風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

田村仁美 令和6年のカレンダー 3月4月

2024年02月29日 | 徒然に日々のことを
        ―よろこびを描くー  田村仁美

                 
                              幸せな日々  ポピー・テントウ虫

今朝のテレビに黄金の稲の間を縫って、お米をついばむ雀の様子が。
あぁ、こんな一瞬をとらえて描かれるのですね!と、感動が走りました。
今月の絵と、全く関係のない映像に突然「田村さんって!」と感じたのは
その雀の無心な表情がそうさせたのかと。。。


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夢松風 二半三半

2024年02月27日 | 詩吟
前回の体調不良は、まだ尾を引いており、おかゆをおいしく感じています。
それでも事前の1時間足らずの練習に疲れないで効果をあげるほどには回復
していました。

深い息をすることにより血の巡りが良くなり、喉も滑らかになってきます。
もう大丈夫なんじゃない?と体に問いかける。
「うん、まだ」と答えが返ってくる。
「ハイ了解」「まだ、低調でいたい気分なのだね」

足裏全体で地面を捉えるのは、立っている時も椅子に座っているときも同じ。
腰の入りを確認して、肩甲骨が中に寄せたら自然と胸が開く。
顎の角度を考えながらゆったりと声を出す。
喉は締めつけず上がってきた声帯を下におろす。
この下におろすというのが、欠伸をかみ殺す喉を練習しているときに体感でき
たのであるがそれでよいのだろうか。
この感覚は、「低調」を脱したら本当に体感できるかもしれません。
詩吟体操をして、良い姿勢になるのは、それを眺めている私にはよくわかるの
ですが、ゆるゆるとした体操で、効果が上がっている事は何人の人が実感して
いるでしょうか。
あっ、忘れてはいけない、おかげで姿勢が良くなりましたとわざわざ伝えて
くださった女性が一人いたなぁ。。。
良い情報というのは、戻ってこないものです。
たった一人でも、感想が戻ってくるってことはすごいと思う。
始めたころより体操の時の景色が違うと感じる事が何度かありましたが、
思いたいだけじゃない?と言われても、私一人の感覚だから反論はし難い。

悪くなるのは、0.1ミリでもわかるのであるが、緩やかにまんべんなく向上
しているのを実感することは本人には、とても難しい。
筋トレまがいの体操や、長時間のウオーキングなどでないとやった気に
ならない勤勉な方には、どう説明しても理解しがたいのであることが、
最近やっと分かってきました。
それでも、禁止されない限り言い続けたい。

さて、今日夢松風補習の練習は、「二半 三半」で始まる静夜思の(牀前)の
言葉にみなさんの目が輝く。
半の付く音は、出だしでは特に出しにくいため、ゆったりと始まる。
そして、丁寧に「しょお」と歌い始めると、音程が正しいだけでもその情緒が
表せるものです。
乱暴に、音程を無視して「しょお」と始めたら、「静・夜・思」の情緒が
削がれてしまいます。

ほら!丁寧に声を出さないと、さえ渡った月に半歩も近づけないよ!

そんなこと、言い続けて何年経っただろうか。今日、はじめて、なるほどと
膝を打った方が出現しました。

やっとのことで、小うるさく言われたことの意味が分かった瞬間。
長かったねぇ。いやになったでしょう?
「いやにはならないですよ、すっきりしました。」この会話、待ってました!


それを聞いていたもう一人も、納得顔。笑顔。やった!!!

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夫の考える「詩吟と私」

2024年02月12日 | 徒然に日々のことを
帰りの空港までの車の長旅で、体調を崩しました。
その苦しさと言ったら、もう勘弁してと言いたかった。
不肖の嫁に対する天罰だろうか。
半年だけお世話をさせてもらって、後の10年は、義妹に任せっきりでした。
その間詩吟にうつつを抜かしていた私に対する戒めだろうか。
いやいや、夫も義妹もお母さんでさえも詩吟を続けることを応援してくれて
いましたから単に、私の後ろめたさでしかない。

何度も車を停めながら、のろのろと行く山道は、果てしなく続き、飛行機に
間に合うのだろうか。遅れたら次の便に空席はあるだろうか。
もしかしたら、どこかのホテルを取らねばならないかもしれない。
連休のただなかに空き室はあるのだろうか。
同じことを夫も考えていたようだ。

そんなことを考えつつも、いっぽうでは、苦しんでいる私に向かって、夫は
「もし、詩吟に合流するとしたら、具合が悪くならなかったかもしれない
ね」と、冗談ではなく本気で言うのです。
当初の予定より一日前倒しになったので、鹿児島から名古屋に飛んで当日参加
という手があったと夫は言うのである。
まさか、家の片づけがしたいがためだったと思うのだけれど、そんなことを
思っていたのだろうか?
もし、元気だったら名古屋行きの飛行機に乗っていたのだろうか。
いやいや、衣装もあるからそれはない。こんな時に、何を言ってくるの?
苦しみながら頭の隅で、感心しあきれていました。


私には、法事もそこそこに飛び立つなんて、思いもしないことでした。
それに、「喪」を纏った体で記念のめでたい大会に出席するのははばかられます。

思いがけない場面で、夫の感じている「私の詩吟への思い」を知ることに
なりました。

今は、そんな無理をしなくても、お願いしますと心おきなくバトンタッチする
人材が育っています。
東京芦孝会は益々大きく発展していますねぇ。

淡々と過ごす夫婦二人の生活では、こんな出来事でもないと、その心の中を
伺いしることはなかった。おかげ様と言うのだろうか残念と言うのだろうか。

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名古屋ではなく鹿児島へ行く

2024年02月10日 | 徒然に日々のことを
家族の大事と関吟の大会が重なりました。
という訳で、2月12日の「公益社団法人 関西吟詩文化協会 創立90周年
並びに公益社団法人設立12周年記念 全国吟道大会 東京・東海地区大会」には
欠席せざるを得なくなりました。
それがわかったのは、12月のこと。
欠席のための手配も無事終えて、2月10日を迎えました。

家族の大事とは、夫の母の四十九日の法要と納骨に鹿児島空港に降り立ちました。
お母さんは、始めてなのではないだろうか、息子に背負われるのは。
そして、機内では膝に抱かれて生まれ故郷に帰ってきました。
母を背負う夫の後姿を見て急にいろんな思いが駆け巡りました。
息子に背負われた母は、夫の胸中は、日頃の淡々ととした接し方からは伺い
知ることが出来ません。
夫は、ずっと私の目の前では何事もなさそうにすごしていましたが、一人の時
間は、心のままにしていただろうか。
それとも、納骨まではと、心を決めて居たのだろうか。

仏となったら、自由に行きたいところに行けるようになるのだから、お墓は
きっといつも留守にしているよ。
だから、思い出したときに手を合わせればよいのよ。
たぶん、思い出して手を合わせたとたんに、そこへ飛んでいくのだと思うよ。
正に「千の風に乗って」の歌のとおりです。

浄土真宗大谷派の和尚は、とても響きのある安定した声であった。
乱れることなく読経をする。
お若いのだけれど、今まで聞いたどの声よりもお経らしいと思った。
思わず、経典を読みながら自然と唱和できるほど誘い込まれる読経だった。
これが見送るということなのかなと思う。

お母さんの最期は、少しずつ食が細って行き、最後となったお昼ごはんの後、
好物のプリンに「あ~美味しかった」と言って手を合わせたそうです。
その食休み中に誰も気が付かないうちに、逝ってしまったという。
一人で潔く逝ってしまったのは、夫によるとそれこそ母の選択なのだと。

その静かな逝き方とお経の声は、実によくあっていると思う。
浄土真宗では、その瞬間に仏になるというので、霊を送る読経ではなく
お仏がより仏になるための読経ということになるのでしょう。
仏になったお母さんは、息子のところでも娘のところでもなく、
70年も待たせていた一目ぼれの夫のそばで笑っているのかもしれないね。
だから、誰にも看取らせずに一人きりで逝ってしまったのだろう。
生前、骨身を惜しまずできる限りのことをしたお母さんです。
それをじぶんでももう十分でしょと思い、孫に至るまで、してあげたいことは
もう無いよ、あとはお好きになさいませ。
すべてに納得したその時が旅立ちの時だったのだと、ちょっと寂しそうに
夫は笑って言う。

和尚の声を聞きながら心が落ち着いてくる。呼吸が楽になる。
この声を聞くためなら、はるばるやってくる気になるだろう。

お母さん、満足して旅立たれたのですよね。          合掌                            
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福ちゃん

2024年02月02日 | 詩吟
いつも一緒にいる餡ちゃんと福ちゃん、今回は、餡ちゃんの体調不良のため
福ちゃんだけを我が家に預かっている。
一人で寂しがるかと気がかりだったのですが、全く、気にしてない様子。
今までは、お互いに一定の距離を置いて、接していましたが、初日に1回だけ
「シャー」を繰り出しだだけで、後は一直線に接近中。
      
子供と動物には好かれる夫は、10日経った今では、キャッチ&リリースで
遊ぶまでになり、日に日に、福ちゃんのおねだりが上手になっています。
おねだりに負けて、しょうがないなぁ~といいつつ遊ぶ時間が増えている。

福ちゃんって、こんなかわいげのある子だったんだねぇ。
猫には珍しい釣り目の、可愛げのない猫という印象だったんだけど、心なしか
釣り目が少し穏やかになって、可愛い気のある顔つきになってきました。
そして、しなやかな体で、「竹内栖鳳の斑猫」モドキのポーズを取っています。
完全な婆バカになっている自分も発見。
これは、そうとは思っていなかったのですが、山田先生に指摘されて、意識したことでした。

      
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