーンでフィーバーしました。スカイツリーと満月の写真が何度もテレビの画面を賑わせました。
一夜明けて、早朝、西の空にその名残が見えました。
朝日が光を増すにつれて、どんどんと右へと位置を変えておぼろになっていきます。
電線に鳥が一羽、昨日あれほど騒がれた月を眺めて、何を思っているのかなぁ...


今日は、詩吟の特別練習です。
結局、予定メンバーが揃わず、個人練習になりました。
ということは、練習もさることながら、おしゃべりに夢中になった時間も結構ありました。

一人で練習を進めるのは、他のメンバーに申し訳ないと考える彼女の意識を変えるには、どうしたらよいのか。

個人練習でしかできないことを、徹底して行おうにも、練習が嫌ではないのに、申し訳ないと思う気持ちに抗しきれない彼女は、いい人だけど、もっと、自分を大事にしてほしいなぁ。
人のことばかり考えていないでよ!と、思う。

自分を後回しにして、会のこと、他の会員さんのことを優先に考えるということは、果たして美しいことなのだろうか。

友達としては、本当に良い人なのだけれど、詩吟を続けるうえでは、自分の上達に貪欲で居てほしい。そのほうが、私もうれしいんだけどなぁ。

彼女につける薬を教えて欲しい。

と、言いつつも、一対一で、集中しての練習は、短時間でも目覚ましい効果を上げました。
此の処の彼女、忙しく、詩吟どころではなかったのが、一段落して、少し、自分へと気持ちを向けられるようになって、良かったねぇ。


母親が、自分のことは後回しに家族のことをすべて優先にして時を過ごすのは、美しいことだけれど、ふと、「自分」を考える時が来たら、ちょっとくらいはその訓練をしておかねばね。

まず、「詩吟」を大義名分にして、自分の都合で動くことをしようね。

私のように、大義名分を振りかざしすぎているのも、どうかと思うけれど、元気でいたら、夫とこたろうは、許してくれている。

ただ、月曜日からの落ち込みには、ちょっと、気になっているようだが、下手に声をかけると、「怒」に押し寄せられるから、夫は、静かにしてくれているし、こたろうは、いつものように、ひざの上で、ゴロゴロ言ってくれてます。これがなんとも、ありがたい。








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現代浄瑠璃演者

2015年09月28日 | 出会った人
長恨歌九段の私の担当の吟詠は、十分に力を発揮できずというより、準備不足で、ずっこけました。

その準備不足の私の吟詠を、過分の言葉で褒めてくださった方がたった一人。
先日、東久留米の論語の会で、初めて出会った現代浄瑠璃の演者であるMさんです。

はるばる素読の会に参加なさって、私たちの吟詠もお聞きくださいました。
お話がしたいからと、ランチも一緒です。


声を出すことでいろんな苦しい経験のあるこの女性は、先月、初めて、しかも、絶句の半分しか吟じなかった私の吟詠を、とても気に入ってくださいました。

そして、「長恨歌」の解説と吟詠をしますとの、須藤先生のご案内に誘われてはるばる、新越谷までいらっしゃいました。

Mさんの、声を出すことにかける情熱を、見習って、何の問題もない私が、この有様では情けない。頑張らねば。

今、彼女が持って来てくれた現代浄瑠璃を演じたカセットテープを、聞き始めたのですが、レコーダーの不調で、途中で、とん挫。

レコーダーも当分は、必要だなぁ。

彼女の声を太さと安定感は、隣で素読をしていても力強く響いてきます。
そして、その、抑揚の確かさとぶれないところが、大きな魅力です。

詩吟の読み下しの時も、このように読み下しができれば、吟詠にも大きな影響が出ることでしょう。

現代浄瑠璃は、言葉がわかりやすくなっていて、はっきりと言葉が聞き取れます。
これを生で、聞くことができたら、さぞやと思います。

現代浄瑠璃を一人でもたくさんの方に聴いてほしいと、願っている彼女には、まだ後継者がいないそうです。
だからこそ、たくさんに聞いてもらって、興味を持ってほしいと。

詩吟も、若い人をいかにして魅了するかが、今後の課題です。
芦孝会の公認会継続も、そこにかかっています。



             警鐘


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新越谷論語素読の会

2015年09月28日 | 論語と
須藤先生の「長恨歌」三回目。今日で終了です。

始めて参加した方たちのために、最初から7段まで復習。
そして、8段と9段の解説をして頂きました。


この回も、先生から吟詠をと所望されていました。尺八と朗読も入って4人構成です。



合いかたさんの、真摯な思いと確実な練習は、拍手喝さいを頂きました。
私の吟詠は、拍手の無さが示していました。大反省。

合い方さんのひそかなファンも増えつつあり、さすがに、論語を学ぶ人たちだけあって、見抜いておられます。
また、尺八伴奏の先生のファンも居て、それぞれの立場を、論語の同級生としてだけ遇するのについては、思い切った割り切りが要求されます。



今日のテーマの八段と九段のみ吟詠の披露をさせていただきました。八段をあいかたさんの吟詠で、九段の前半を朗読そして最後を私の吟詠と組み合わせました。


ところが、須藤先生は、全段の吟詠を朗読も交えて望まれていたのに今朝になってわかったのです。
二人ではこの長い吟を吟じきることができません。私の力不足です。時間も足りません。

そのためだったら、別の機会をとまで考えていらっしゃるのが、言葉の端に見えましたが、この長い吟詠をみなさんにご披露するとしたら、長い準備期間を要します。
その前に、全段をまず吟じこまねば。

先生から、資料を頂きましたので、いろんな知恵を集めながら、育てていく宿題とさせていただきます。ありがとうございました。


かくして、「長恨歌」三回シリーズの読みときの会は終わりました。



ランチは、別の席になったので、先生の感想をお聞きしていませんが、先生の期待に沿えなかったのは、確実。そうだとしても、先生は、何もおっしゃらないでしょうね。
もちろん喝さいを頂いた合いかたさんは褒めてあげてください。



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9月中央会

2015年09月27日 | 詩吟
朝8時、家を出る。

9時半からの幹事会に間に合うために。
最寄り駅の駅前のパン屋さんで、ランチを調達して、会場へ向かう。
KANGIN NEWS 9月号を担当の幹事さんと一緒に教場の人数分数えて、配布の準備。

幹事会は、練成会の打ち合わせ。

今日は、そのほかに、秋の昇段試験の日でもある。

そして、今日は、上師範、高師範に昇格した会員に、バッヂが渡されました。
かくいう私も、上師範になりました。

バッヂは、紺色のお座布団付きです。
今までの昇格は、どうってこと無かったのですが、今回の上師範への昇格は、ことのほかうれしい。
5人以上の会員を指導しているという条項があって、それを満たしていることの功績を認められているからです。

会員さんのおかげです。
何よりも確かなものです。おかげ様です。
夢組の会員のみなさん、おかげ様で、座布団付きのバッヂになる初めての日です。

賞状は、練成会の日に式典で手渡されます。
そして、その日は、夢組から、初めての雅号を授与される会員さんも一緒に賞状を受けることができます。
喜びが二重になってやってくる練成会です。

そしてその日は、東京芦孝会が公認会になったお祝いの記念錬成会でもあります。

その記念の重なった練成会の指導者吟詠は、去年の練成会で指導者吟が都合で流れたので、同じものに取り組みます。
それは、私の作詩処女作「初夏即事」の吟詠発表再チャレンジです。

去年の神戸の80周年から、私の意識改革が始まって、形にあるものであらわれた初めてのものが、漢詩の詩作です。
だから、去年できなかったからと、二回ほど、発表はしましたが、やはり、練成会でやりたい。

なんて、この詩にこだわること。自分でも、あきれる。




私だけでなく、あるところまで、立場が上がると、途端に助言が得られなくなる。
あまりに早くその立場になった私は、いつも孤独だったなぁ。

今は、同朋といえる人たちができて、相談事や、ぐちこぼしもできるようになった。
「朋」とは、良きものかな。

今日の、ビールは、美味かった。いつもよりたくさん飲んでしまった。
おかげで、関節がだるーくなって、いつもは目の覚めない真夜中に目は覚める。
羽目を外すと恐ろしい。といっても、ビールワンフィンガーを二杯だけどね。





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夢松風9月2回目

2015年09月25日 | 詩吟
今日も雨です。

今年は、雨の外出が普通になって、キャスターバッグのカバーも、バッグのカバーも出番が多い。
ビニール製品のありがたいこと、レジ袋の便利なこと。


さて、前回お休みだった会員さんも、出席で、みんなが揃いました。
今日は、律詩の日です。

それでも、いきなり律詩はきついので、体操からの一連の流れをこなした後、静夜思のおさらい。

そして、今日の吟題「華城春望」Bの教科書一番初めの吟題です。

副読本のコピーを見つけられない会員さんに、私の副読本をお貸して、わたしは、教科書を見て、練習開始。

古い方のテキストには書き込みがありますが、新調して(と言っても二年ほど前のこと)からは、吟詠をしたことがないため、書き込みが一切ありません。
あったとしても、会員さんにコピーをとるときのために、メモは、他のノートにしたかもしれません。

昔は、このテキストで練習をしていたのだから、何の不便もないはず。
ところが、たいへん! 副読本に頼りきりになってしまう怨みありと、先の心配をしたにもかかわらず、何の手当もしてなかった!しまった、しまった。

七山か六山かは、アクセントなどから類推すると、わかるはずなのに、会員さんにどっちですかと尋ねる始末。
三角の高さのしるしは、私には、微妙過ぎて、判断が付かないため、古くから三角印には、頼れない。

情けないなぁ。

しかし、テキストを見て、私が質問せねばならない箇所は、あたらしい漢詩を習うときに、まず、確認せねばならないところです。

上級になってくると、副読本を見て、ざっと、確かめをしたら、それが初めての漢詩であっても、ほぼ、吟じることができます。

習ったことのない譜が出てきても、譜名表を見て、音が取れますから、お手本を聞くことができたら、それで、前準備は、完了できます。


上級になった人たちには、今日の、質問は、ある意味、大事なャCントを示すことになったかと、自己満足。

今年三段になった会員さん、来年三段になるはずの会員さんを抱えた夢組は、少しずつ、練習の方法を変えつつ、松風は、去年入会して、来年初段になるはずの会員さん向けにも、今までと変わらない練習法とを取り交ぜながら、勧めていくことになります。

上級になっても、変わらず注意せねばならないことは、今までと同じに、付け加えて学ばねばならないことには、工夫をして、力まず、スキルアップにつながる方法を模索する。

思いがけず、テキストについて、副読本について、考え直す機会を頂きました。

臆することなく、貯金で賄えないことには、工夫と努力と、ちょっとした幸運で、乗り切っていきましょう。

副読本に頼っちゃだめといいつつ、副読本でしか予習をしなかった私に対して、気づきを頂きました。
吟詠のテクだけでない、教室の運営にも、目を開かされますねぇ。




さて、今日は、二人のゲストさんから、特訓の申し出があり、12時で終わった松風の後、ランチをして、カラオケ屋さんへと向かいました。

松戸周辺のカラオケ屋さんは、ダントツやすいと思っていたのは、私の認識不足だったのが、今日、わかりました。

1時間の予定が、延長して2時間、みっちり、二人の課題とする「太田道灌」を合吟に次ぐ合吟。

垂れ流しで、吟じるのではなく、言葉と言葉の間には、間、休息、息継ぎがあるよという話をいたしました。

言われてすぐにできるものではないにしても、まず、頭にインプットされただけでも、結構、違ってくるもので、だらだらとした吟じが、少し、きりっとしたかなぁ。

お二人の経歴に差があるので、今日は、先輩に焦点を当てて、後輩さんには、合吟で満足していただきました。


学生の頃、京山に向かって声を嗄らした経験は、ただ、喝を入れるためだけではなかったと、思いました。

発表する時の声の高さで、何度も声を出して、体で覚えると、だんだんと滑らかになってきます。
うれしいくらい。

とても素直で信頼してくださっていることが、こうも効果を上げることができるのかと、驚く。


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練習会場見学

2015年09月21日 | 詩吟
カラオケでの練習も良いけれど、定例会のほかに練習をする場所について、見学がてら行ってきました。
先の合同練習会の会場候補にも挙がったお部屋で、会員さんの関係筋の持ちものです。

都心から離れたローカルな最寄駅から、商店街を抜けて、少し歩いていると静かな住宅街に差し鰍ゥります。
あらぁ、大きな声出しても大丈夫?と、心配しながら、到着。

元は、剣道場だか柔道場だったかという広い建物で、ピアノが二台、一つはグランドピアノ!が置いてあっても更に広い部屋でした。
壁際には、心地よさそうな椅子がずらりと並んでいて、周りからの音は何もない静かな環境でした。

何かの時に、練習会場として、ちょっとした発表会の会場として、最適です。
もちろん、ピアノの発表会もここでなさるそうです。
本当に良いところがあったものです。
この距離感が、吉と出るかな?

会員さんの都合で、今日は一人だけ。
合吟の練習はできませんでしたが、コンクールと独吟発表の練習です。
思いっきり声を出し、詩吟の話も思いっきりして、楽しい時間を過ごすことができました。

夢組は、のんびりした練習風景で、詩の数ははかどりませんが、気持ちはかなり通い合わせながら、続いていると思ってはいますが。
たまに、一対一での会話の時間と、詩吟の時間を持つことは、理解を深め、これからのことについて、方針が立てられます。

何よりも、今日の会話と練習で、大きな刺激を受けて、道が消えたかのように思いましたが、くっきりと見えてきました。

今日は、楽しかったよ。
気持ちの切り替えに、なりました。ありがとう!


次は、9日に、定期練習を変更して、始めて、合吟コンクールの練習です。
自分たちの吟をしましょうね。




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季節の果物

2015年09月20日 | こたろう語録
岡山から季節の果物が届いたよ~と写真とメッセージがきた。




岡山産シャインマスカット 甘くてさっぱりしてるらしい。
我が家にもほしいなぁと、母さんが言ってる。
種なしで、皮も食べられるんだってさ。

僕は、ここの所、定位置になっているてっぺんで、ラインのやり取りを見守っている。

ライン開通してから、母娘の情報が密に飛び交うようになったよ。

甥っ子姪っ子は、まず届いたら、てんでに白いパッキング材をせしめて、お絵かきしたり、チョキチョキしたり、最後は写真のようになって、それから、ゆっくりと食べたらしい。

僕は、葡萄には興味ない。

鰹節がいいなぁ~。最近は、鮭もおいしいと思うようになったよ。

あ、そうそう。この日の未明、日本のラグビーチームが、大番狂わせで、勝ったんだってね。
ご近所迷惑も顧みず深夜に叫んで応援したんだってさ。(下の姉夫婦がね。)
ラグビーもメジャーになってくるんだろうねぇ。
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夢青葉9月

2015年09月18日 | 詩吟
今日も雨予報。完全に雨対策で出かけたのですが、雨に降られることもなく、会場となる友人宅へ着きました。
今日は、ちゃんと、定刻です。

連絡事項、ニュース配布の後、あたらしいテキストをお見せしました。
初心者20吟を練習するには、不足のないプリントをお渡ししていますが、出席者の二人は、購入申し込みです。

今日は、新しい吟は習わないで、専ら練成会の吟の練習になりました。

それぞれの独吟、教室合吟 連合吟と、すべてをこなさねばなりません。
どこまで、要求してよいのか、緩めてよいのか、このような経験がないので、まったくわかりません。

過去の経験に照らし合わせて、瞬時に判断していましたが、どんどんと会員さんたちが成長していくと、過去に経験のないことがますます増えてきて、しっかりと考えねばならなくなりました。
初心者の頃は、瞬時に判断せねばならないことばかりでしたから、その経験値はとても力になりました。

基本的なことができてくると、感覚ではなく、じっくりと互いに考えながらという段階に達したので、一瞬をとらえるべく神経を集中させる時間が少なくなった。


手とり足取りは三段までよと言ってきたことが、実感して迫ってきました。
一部始終に目を配らせるのではなく、自分で判断することが増えてくるようにならねば、意味がありません。
そのどこまでを、個性とし、そのどこまでを、わがままとするか、間違いとするか。

24時間手元にいた幼児を幼稚園や小学校に旅立たせるのと同じ。
それは、楽になるのではなく、見えないところや聞こえないところに、気を配らねばならなくなったということで、試されるは、私でありました。


これからは、私の不得意分野で、会員さんたちと相対さねばなりません。
じっくり考えて、よく観察する。それこそ、手放しながら、寄り添い、ともに成長する。



それぞれの詩吟に対する思いを尊重して、基本の生活を大事にして、長く続けたい。
たかが、お稽古。されどお稽古。

習いごとにかける思いと、それにかけられる時間や負担は、比例するものではなく、それぞれの事情によって刻々に変わるものです。

やり始めたら、ペースを落とさないことのできる環境にいる人。
思いは熱くても、状況によって、変えざるを得ない人。
淡々とマイペースを守れる人。

様々な状況にいる人たちが気持ちを疲れさせないで、長く続けるには、平等という考えを今と違った角度から眺めてみなくては。

三段になったら、手が離れて楽になると思ったのは、大間違いだったなぁ。



さらにさらに、私自身が成長をするチャンスを与えられたわけで、またしても、お手本がない。
三段までは、岡山にいて、いろんな刺激が入ってきて、それなりに学ぶことがあったのだけれど、こちらに来て、教えない教えを受けるようになってからは、果たして何を得てきたのだろう。
もしかして、今までの貯金は、使い果たしたかもしれないなぁ。

ふるさとに帰って、学生時代の恩師と話がしたい。
故郷で、私をはるかに追い抜いて、上級指導者になっている人の経験談を聞きたい。


一つの慰めは、須藤先生の講座を受けていることかなぁ。

今の私は、光を集めているところ。
目いっぱいに開いている扉から、光が漏れてしまう。

光を、内に包含するということはどういうことなのだろう。
オーラとは、なんだろう。

女性指導者が、肩を並べて物事を考え、相談しあえる日は近いのかなぁ。


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はじめの一歩

2015年09月17日 | 詩吟
論語講座の一環から、「初めの一歩」として詩吟の練習が始まって、一年半が経とうとしています。

月にたった一度のたった一時間の練習でも、みなさんがゼロスタートであり、上級者の方の応援もあるおかげで、何とか形になってきています。

全くのゼロスタートで始まったので、ないものは数えることもなく、ゼロから積み重なったものだけを、数えていけるのは、誰にとっても、幸せなことです。

そして、バックアップしてくださる上級者の方は、ご自分の練習はできないのを承知で、来てくださり、さりげなくいてくださるのが、本当にありがたい。

尺八の先生も、その技を発揮するのは、せいぜい二から三吟ほどの伴奏で終わってしまいますが、これはあくまでも、須藤先生の講座の一環であること、私たちは論語の同級生であることで、成り立っています。

こんな幸運に恵まれていることは、はじめの一歩メンバーは、これが普通のお稽古風景とおもっていて、格別のこととはご存じないのです。
プラスを数え始めたら、自ずとマイナス面が、目に入らざるを得なくなるから。

これが当たり前として、更にのんびりと、あくまでも楽しく練習を続けることにいたしましょう。


今日は、春暁の三回目、32番のおさらいをして、順調に練習が進みました。
いつも熱心に、一番前の席を陣取るお二人の仲良しさんの声が、前に立っている私の耳に良く届くようになりました。

それで、32番のおさらいを私と声を一緒に出してみませんかとお声かけをしましたら、すんなりと発声してくださいました。
次に、お隣の方と一緒に、一節だけ、更に二行と伸ばし伸ばして、三人の合吟が続きました。

これだけできるならと、お二人で合吟してみませんかとお誘いしたら、なんと、すんなり受けてくださいました。

予想に反して、二人の合吟がスムーズに始まり、ドキドキしながら、いつ、途中で止まってしまうだろうかと見守っていました。

すごい!最後まで、滞ること無く吟じ終えました。

大事に大事におくるみで抱っこしていた子供が、するりと膝を降りて、とっとと歩き出したような感覚。

うれしくて、ウルウルしてしまいました。

たった1時間の練習で、10回ほどの参加だったお二人が、はじめは、とてもおずおずとしていて、ちょっと離れると、声など、つゆほども聞こえてこなかったお二人です。

最初は、聞こえない声を拾うために同じ最前列の真ん中の机に座っていたのですが、同じ高さにいても、届かなかったのに。
いまは、教壇に立っているのに。

教師冥利に尽きる、感動の時でした。

それの一部始終をみまもっていた先輩がたも、帰り道の話題で、「鳥肌ものだった」とおっしゃいました。

あぁ、なんて嬉しいことだろう。

あまりに私が喜ぶので、当のお二人は、かえって、きょとんとしていたようです。
そして、須藤先生は、いつもの後ろの席で、にこにこと見守っていてくださいました。

手探りのはじめの一歩に、手ごたえを始めて感じました。

鳥が何度も何度も羽ばたいて、何度も何度も繰り返して、ある瞬間飛び立っていく、その様子が『習』と言う字だそうです。

最高の羽の動きができた瞬間は、あれこれ考えること無く、無心で飛び立ったはず。

小賢しく考えているうちは、飛び立てないのです。

おめでとう!お二人さん。
そして、おめでとう!私。応援者さんたち。

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足利を終えて

2015年09月17日 | 詩吟
足利薪能の宿泊の計画が進行している時、タイミングよくショートステイが取れて、介護中にも拘わらず泊りがけで、論語と薪能と詩吟の会に参加なさった方がいました。

いつも、静かに、あまり感情を表されない方だったので、須藤先生の授業の流れで参加してくださっているのかと思っていました。

一日目二日目とスケジュールが消化されていくにつれて、お顔が明るくにこやかになっていく変化は見ていて、嬉しいものでした。

そして、朝食後、先に帰る方たちと帰路につくのかと思っていましたら、詩吟の講座にも参加されて、早雲美術館観光も含めて全スケジュ<汲アなされました。

そして、帰りの電車は、空いていてゆっくり座れるので、隣り合わせた方たちと、少しずつなごんで会話が進んでいく様子が見えました。

さらに北千住に着いて、遅めのランチまで、参加して、本当に楽しそうに帰っていかれました。

須藤先生のご縁で、こうして詩吟にも参加され、気の良い詩吟仲間ともご縁が深まって、本当に良かった。


忘れていたのだけれど、私が師範をとって教室を持ちたいと思ったのは、介護中の人対象に、大きな声を出して発散する場所を提供したいと思ったことからです。
それは、母の介護の長~いトンネルの中で、ほんのちょっとだけ、忘れる時間が欲しいと思い続けていた経験からです。

幸い、私は、40代で介護が始まったので、体だけは元気で、詩吟のおかげか腰が安定していたのでしょう、腰痛になることもありませんでした。

保健所のママ向けの講座を受講する時の赤ちゃんや幼児の臨時保育のお手伝いをすることで、エネルギーの循環をしていました。
気持ちは疲れていても、体だけは元気でいたので、だいたい、保育をしていても、泣き叫ぶ子やおんぶをしなければならないような子供が、いつの間にか私のそばに来ていました。
たまには、おとなしくおもちゃで遊ぶ子の見守りをして静かに過ごしたいなぁと、思ったこともありましたが、若くて元気なんだから仕方ないなぁと思いつつ、楽しんでいました。

赤ちゃんや幼児からいっぱいエネルギーをもらって、母の介護へのエネルギーに充填していました。

介護も終わり、二人の娘も手元から飛び立ち、夫とこたろうとの暇でしょうがない生活が始まったとき、パートの仕事と休眠中だった詩吟とがぼちぼちと始まりました。

師範の資格を得て、10周年の大行事を終えて、さて、教室を開いてみたら、若い(詩吟では)元気な人たちが集まっていて、当初の予定は、叶えられませんでしたが…


こうして、たまたま、私の予想していたような方が詩吟で出会ってみて、疲れている人の元気の素になるなどという上から目線の教室は、たとえ、始められたとしても、早々ととん挫していただろうと、気づくのです。

夢組の二つの教室を運営してみて、育てられたから、偶々出会った方が、当初考えていたような環境の方で、偶々足利論語と薪能という行事があって、初めてその方の手助けになったのです。当初の甘い考えで始めた詩吟教室では、とても、歯が立たない難問であったのです。


いつも「須藤先生の論語のお話で、頭がほぐされて、論語の素読で体もほぐされて、その上での詩吟だから、最高の環境なのですよ。」と言葉だけで相手向けに言っていたました。
その本当のところは、初めて詩吟をする人に向けていっていた言葉は、実は、私にとって都合のよい好条件で練習が始められることであったと、今頃実感が伴ってきました。

「あなたのため」という言葉には、おおいなる誤解があることなのねぇ。


足利合宿ありがとうございました。




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